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憔悴報告
ビリオンダラー・ベイビー@トゥモロー・ワールド
おれは『ミュンヘン』のレビューで、かの作品を「『天才マックスの世界』以来の大傑作」と評した。
が、それは大間違いだったと素直に認めよう。
その栄光に満ちた言葉を捧げるべきなのは、まったく予想していなかった場所からいきなり現れた『トゥモロー・ワールド』(原題『Children of Men』)という映画だった。
断言するが(おれはいつも断言して後で後悔するのだけど)、今回だけは間違いない。
『トゥモロー・ワールド』は、過去数年に渡っての最強の娯楽映画である。
今劇場で観なければあなたは負け犬だ。
すぐに映画館に行きたまえ。
話はそれからにしよう。
・・・で、観てきた?
観てきたよね?
ほら、すごかったでしょ?
どのようにすごかったかを、恐らくあなたはさっぱり説明できないはずだ。
なぜなら、これがものすごい娯楽映画だからである。
おれの認識に照らし合わせれば、娯楽映画はすごければすごいほど、そのすごさを他人に伝えるのが困難になる。
そして『トゥモロー・ワールド』は、映画史にくっきりと刻まれるほどの超大傑作娯楽映画なので、この衝撃を他人に伝えるのは極めて困難な作業であるわけだ。
そこで恐らく大抵の人は、過去の作品を比較対象として祭り上げる。
この場合、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』や『宇宙戦争』、あるいは素直にキュアロンのフィルモグラフィーから『天国の口、終わりの楽園。』あたりを持ち出すのかもしれない(別に『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』でもいいけど)。
または、このすさまじい映画を撮影したエマニュエル・ルベツキを辿って『スリーピー・ホロウ』や『ニュー・ワールド』を挙げてみるのもアリだろう。
が、しかし『シンドラーのリスト』+『プライベート・ライアン』+『宇宙戦争』+『天国の口、終わりの楽園。』+『スリーピー・ホロウ』+『ニュー・ワールド』みたいな映画だった、という説明は、この超絶大傑作に対していささか無礼なアプローチであるような気がしないでもない。
よっておれは、もう少し別の方法で『トゥモロー・ワールド』を紹介してみようと思う。
これはいたるところで長年議論されてきたことだが、本作についても多くの日本人が「説明不足で分からない」「脚本がいまひとつ」などという言葉で『トゥモロー・ワールド』の地位をおとしめようと(意識的にせよ無意識的にせよ)しているのはまことに嘆かわしい限りである。
つまり何が言いたいかと言うと、「一般的な日本人というのはやっぱり映画の観方を全然分かっていない」ということであり、言い換えれば「日本人には映画的教養が足りない」とか、もっとぶっちゃけちゃうと「日本人は映画について世界最低水準の感性しか持っていない」。
煽ってるつもりはないが、まあ煽りと言えば煽りか。
だって、IMDb(世界最大の映画情報サイト)ではものすごい評価高いんだよ、コレ。
なのに、日本の映画サイトではくだらない屁理屈ばっかりで、この映画の強烈な映画体験性がまったく無視されてしまっている。
要するに、日本人は相も変わらず映画そのものには興味がなく、映画の物語のみを抽出して語りたがるバカばかりのようなのだ。
頭でっかちも甚だしい。
いったいいつからこうなってしまったのか・・・みんな、子供の頃はもっと素直に、頭を空っぽにして映画に接していたはずなのに・・・とか書きたいことを書いてるうちに、『トゥモロー・ワールド』という作品自体について何も言及していないことに気付いたので、話を本筋に戻すことにする。
ワンカットの力という面では、既に伊藤さんが名文を書かれているので、そちらを参照していただきたい。
→「ワンカットの子供たち」
そう、この映画には、ものすごいワンカット・シーンが3、4回ほど存在する。
ただそのワンカットぶりというのは、おれが思うにアンゲロプロス系ではなく、やはりスピルバーグ系だ。
つまり、ここに「娯楽的ワンカット技法」という新たな金字塔が誕生したわけである。
しかし、そのような「娯楽的ワンカット技法」とおれが今勝手に名づけたものは、スピルバーグが既に『宇宙戦争』でやってしまったことでもある。
まあ、『トゥモロー・ワールド』の場合はそれをさらに特化させ、進化させているというのも確かなのだが、本作がより一層すばらしいのは別の要因による。
それはごく単純に、物語が優れているということだ。
優れた物語と優れた方法論が結実した、その類まれなる赤ん坊が『トゥモロー・ワールド』という超サイコー大傑作なのだと、おれはそう主張する。
この映画の物語がどのように優れているかについては、例えば本作のパンフレット(絶対買いだ!)を参照していただきたい。
