韓信伝

国士無双と評された将軍、韓信の物語。

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謝謝

2009-09-10 21:11:49 | 日記
2009年9月9日に、10000回の閲覧と5000人のご訪問を頂きました。
これも訪問して下さるみなさまと、韓信大将軍のお陰と思っております。
どうも、ありがとうございます。
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韓信、最後の時を迎える。

2009-05-01 00:31:51 | 日記
韓信は宮中で、武装した兵士によって取り囲まれ、捕縛された。

 韓信は暴れることはしなかったが、呂后そして相国・蕭何の方を見ながらひと言こう叫んだ。

 「果たして、蒯通の言った通りであった。狡兎死して走狗煮らる、高鳥尽きて良弓しまわる…
 私は人生の最後において、あのとき蒯通の進言を受け入れなかったことを悔やむ!」

韓信は、長楽宮の鍾室で斬殺され、親族はすべて処刑された。

親征から戻った高祖・劉邦は、自分が不在の時に韓信が処刑されたことを知り安堵する一方で、その死を惜しんで憐れんだ。


後年、ある歴史家が、韓信の故郷・淮陰の地を訪れた。

 韓信は生前、母の亡骸を埋葬するのに一族がすべて収まるようにと、見晴らしの良い1万戸分の土地に墓を建てたそうだったが、果たしてその通りであった。

 その志は平常ではなく、漢興隆の勲功は実に後世の祭祀の対象となったであろうことから、泰平の身の処し方をその歴史家は惜しんだ。

国にふたりと無しと称された男の母が眠る故郷の丘の上を、ひとつの時代を見届けた涼風が吹き抜けていった。

 -韓信伝 終-
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韓信、宮中で捕縛さる。

2009-04-30 00:05:04 | 日記
陳豨は韓信との誓約通り、鉅鹿で反乱を起こした。

 信頼する臣下の造反に高祖・劉邦は激怒し、自ら軍を率いて鎮圧に向かった。

病気と称して長安に残った韓信は、役所の囚人たちを解放して彼らを送り込んで劉邦の妻・呂后と皇太子・盈を監禁し、政権を奪おうと謀った。

 配置も決まり、韓信は陳豨からの挙兵の報を待っていたが、そこへ相国の蕭何が訪ねてきて、韓信を親征成功の祝賀会に招いて言った。

 「この度は高祖が見事に、造反した陳豨を討伐なさいました。それにつきましては、そなたが病身であることは存じておりますが、
 ご自身に掛けられた疑いを晴らすためにも、親征成功の祝辞を述べに参内なされた方が良ろしいかと存じます」

 これを聞いて韓信はあまりにもの陥落の早さに、にわかに信じられずにいた。
 しかし韓信は、陳豨には気の毒だが、この状況に及んでは蕭何の招きに応じたほうが良いと判断した。

 大将軍に推挙してくれた蕭何が、自分に不利を働くようなことはすまいと韓信は思ったからであった。

韓信は剣を外し、宮中に入った。

 宮中で韓信は、呂后の指示によって武装した兵士に囲まれ、縄をかけられた。

 企てはすでに蕭何らの知るところであり、韓信に恨みを持つ下僕が呂后に計画を密告していたのだった。

韓信は、自分の決断が遅きに失したことを知って、苦渋の表情を浮かべた。
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韓信、主君・劉邦に反乱を企てる。

2009-04-29 18:51:46 | 日記
斉王だった韓信が捕えられ淮陰侯に降格されたことは、他の諸将にも高祖・劉邦に対する懐疑の念を抱かせた。

 「韓将軍ほどの功績のある人物でも陛下はお疑いになり、処分を下して褒賞を取り上げなさるのか…」


漢の臣である陳豨は鉅鹿の太守に任命され、出立の前に長安の韓信の屋敷へ挨拶にきていた。

 韓信は陳豨の手を取って誰もいない庭へ行き、天を仰いで嘆息し、それから静かに話し始めた。

 「あなたには、私の話が分かるだろうか…私は、あなたと話したいことがあるのだ」

 韓信を尊敬していた陳豨は、かしこまって話の続きを促した。

韓信は、重大な胸の内を打ち明けた。

 「あなたは陛下の信任も厚く大切にされている家臣だ。人が、あなたが漢に叛いたと言っても、陛下はきっと信じるまい。
 しかし、もう1度聞けば疑い、3たび同じことを言われればきっと怒って、自ら将となって征討に赴くだろう。

 その隙に私が空となった都(長安)を掌握し、諸国に蜂起を促す…
 私が宮中から乱を起こしたなら、不満を持つ諸将がこれに呼応し、天下を動かすことができる。

 あなたの赴任地である鉅鹿は精鋭部隊がいる要衝なので、守るに固く容易に落ちることはないだろう」

昔から才能を知り、冷遇を受けるその境遇にいたたまれない思いを禁じえなかった陳豨は、韓信の言葉を信じて謹んでその通りにすると誓った。
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韓信、侯となりて思う。

2009-04-28 11:03:33 | 日記
漢王は手かせ足かせをはめさせ、捕えた韓信を後の車で護送させた。

 洛陽の地に到着してから罪を赦免して、韓信を淮陰侯とした。

 「狡兎死して走狗煮らる、高鳥つきて良弓しまわる…」
 韓信は人の言っていた、この言葉を思い起こしていた。


韓信は、漢王が自分の能力を恐れ憎んでいることが分かり、いつも病気と称して出仕しなかった。

 韓信の精神は懐疑にまみれ、もともと社交的ではなかった心から、次第に内に籠るようになった。

以前に韓信は、将軍・樊噲のところに立ち寄ったことがあった。

 樊噲は同じ侯の位にもかかわらず、韓信を大王・自らを臣と呼んで礼をつくし、韓信に最大の敬意を払って迎えた。

 しかし韓信は「私は生き長らえて、樊噲のような者たちと同格になっている…」と自嘲した。


漢王は酒の席で、韓信と将軍たちの能力についてよく話をすることがあった。

 韓信は、漢王の問いに答えて「陛下は十万の兵を率いるに過ぎません、しかし私は多ければ多いほどいいでしょう」、と言った。

「それならば、どうして私の配下になっているのだ?」と漢王が聞くと、韓信はこう答えて言った。

 「私は兵を率いることができますが、陛下は将を率いることができます。

 これは天が与えた能力であり、私が陛下の臣となった理由でございます」

韓信は言わずにはいられないサガと、自分の心境を伝えずにはいられなかった。

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