連休の一日、山手線駒込駅から5百米ほどのところにある「六義園」
にいってみました。
リハビリで歩くにはちょっと距離がありましたが、がんばってしまい
ました。
「六義園」は、江戸時代、4代将軍の徳川綱吉に幕臣として仕えた
柳沢吉保が作庭した庭園で、大名庭園として国の特別名勝に指定
されています。
柳沢吉保は、1694年(元禄7年)に川越藩主になっています。そして
翌年の元禄8年から7年の歳月をかけてこの六義園に造営にあたり、
完成は1702年(元禄15年)。
吉保は、704年(宝永元年)には、7万2千石の川越藩主から15万石の
甲府藩主になっています。幕府の老中格・大老格とのことですので、
まさに幕府の要職にあった人物ですね。
ところで、この「六義園」は吉保が亡くなった後荒れてしまいましたが、
しかし、明治時代に入り、三菱財閥の創設者岩崎彌太郎の所有となって
復興し、1938年(昭和13年)に東京市に寄付されて現在にいたっています。
庭園の真ん中にある池のまわりをぐるりと一周してみました。さすがに
休み休みでした。
青い空の下、緑の芝生におおわれた池の周囲は、すっかり秋の気配が
ただよっていました。
日本庭園には、やはり彼岸花や萩がよく似合います、
これは、ユリ科のタイワンホトトギスではないかと思いますがー。
池にうつる木々の緑。いいもんです。
でもやっぱり足が痛くなってきました
にいってみました。
リハビリで歩くにはちょっと距離がありましたが、がんばってしまい
ました。
「六義園」は、江戸時代、4代将軍の徳川綱吉に幕臣として仕えた
柳沢吉保が作庭した庭園で、大名庭園として国の特別名勝に指定
されています。
柳沢吉保は、1694年(元禄7年)に川越藩主になっています。そして
翌年の元禄8年から7年の歳月をかけてこの六義園に造営にあたり、
完成は1702年(元禄15年)。
吉保は、704年(宝永元年)には、7万2千石の川越藩主から15万石の
甲府藩主になっています。幕府の老中格・大老格とのことですので、
まさに幕府の要職にあった人物ですね。
ところで、この「六義園」は吉保が亡くなった後荒れてしまいましたが、
しかし、明治時代に入り、三菱財閥の創設者岩崎彌太郎の所有となって
復興し、1938年(昭和13年)に東京市に寄付されて現在にいたっています。
庭園の真ん中にある池のまわりをぐるりと一周してみました。さすがに
休み休みでした。
青い空の下、緑の芝生におおわれた池の周囲は、すっかり秋の気配が
ただよっていました。
日本庭園には、やはり彼岸花や萩がよく似合います、
これは、ユリ科のタイワンホトトギスではないかと思いますがー。
池にうつる木々の緑。いいもんです。
でもやっぱり足が痛くなってきました
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます