日々遊行

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ジャン・コクトーのたどる道 1 (誕生~20歳)

2008-11-20 | Jean Cocteau

Cocteau 1889年7月5日、緑多いメゾン・ラフィットで、ブルジョワ家庭に3人兄弟の末っ子としてジャン・コクトーは誕生した。
エッフェル塔が誕生した年でもありフランスは歓喜に湧きかえっていた。

芸術を愛好する家庭環境は、幼いコクトーの自我を見知らぬ世界へと誘う
魅惑を感応させるに十分なもので溢れていた。
祖父が開く音楽会の楽器の音、絵を描く父の絵の具の匂い、
母が父と夜の劇場へ出かける衣装の擦れる音など。

劇場空間へ行くための母の身支度は、彼にとって母から女神に変わるメタモルフォゼの瞬間でもあった。
その幸せな少年時代に突然訪れた現実。
父のピストル自殺は衝撃の現実であり、以降、コクトーにとって死は決定的な観念となって
生涯彼につきまとうことになる。

そして、リセ・コンドルセで出会ったダルジュロスは、美徳と悪徳の化身のようにコクトーを幻惑した。
後に「恐るべき子供たち」に象徴的存在として登場する。

二度のバカロレアに失敗したコクトーを心配した母は、ディーツ教授に彼をゆだねるが学業を放棄し、デッサンを描き、劇場へ通いつめ、
詩作に打ち込む日々を続ける。                      

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右の写真は7歳のコクトー 「夜想15少年」(ペヨトル工房)                                        

 
1908年、俳優エドワード・マックスの支援により、フェミナ座で自作の詩を発表し、大成功をおさめた。
若き詩人ジャン・コクトーの誕生である。
この時朗読した詩を「アラジンのランプ」として自費出版するが、19世紀末の詩人たちの類似を指摘され、
続いて出版した「浮かれ王子」「ソフォクレスの舞踏」とともに、この3冊を自分の履歴から抹消してしまうが
フェミナ座の成功はコクトーの詩人としてのスタートを、華麗に開花させた。

社交界への階段を昇り、多くのサロンに姿を見せた詩人は洗練を身につけ、アンナ・ド・ノアイユ伯爵夫人の詩に影響を受け
詩作の道を深めてゆく。

翌年、ロシアバレエ団率いるセルゲイ・ディアギレフと運命的な出会いがあり
これを機に、コクトーは自己認識の変革を遂げてゆくことになる。

参考文献
「評伝ジャン・コクトー」 秋山和夫/訳 (筑摩書房)
「ジャン・コクトー 幻視の美学」 高橋洋一 (平凡社)                                  


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