粉川哲夫氏(→彼のサイト)が、「過去を思い出すことができないものは、過去を繰り返す宿命にある」という寄稿文の中で、この映画の設定および物語展開がいかに優れているかを実に的確に語っている。
「近未来は、SF映画やSF小説のように変わらない」
「現代人は、すでに「過去(の過ち)」を何度も犯しており、それを思い出すには、時代をすこし未来の方にずらしてみるしかない」
さすがに偉い人である。
この人の(映画を語る時の)欠点は、もっぱら設定と物語展開だけに終始してしまうところであったのだが、『トゥモロー・ワールド』について書かれた文章に関しては、十分に読み応えのあるものとなっている。
なぜなら、『トゥモロー・ワールド』という映画が優れた設定と物語を有しているからである。
そして物語以外の観点(映画にとってはこれは極めて重要である)については、上述した伊藤さんの名レビューがそれを補強することになるであろう。
このように、物語力と映画力を極めて高いレベルで両立しえた映画は、過去数年、ひょっとすると十年ほども存在しなかった。
忘れてはならない。
この映画は、たった今全国の映画館で上映されているのだ(2006年11月27日現在)。
え?まだ観てないの?
だからはやく映画館に行けって!
歴史の証人になりたいのであれば、すぐに劇場へ駆けつけよ!
業務報告
●結局おれがしたことって、粉川さんと伊藤さんのレビューを紹介しただけなような気がするけど。
いや、それで十分だと思うんだけどさ。
●これが大ヒットしない日本はやっぱおかしいぜ。
●『ハリー・ポッター』のアルフォンソ・キュアロンではない。
『天国の口、終わりの楽園。』のアルフォンソ・キュアロンでもない。
『トゥモロー・ワールド』のアルフォンソ・キュアロンである。
●なんかサントラも良さげですね。
が、それは大間違いだったと素直に認めよう。
その栄光に満ちた言葉を捧げるべきなのは、まったく予想していなかった場所からいきなり現れた『トゥモロー・ワールド』(原題『Children of Men』)という映画だった。
断言するが(おれはいつも断言して後で後悔するのだけど)、今回だけは間違いない。
『トゥモロー・ワールド』は、過去数年に渡っての最強の娯楽映画である。
今劇場で観なければあなたは負け犬だ。
すぐに映画館に行きたまえ。
話はそれからにしよう。
・・・で、観てきた?
観てきたよね?
ほら、すごかったでしょ?
どのようにすごかったかを、恐らくあなたはさっぱり説明できないはずだ。
なぜなら、これがものすごい娯楽映画だからである。
おれの認識に照らし合わせれば、娯楽映画はすごければすごいほど、そのすごさを他人に伝えるのが困難になる。
そして『トゥモロー・ワールド』は、映画史にくっきりと刻まれるほどの超大傑作娯楽映画なので、この衝撃を他人に伝えるのは極めて困難な作業であるわけだ。
そこで恐らく大抵の人は、過去の作品を比較対象として祭り上げる。
この場合、『シンドラーのリスト』や『プライベート・ライアン』や『宇宙戦争』、あるいは素直にキュアロンのフィルモグラフィーから『天国の口、終わりの楽園。』あたりを持ち出すのかもしれない(別に『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』でもいいけど)。
または、このすさまじい映画を撮影したエマニュエル・ルベツキを辿って『スリーピー・ホロウ』や『ニュー・ワールド』を挙げてみるのもアリだろう。
が、しかし『シンドラーのリスト』+『プライベート・ライアン』+『宇宙戦争』+『天国の口、終わりの楽園。』+『スリーピー・ホロウ』+『ニュー・ワールド』みたいな映画だった、という説明は、この超絶大傑作に対していささか無礼なアプローチであるような気がしないでもない。
よっておれは、もう少し別の方法で『トゥモロー・ワールド』を紹介してみようと思う。
これはいたるところで長年議論されてきたことだが、本作についても多くの日本人が「説明不足で分からない」「脚本がいまひとつ」などという言葉で『トゥモロー・ワールド』の地位をおとしめようと(意識的にせよ無意識的にせよ)しているのはまことに嘆かわしい限りである。
つまり何が言いたいかと言うと、「一般的な日本人というのはやっぱり映画の観方を全然分かっていない」ということであり、言い換えれば「日本人には映画的教養が足りない」とか、もっとぶっちゃけちゃうと「日本人は映画について世界最低水準の感性しか持っていない」。
煽ってるつもりはないが、まあ煽りと言えば煽りか。
だって、IMDb(世界最大の映画情報サイト)ではものすごい評価高いんだよ、コレ。
なのに、日本の映画サイトではくだらない屁理屈ばっかりで、この映画の強烈な映画体験性がまったく無視されてしまっている。
