何気なく下町から発信するブログ

台東区のスポットや寺社散歩の感想を交えてきままに書いています。

上野学園大学

2009年11月26日 | 東京下町エリアのご紹介
ジャンル:大学

【うえのがくえんだいがく】。上野と入谷の中間の位置にある大学です。英語では Ueno Gakuen University となるわけですが、大学(University)と言っても音楽文化学部と短大があるのみで、単科大学(College)というほうが正しい気がします。著名な音楽家が多数卒業されており、学校内には石橋メモリアルホールという立派なコンサートホールがあるそうです。

音大なので、私には縁がないところです。ちなみに台東区には大学が2つあります。ここともう一つは芸大です。もっと多くありそうな気がするのですが、東大も文京区ですし、そんなもんなんですね。

写真は地下鉄銀座線の車両基地あたりから撮影したものです。この辺りでは割と高い建物になるので目立ちます。



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上野バイク街

2009年11月25日 | 東京下町エリアのご紹介
上野駅の昭和通りから入谷方面、ちょうど岩倉高校の北一帯に「バイク街」と呼ばれるオートバイ屋が集まる一角があります。ただし二十年程前をピークにどんどん寂れているようで、私が自転車で通りかかったときもバイク屋は数店あったものの、人気はほとんどありませんでした。

バイクに乗ったこともなく、その魅力など判らない私ですので、寂れた理由はよく存じません。バイク人口は年々減っていると聞きますし、郊外に大型店ができたり、ネットで何でも買えるようになり、敢えて上野まで来る必要がなくなったというのが理由なんでしょうね。

往年当時は相当な活気があったようです。上野という場所柄、あやしさもかなりのものだったと言います。それでも全国からライダーたちが集まってくる何かしらの魅力があったのでしょうね。○○街というのは確かにそれを愛する者にとっては聖地のようで憧れでもあります。今はどこかに出向かなくてもモノが容易に手に入る時代になりました。便利になって喜ばしいことですが、物事の変化には必ず影も生まれます。集まる場所が消えてしまった、というのがそうなんでしょうね。

なんかまた一つ、「昔ここは栄えていた…」という場所を見つけてしまった気がしました。台東区はまだまだ現役で頑張っている場所も多々ありますが、そういうノスタルジックな場所も溢れております。

評価:☆☆☆☆



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鷲神社 ~本日二の酉

2009年11月24日 | 東京下町エリアのご紹介
本日は浅草酉の市の日。二の酉です。平日にも関わらず鷲神社の付近は混雑していました。入谷方面は金美館通り、浅草方面は国際通りが混雑して、普段では想像もできないほどの人だかり。新宿の花園神社や目黒でも行われているみたいですが、やはり酉の市は浅草が本家でしょうか。

ただし私はチラ見しただけで素通りです。去年見に行ってどんな雰囲気かはわかったので、もう今年は見に行かなくてもいいかな。熊手は高いし、商売しているわけではないし、飾る場所がないし、子供に壊されるし。一般人には取扱いが難しいんですよね。

嫌いじゃないんすよ。初冬の風物詩ですし、夏の朝顔と並んで入谷の暮らしに溶け込んでいるモノですから、「おや、もうオトリさまの時期だねぇ」と感じるのはいいものです。

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隅田公園から見た東京スカイツリー

2009年11月22日 | 東京下町エリアのご紹介
先日、隅田公園(浅草側)に散歩に行ったときに撮った写真です。東京スカイツリー(自称押上タワー)が見えます。ずいぶんと建ってきました。地元ではなさそうな人たちも「もうあんなにできているのか」と驚いていました。

隅田公園は吾妻橋近くに地下駐輪場があります。100円で一日利用ができるので、自転車にベビーカーを積んでここに停めて、ベビーカーで公園を散歩するということができます。吾妻橋から桜橋までずーっと遊歩道になっていますから、晴れた日は気持ちいいです。



