黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

長崎さるく #34 伊王島炭鉱跡

2009-07-27 06:40:04 | 長崎さるく
長崎県の長崎港から南西約10kmの距離にある伊王島。
今では癒しの湯を中心に、リゾート観光の島として知られますが、
かつて炭鉱で賑わった島だったことはあまり知られていません。

安政五年 (1858)に、
長崎海軍伝習所の教官が炭鉱の様子を報告していることからも、
伊王島炭鉱の開発は、県内の他炭鉱同様、
すでに江戸時代に行われていたことがわかります。

その後個人経営の時代経て、
昭和16年 (1941) に長崎鉱業が本格的に開坑、
昭和29年 (1954) に閉山時の経営だった日鉄鉱業が吸収、
7,000人以上の従業員とともに炭鉱景気を迎えるものの、
昭和47年 (1972) に閉山。

電力や水を全て炭鉱施設に頼っていたため、
炭鉱閉山時には街の存続も危ぶまれる状態だったそうですが、
近年では楽園計画が成功し、
関西や関東からのリゾート観光客で、
賑わいを取り戻しているようです。



現在では炭鉱施設は殆ど残っていません。
前回アップした沖ノ島天主堂へ行く海岸の道沿いに、
かろうじていくつかの痕跡が確認できるばかりです。
一見がけ崩れ防止用の壅壁の様に見えるのが、
かつての選炭場の基礎だそうです。
たまたま通りかかった方に炭鉱の事を訪ねてみると、
偶然にも元炭鉱マンの方だったので、
いろいろお話を伺う事ができました。



画像に写る階段は、選炭場のすぐそばにあり、
職員専用風呂場のための階段だったそうです。
元炭鉱マンの方は熱心にいろいろと教えてくれて、
隣接する林の中にある、ボタコンベアの基礎まで案内して頂きましたが、
殆ど確認できず、さらに暗かったので、画像はなしですm(_ _)m



選炭場跡や風呂場跡の目の前の道を挟んで海側には、
すでに使われなくなった炭鉱時代の港「築港」があります。→Mapion
お話を伺った方の話だと、
ここが石炭の船積み桟橋の場所だったという事ですが、
前回の記事でもアップした松竹映画『家族』の、
冒頭シーンに登場する操業時の様子を見ると、
この港に隣接する平場から接岸する船に積み込んでいたようです。
それにしてもこの画像では港の状況が全然分からないので、
高台から見てみる事にしました。



高台から眺めると港の形がよくわかります。
港の右側の平地にはかつて球場があり、
盛んに練習が行われていたようです。
野球のことは全然しらないのですが、
日鉄って有名な球団だったそうですね。
元炭鉱マンのかたから伺いました。



せっかく高台に登ったので、
選炭場の上部も見てみようと薮の中へ入るものの、
うっそうと茂る木々に阻まれて断念。
木々に埋もれる当時の施設の痕跡らしきものを見ただけ(T.T)



炭鉱マンの方から、さらにその上には
職員の住宅もあったと伺ったので、付近を見回してみると、
道沿いにひっそりと佇む石段を発見。



早速登ってみるものの、
またまたうっそうと茂る木々に阻まれ、
少なくとも視認できる範囲ではなにも見当たらなかったので、
またまた断念(T.T)



とりあえず職員住宅があったといわれる小高い丘の反対側へ行ってみると、
無用に放置された空き地があるものの、
伊王島炭鉱の坑外施設の見取図などが全くないので、
きっと炭鉱関連の施設があった場所だろうと想像しながらも、
なんだかわからず(T.T)

船着場の近くにあったレンタサイクルのお店の横に、
古そうな手書きの島内案内板があり、
そこには「坑口」の文字が書いてありました。
しかし店の人に行き方を尋ねてもすでに薮の中だそうで、
船が出るまでの残りの時間を、
地図に書かれていた場所にめぼしをつけ探索するも、
結局なにも発見できず(T.T)

ちなみに映画『家族』には、ほんの一瞬ですが、
炭車に乗って入坑するシーンが登場します。

さていろいろ教えて頂いた元炭鉱マンの方ですが、
お話を伺った後、沖ノ島天主堂の6時のミサへ行かれるということでした。
映画『家族』に登場する主人公の家族も、
炭鉱マンでありながらカトリックの信者という設定ですが、
島民の60パーセントが信者というのも、
妙に納得してしまいました。

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2 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
子供の頃住んでました (福井 淳一郎)
2011-07-02 20:38:59
小5から中1の一学期まで いました
今でも ありありと 覚えてます。
まさに 炭鉱最盛期でした。
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▼福井淳一郎さんへ (KLO@廃墟徒然草)
2011-07-04 10:49:11
ご覧のように、今では殆ど面影も残っていませんが、
現地で、当時お仕事をされていた方のお話を伺う限り、
とても輝いた時代があったことを感じました。
これからも伊王島へ行く機会はあると思いますので、
新しい発見がありましたら、記事に出来ればと思っています。
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