ヒマヒマノキ ~歩いて、見て、楽しんで~

庭園・街の花、まつり・名所。いろいろな出会いを,その時々の想いを交えて、皆様にお届けします。

冬のイルミネーション ~立川・武蔵境・三鷹・吉祥寺~

2014-12-28 | まつり・イベント
中央線沿線の各駅に途中下車。それぞれの駅前のイルミネーション
を見てきました。
          
何百万球というイルミネーションには到底かないませんが、小さな
飾りが駅前広場などで頑張っていました。

まずは立川駅。どちらかというとモノレールの立川北駅のほうが
ちかいかもしれません。最近の乗降客の多さには目を見張ります。

           

           

           


武蔵境駅です。駅名がどーんと表示され、そしてかわいらしい
トナカイなども飾られていました。
          
           

           

           

三鷹駅です。こじんまりと。でも“ここは三鷹だぞ”と主張して
る感じです。

           

           

           


若者にに人気の吉祥寺駅です。もっと飾られているのかと思いましたが
意外に少ない感じでした。あるいはクリスマスを過ぎていましたので、
縮小してしまったのかもしれません。                    
アーケードの飾りがきれいでした。

           

           

寒空の中、どの街も、地域おこしに懸命でした。
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日本の城 9 ~会津若松城~

2014-12-28 | 旅行
会津若松城は、別名鶴ヶ城と言われます。会津藩の悲劇を刻んだ城です。

         

城自体は「会津若松観光ナビ」のHPによれば、今から630年前の南北朝
時代に、葦名氏によって築城されたのが始まりとされます。
城は、悲劇のうちに1874年(明治7年)に廃城となりましたが、
1965年(昭和40年)に再建されています。
         
         

         

         

会津若松城といえば、戊辰戦争における新政府軍との戦いの中で、
飯盛山で自刃した白虎隊(市中二番隊:16歳~17歳の少年隊士20名)
の悲劇は誰もがご存知のことと思います。

         

         

しかし、その苦難の歴史は、戊辰戦争後も続きます。
読売新聞の日曜版「よみほっと」(2014年10月26日)には、
「ここは戦場なるぞ、会津の国辱雪(そそ)ぐまでは戦場なるぞ」との見出し
のもとに、青森の下北半島の斗南藩に移住させられた会津藩士たちの過酷な
生活についての記事が載っていました。
記事の書き出しにはこう書かれています。

  「『朝敵』『逆賊』。明治維新に際し、戊申戦争に敗れた会津藩は
   このような汚名を着せられ、藩領を没収された。」

会津藩士たちの一部はまた、北海道の余市にも移住しており、苦難と生活苦
の中、リンゴ栽培を成功させています。

この会津藩士の苦難の物語は、余市町のHPに紹介されています。

   余市でおこったこんな話(その17:『リンゴ』の巻)
   他の自治体について(会津と余市町の歴史)

これは、NHKの朝ドラで話題になっている「マッサン」の物語(竹鶴政孝氏と
リタさんの物語)にかかわる余市のリンゴの話です。
ちなみに、小説「リタとマッサン」植松三十里(集英社文庫)にも取り上げら
れています。

   「漁師たちは鰊漁で景気がいい。そのために幕末の戦争に負けて、
    身ひとつで移住してきた農家を、いまだに軽んじる。売れない
    林檎などを作って何になるかと、あざけるのだ。
    そんな状況だけに、今度の買い上げには、農家は大喜びだった。」
    (P259)    

なお、戊辰戦争で敗れた会津藩士の山川浩(斗南藩権大参事)、
佐川官兵衛(鬼の官兵衛)は、西南戦争に参加し西郷隆盛率いる薩摩軍
と戦っています。

会津若松市は、NHKの大河ドラマ:八重の桜で全国に知られました。
それを生かそうということでしょう、鶴ヶ城では、「おもてなし武将」
の方がボランティアガイドを務めておられました。

        

「がんばれ、会津若松」  そう叫ばずにはいられません。
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