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日暮里公園のアートな像

2009年11月19日 | 東京下町エリアのご紹介
日暮里公園内に石像があったので気になって周りを確認したのですが、作品の名前も誰の作品かも一切わかりませんでした。

どっかのオバハンが疲れて座りこんだ。そんな風にも見えますが、何を表しているのでしょうか?子供が遊んだり、年寄りが散歩したり、まあそういうことをする公園なのですが、何も疲れたように見える作品を置かなくていいのにね。公園のすぐ近くには小学校や朝鮮人学校があるので、ひょっとしたら児童が卒業記念などで製作した作品かもしれません。それにしてもちょっとツルツルすぎるかな?皆様はどう感じなさるでしょうか?

特に思い入れも、興味もないのですが、見つけてしまったので一枚撮ったまでです。

評価:☆☆☆☆



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一ツ橋

2009年11月17日 | 下町以外の東京近郊のこと
ジャンル:橋

【ひとつばし】。皇居の北側にある橋。下を流れるのは日本橋川で上流でまもなく神田川と合流します。橋の北側は神保町で、小学館や集英社など出版社が多い。文京区にその地名を残すとおり、現在の白山通りの位置に小石川という川が流れていたそうで、日本橋川とここで合流していたようです。

江戸時代には江戸城の一橋御門がここにありました。明治以後は門はなくなり、この一帯は大学が多い文教地区になりました。その名のとおり一橋大学が有名ですが、大学の施設はもうこの場所にはありません。かつての施設の一部は共立女子大学が使っているそうです。ちなみにその施設の一つだった如水会館はノリピー謝罪会見の場になりました(余談)。

さて、写真は橋上より東側の錦橋を撮ったものです。右手に見える石垣は江戸城当時の残骸だと思われます。上部は破壊されていますが、まだある程度形になっていて、往年の技術の粋が見られます。この写真では見にくいですが、この石垣の奥には崩れた石垣と思われる岩石が無数放置してありました(→写真)。うち一部には十字に丸の家紋が彫ってあります。島津のかな?

なんか今は高速の下に隠れてしまい、汚いだけの川を覆うだけになってしまいました。江戸の面影もほとんどなく、足を止める人もいないでしょう。やはり江戸散歩は相当な想像力が必要とされます。それでもこんな目立たない城垣を眼にすると、その想像も随分と膨らみますね。



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花川戸の鉄道橋

2009年11月17日 | 東京下町エリアのご紹介
ジャンル:鉄橋

【はなかわど-てつどうきょう】。隅田公園(浅草側)から見た東武線の鉄橋です。正式名称は東武鉄道隅田川橋梁というのだそうです。奥に見えるのは左が墨田区役所で右がアサヒビール本社ビル。

晴れた日に隅田川を見ながら堤防を散歩するのが好きです。特にこの辺りですと、電車(東武)、車(首都高向島線)、船(水上バス)とそれぞれの乗り物が見れるので、娘にとっては刺激的。電車が通る度に指を指しながら「オオォ!」と言います。ちゃんと教えた電車のベビーサインもやってくれます。車も同様に認識しているようです。船はもうちょっと時間がかかりそうです。

写真で見るとこの右側が浅草駅になります。橋の端から駅までは急カーブになっているので、電車は橋の中ほどで急激にスピードダウンし、ゆっくりと駅に入っていきます。出発するときも同じで、橋の中ほどまで来たところでスピードを上げて曳船方面に向かいます。特急電車もよく通りますし、通過スピードが遅いため、ゆっくりと電車が眺められます。

娘に電車を見せるにはこの場所はいい場所です。上野辺りだと陸橋の上から見下ろすことになりますが、ここは見上げるために全体がよく見えます。迫力もあります。本当は同じ目線で見れる踏切でもあればいいのですが、残念ながらこの辺りには踏切はなさそうです。踏切は渋滞しちゃいますからね。

唯一の欠点は、この辺りに住んでいるあまりきれいじゃない人が多いことですかね…。

評価:★☆☆☆



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よのや櫛舗(浅草)