要するに、日本人は相も変わらず映画そのものには興味がなく、映画の物語のみを抽出して語りたがるバカばかりのようなのだ。
頭でっかちも甚だしい。
いったいいつからこうなってしまったのか・・・みんな、子供の頃はもっと素直に、頭を空っぽにして映画に接していたはずなのに・・・とか書きたいことを書いてるうちに、『トゥモロー・ワールド』という作品自体について何も言及していないことに気付いたので、話を本筋に戻すことにする。
ワンカットの力という面では、既に伊藤さんが名文を書かれているので、そちらを参照していただきたい。
→「ワンカットの子供たち」
そう、この映画には、ものすごいワンカット・シーンが3、4回ほど存在する。
ただそのワンカットぶりというのは、おれが思うにアンゲロプロス系ではなく、やはりスピルバーグ系だ。
つまり、ここに「娯楽的ワンカット技法」という新たな金字塔が誕生したわけである。
しかし、そのような「娯楽的ワンカット技法」とおれが今勝手に名づけたものは、スピルバーグが既に『宇宙戦争』でやってしまったことでもある。
まあ、『トゥモロー・ワールド』の場合はそれをさらに特化させ、進化させているというのも確かなのだが、本作がより一層すばらしいのは別の要因による。
それはごく単純に、物語が優れているということだ。
優れた物語と優れた方法論が結実した、その類まれなる赤ん坊が『トゥモロー・ワールド』という超サイコー大傑作なのだと、おれはそう主張する。
この映画の物語がどのように優れているかについては、例えば本作のパンフレット(絶対買いだ!)を参照していただきたい。
粉川哲夫氏(→彼のサイト)が、「過去を思い出すことができないものは、過去を繰り返す宿命にある」という寄稿文の中で、この映画の設定および物語展開がいかに優れているかを実に的確に語っている。
「近未来は、SF映画やSF小説のように変わらない」
「現代人は、すでに「過去(の過ち)」を何度も犯しており、それを思い出すには、時代をすこし未来の方にずらしてみるしかない」
さすがに偉い人である。
この人の(映画を語る時の)欠点は、もっぱら設定と物語展開だけに終始してしまうところであったのだが、『トゥモロー・ワールド』について書かれた文章に関しては、十分に読み応えのあるものとなっている。
なぜなら、『トゥモロー・ワールド』という映画が優れた設定と物語を有しているからである。
そして物語以外の観点(映画にとってはこれは極めて重要である)については、上述した伊藤さんの名レビューがそれを補強することになるであろう。
このように、物語力と映画力を極めて高いレベルで両立しえた映画は、過去数年、ひょっとすると十年ほども存在しなかった。
忘れてはならない。
この映画は、たった今全国の映画館で上映されているのだ(2006年11月27日現在)。
え?まだ観てないの?
だからはやく映画館に行けって!
歴史の証人になりたいのであれば、すぐに劇場へ駆けつけよ!
業務報告
●結局おれがしたことって、粉川さんと伊藤さんのレビューを紹介しただけなような気がするけど。
いや、それで十分だと思うんだけどさ。
●これが大ヒットしない日本はやっぱおかしいぜ。
●『ハリー・ポッター』のアルフォンソ・キュアロンではない。
『天国の口、終わりの楽園。』のアルフォンソ・キュアロンでもない。
『トゥモロー・ワールド』のアルフォンソ・キュアロンである。
●なんかサントラも良さげですね。
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TBありがとうございました。
何が良いって、クライヴの顔が最高でした。
ボクのなかでは役所と似てることになってます。
あのやつれた感じとかまさに。笑
そういえば、なんか最近やけにクライブ・オーウェンを見かけますよね。
いつもパンフなどは劇場にあるサンプル等でチラ見程度で済ませてしまうのですが、ryoddaさんが即買いと薦めてしまうほどですから、なんか気になってしまいますね・・製作スタッフの裏話とかよく載ってますもんね。
でも6~700円あれば、ポップコーンとMサイズのジュース買えるしな~・・・と食う方にばかり優先してしまう自分がなんかアンチクショウです
でも、『トゥモロー・ワールド』のパンフはやっぱ秀逸だと思いますし、ここで買いそびれるともう二度と入手できない可能\性もあるので、「絶対買い!」なんて書いたわけです。
個人的には、パンフレットは(作品自体を気に入ったかどうかは当然ありますが)テキストの充実度によって買うかどうか決めます。
その点、『トゥモロー・ワールド』のパンフはイケてると思いますんで、やっぱ買いかな、と。
ことなのでコメント欄だけ見て、
本文は楽しみにとっておきます。
「アズカバン」も見るべきだったのかな、と
ちょっと後悔。
あと「天国の口、終わりの楽園。」も
まだ見てないのですけど。
1000円で見に行ってきます!
初期の『リトル・プリンセス』や『大いなる遺産』も観てみようかな、と思ってるところです。
『アズカバン』もそんなに傑作とは思わなかったんですけど、アレはまあいろんな縛りがあったでしょうから例外かな、と。
ただ一見の価値はあるかとは思います。
(「観察者」のコメント、邪魔なので消しませんか。本人も「どうでもいいんだけど」と言っていることですし。)
あまり有益なやりとりでもなかったですし、要請らしきものもありましたし。
まあ、「正しい」とまで言われるとちょっとひるんでしまうんですけど、そういう気は以前からずっとしてたもので。
実状としてそうなっているのは確かみたいです。
>この映画をけなす人は、そもそも映画に向いていないんですよ。
それを言われるとなんか元も子もない気が、とかアジった本人が言うことじゃないか。
要は意識の問題だと思うんですけどねえ。
いまだに「映画=ストーリー」だと思ってる人がいっぱいいるらしいんで、その辺はかなり危惧してます。
全く仰るとおり、完全に同意です。
私の大して多くもない映画暦ですが、おそらくナンバー1になる映画でしょう。
何がナンバー1なんだって人に伝えづらいのもそのとおり。
コレをけなしてる人って本気で馬鹿としか思えない、映画を何だと思って観てるんでしょうね?
映画は凄いんだ!ってことを強烈に認識させてくれました。
1,000円しか払わなかったのが申し訳ないくらいです。
個人的には、映画はギャンブルだと思ってます。
なので、たまーにこういう大当たりがきたりすると、それまでハズレ映画にも投資しといてよかったなあ、なんて感じますね。
感慨深いものがあります。
お久しぶりです。
コメントありがとうございました。
いろいろ観てはいるんですが・・・
なかなかBlogには書けず。
「トゥモロー・ワールド」のことは書いたので、それ見て観に行った友人とかいますよ。
Shoomyさんはいろいろと活動してらっしゃるみたいですし、ブログ更新にまで手が回らない感じでしょうか?
こっちはまだ暇人ですが、もうちょっとしたら忙しくなってしまうやも、です。
セリフで、というか、字幕で説明されないと、説明不足とかダメな脚本と思っちゃうんでしょうかねぇ。
主人公を疾走させるために必要なことは、セリフ以外で充分に説明されてたと思うんですけどねぇ。
多くの人は、オーウェンの1人称視点で進んでる作品なんだから、彼が知り得ない情報は提示されないという、映画に限らず小説でも当たり前の原則が理解できないんでしょうかねぇ。
「ラストがワケわからん」なんて記事を時おり見かけましたが、1人称の主体であるオーウェンがくたばったんだから、あのラストが当然でしょ、なんて説明したってわかってもらえないだろうなぁ。
と、小心者のわたくしは自身のブログでアジることもできず、久しぶりに訪問させて頂いた人さまのコメントでグチ垂れてます(笑)。
てなわけで、TBありがとうございました。
>多くの人は、オーウェンの1人称視点で進んでる作品なんだから、彼が知り得ない情報は提示されないという、映画に限らず小説でも当たり前の原則が理解できないんでしょうかねぇ。
どうも日本では、いや日本でだけなのかどうなのか知りませんが、この「1人称」というのが受けが悪いようです。
これは単なる推測ですが、優れた物語=数多くの設定を網羅したものだと認識している人がここ数年かなり増えているような気がするのですが、どうでしょうか?
これは『宇宙戦争』のこともあり、またゲームの『ファイナルファンタジー12』のこともあり、今1人称という文化がけっこう危機に瀕しているのではないかと勝手に思っています。