銀河太平記・025
二十三世紀も中ごろ近くの現代、動力のほとんどはパルス機関になった。
パルス機関は相当な大型船(古典的な言い方では宇宙船)でも亜光速が出せて、今では太陽系が、到達時間ではかつての地球内交通の規模に縮小してしまった。つまり、人類の行動半径が太陽系いっぱいになったということで、人類のフロンティアは四光年ちょっと離れたプロキシマ・ケンタウリbに移りつつあるが、行って帰って来るだけで九年近くかかるので、まだまだ無人機による探査の段階だ。ロボット科学者たちが探検への名乗りをあげているが、ロボットへの人権意識も高まった現在では、それも困難な状況だ。
亜光速になっても慣性エネルギーの相殺ができるようになったのは、この二十年くらいのことだ。
慣性エネルギーと言うのは、例えば車が急発進するとシートに押さえつけられるような圧を感じるだろ。逆に、停止する時には前に飛び出しそうになる。左に曲がると右に、右に曲がると左に持っていかれそうになる。まあ、Gってやつだな。
慣性エネルギーの問題が解決しなければ、亜光速なんて簡単には出せない。
急加速したら、すさまじいGがかかって、体がペッタンコになってしまう。物理的なGに慣れるだけなら数時間で亜光速に順応できる計算なんだが、人間の神経はデリケートで、物理的な要件をクリアーしただけの時間では障害が出る。軽いのは手足のしびれぐらいのものだが、ひどくなると幻視や錯乱状態になったりする。だから、軍用船でも24時間、民間船だと数日間をかけて亜光速にしていた。
今では慣性エネルギーをコントロールする……なんとか云う技術(理系は苦手なんで、勘弁してくれ)で克服されて、短時間で亜光速が出せるようになった。
しかし、いま乗っている13号艇は廃棄寸前のゴミ箱みたいなボートなので、慣性エネルギーを相殺することができない。
だから、二百年前のスペースシャトルの乗員並みのGを感じさせられながら、取りあえずの地球の周回軌道に載ろうとしている。
「ちょ、拷問だわよさあああ(#゚Д゚#)!」
身の軽いテルは、足の縛着が間に合わず、頭と上半身のベルトが天井フックについただけなので、狭い艇内で糸の切れた凧のようにクルクル回っている。
「オレに掴まれ!」
「ちょ、じっとして!」
みんなが救いの手を差し出すが、Gが掛かっているので、思うように手が伸ばせず、ヘタッピーばっかりのスカイダイビングのように混乱している。
「掴まえた!」
未来がやっとテルのチノパンの裾を掴んだ。
「あ、ああああああ!」
下手に一点だけで掴まえたので、掴まえられた裾を支点にしてクルクル回るテル。
ズコ! ドコ! ベシ!
テルの手足がボートのあちこちや同乗者にぶつかる。
フギャ! オエ! グエ!
「あ、脱げた!」
チノパンが脱げてしまって、テルはクマさんのパンツだけで、さらに激しく飛びまわっている。
「先生!」
無駄なことなんだけど、すみれ先生に声をかける。
このまま加速されてはケガ人が出る。
加速を中断すると、しばらくは周回軌道を取らざるを得ず、出発がさらに遅れる。
言うだけ無駄だろう、少しの間ガマンしろ、テル……
そう、観念したら、スーーっと加速が止んでしまった。
え?
すみれ先生って意外に優しい?
みんな、自分の目を疑った。
「おまえらのためじゃない、緊急の同乗者だ」
同乗者?
「大使館からの要請だ、しばらく待て」
そう言うと、すみれ先生はキャノピーのシャッターを開いた。
「おお」
ニ十キロほど先に地球を背景に学園艦が見える。
乗っていた時は型落ちのポンコツだと思ったけど、13号艇に比べれば豪華客船だ。向こうからも、こっちが見えるだろう。クラスの仲間たちや先生たちが『また、あの問題児たちか』とか『ざまあみろ』とか言ってるような気がする。
「あれは?」
視力のいいヒコが最初に見つけた。
学園艦の方から、13号艇よりさらに小さい、たぶん四人ほどしか乗れない小型艇が接近してきた。
ガチャリ
古式銃がリジェクトするような音がしてドッキングが済むと、二人の同乗者が乗り移ってきた。
「やあ、また出会ったね」
「元帥!?」
懐かしそうに笑顔を向けてきたのは児玉元帥だ。先日と違って、儀礼服ではなくて、階級章が無ければ後方勤務の女性兵士と変わらない事業服だ。
元帥に続いて現れたのは、優しい目元が特徴の……でも、俄かには信じがたい。
森ノ宮親王さまだ!?
「ちょっと、事情があって火星までご一緒するよ」
「ご迷惑おかけします。森ノ宮です、よろしく」
宮さまは、簡単に、でも心のこもった挨拶をされる。突然のことに、ろくな挨拶も返せない俺たちだ。
「元帥、残りの荷物を取りにいこうと思うのですが……」
軍用の雑のう二つを持って現れたのは、元帥の副官のヨイチだ。
「いまさら戻っては学園艦に迷惑が……」
そこまで元帥が行った時、キャノピーの彼方に見えていた学園艦が大爆発した!
「なんでもいいから掴まれ! 衝撃波が来るぞ!」
すみれ先生が叫んで、みんな、咄嗟にフックやあれこれに掴まる。
ドッゴーーーン!!
13号艇は嵐の中の木の葉のように吹き飛ばされていった……。
※ この章の主な登場人物
- 大石 一 (おおいし いち) 扶桑第三高校二年、一をダッシュと呼ばれることが多い
- 穴山 彦 (あなやま ひこ) 扶桑第三高校二年、 扶桑政府若年寄穴山新右衛門の息子
- 緒方 未来(おがた みく) 扶桑第三高校二年、 一の幼なじみ、祖父は扶桑政府の老中を務めていた
- 平賀 照 (ひらが てる) 扶桑第三高校二年、 飛び級で高二になった十歳の天才少女
- 姉崎すみれ(あねざきすみれ) 扶桑第三高校の教師、四人の担任
- 児玉元帥
- 森ノ宮親王
- ヨイチ 児玉元帥の副官
※ 事項
- 扶桑政府 火星のアルカディア平原に作られた日本の植民地、独立後は扶桑政府、あるいは扶桑幕府と呼ばれる