2009年11月16日 | 東京下町エリアのご紹介
ジャンル:櫛屋

【よのやくしほ】。櫛のお店。浅草で唯一のようですが、つげの櫛を専門に扱うお店です。仲見世から伝法院通りを西に入って浅草公会堂の手前にあります。

娘の髪を梳かすために長持ちするつげ櫛が欲しいと思っていたので、先日思い切ってこの店に買いにいきました。

目に止まったのは3000円の櫛。大きめでいいかなと思ったのですが、お店の人が言うにはこれは輸入のつげで、国産のものと「全然違う」とのこと。何が違うのか具体的な説明はありませんでした。ただこの一言でこの安いやつを買いにくくなったのは確か。国産ですと小さめの櫛で4800円。たしかに質は良さそうですし、屋号が入っています(別にいらんけどね)。

大きめのほうが使いやすいと言われましたが、1cmほど大きなものは9000円くらいとのことで手が出ず。結局4800円の櫛と、800円のケースを買いました(写真)。

早速娘の髪を梳かしてみましたが、スッと櫛が通ります。妻も使ってみたところ「ビックリするくらい使いやすい」とのこと。つげの櫛は一生モノと言われますが、かなり長持ちして使えそうなのでいい買い物したなぁと思います。櫛の香りも素晴らしくよかったです。椿油の香りかな?

評価:★★☆☆



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入谷の路地

2009年11月14日 | 東京下町エリアのご紹介
入谷近隣は下町と言いながらも開発が進んで幹線道路とマンションが立ち並ぶ町並となっています。特に根岸より西は碁盤の目に近い区画が多いのですが、写真のような細くて昔ながらの路地を割と多く残っています。

やはりこういう路地には古い家屋が多いので、住まわれている方々がいなくなると一帯が取り壊されてマンションなどになっていくのでしょう。すでに人が住んでいないながらも近隣と合同で開発するためにそのままにしてあるような家を多く見かけます。

道を歩いていると、いきなりこういった時代を遡ったような風景が目に飛び込んでくるので驚きます。史跡が多いということばかりでなく、こういった予想外の驚きもあるので下町散歩は面白いのです。

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一橋家屋敷跡

2009年11月13日 | 下町以外の東京近郊のこと
ジャンル:史跡

【ひとつばしけ-やしきあと】。一橋家とは徳川将軍家の分家。御三家とは尾張・紀伊・水戸の徳川家を指しますが、吉宗以降に新設された御三卿は清水、田安、そしてこの一橋を指します。つまり一橋家とは徳川家であり、一ツ橋に屋敷を構えていたためにその分家を一橋と呼ぶようになったわけです。独立した大名ではありませんで、将軍家の身内扱いでした。

一橋家の屋敷は平川門を出たところにあったそうです。現在は丸紅の本社になっています。丸紅社屋の西側に小さな茂みがありますが、そこに屋敷跡の石碑が建っていました。もっとも当時の屋敷の敷地は広大で、現在の竹橋合同ビルを越えて気象庁の辺りまで全て敷地内だったそうです。

城側から見ると平川門は出ますが一橋門は出ていません。まだ江戸城内ということになります。この一橋家には幕末に水戸家より慶喜が養子にきて後継ぎとなりました。一橋慶喜となったわけで尊王の水戸家出身という過去は消え去りました。将軍家の身内の当主として将軍職を継ぐわけですが、この自他共に認める尊王の水戸の人間である慶喜が朝廷と争うことになるとは皮肉ですね。

「一橋」という地名は現在番地名にも地下鉄の駅名にもなっておらず、近辺にあった一橋大学も国立に移転してしまい、かろうじて首都高速のインターがあるくらいになってしまいました。東京に詳しい方か歴史好きでないと知らないような地名です。それでも想像を脹らまして見てみると、江戸当時にここに屋敷があって、北に一橋門があって、南に平川門があった。そう見えてきます。お堀の場所は変わっていないわけで、イメージするのが易しく楽しい場所だと思いました。

評価:★☆☆☆



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