シリーズでアップしている三池炭鉱。
惜しくも解体されてしまった施設の2つ目は、
その櫓の形がとても特徴的だった四ツ山坑です。

大正12年(1923)に開削された、
三池炭鉱では中期に活躍した坑道の四ツ山坑は、
なっといってもその竪坑櫓の形が際立っていました。
ワインディングタワー式と呼ばれる竪坑櫓で、
志免炭鉱、真谷地炭鉱、中興鉱業、羽幌炭鉱、
そしてこの四ツ山とあわせて、
国内では5基しか造られなかった形の櫓の1つです。
ワインディングタワー式の竪坑櫓に関しては、
以前アップした志免炭鉱の記事で触れているので、
そちらをご覧下さい。
志免鉱業所竪坑櫓 #02
四ツ山坑は昭和40年(1965)まで稼働しました。
その後タワー櫓は残っていましたが、
保存の声も届かず、惜しくも平成8年(1996)に解体されました。
それは三池炭鉱閉山の前年でもありました。

(画像は大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在はその基礎が残るばかりで、
華麗なワインディングタワーの姿を見ることはできません。
この櫓は、三池炭鉱だけではなく、
国内の炭坑史の中でも貴重な技術として存続しても良かったしせつなので、
こうして亡くなってしまったことを思うと、
とても残念です。
◆
【四ツ山坑跡】
福岡県大牟田市新四ツ山
地図はかつて有明坑があった場所。
四山坑はほとんどの施設が解体されています。

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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惜しくも解体されてしまった施設の2つ目は、
その櫓の形がとても特徴的だった四ツ山坑です。

大正12年(1923)に開削された、
三池炭鉱では中期に活躍した坑道の四ツ山坑は、
なっといってもその竪坑櫓の形が際立っていました。
ワインディングタワー式と呼ばれる竪坑櫓で、
志免炭鉱、真谷地炭鉱、中興鉱業、羽幌炭鉱、
そしてこの四ツ山とあわせて、
国内では5基しか造られなかった形の櫓の1つです。
ワインディングタワー式の竪坑櫓に関しては、
以前アップした志免炭鉱の記事で触れているので、
そちらをご覧下さい。
志免鉱業所竪坑櫓 #02
四ツ山坑は昭和40年(1965)まで稼働しました。
その後タワー櫓は残っていましたが、
保存の声も届かず、惜しくも平成8年(1996)に解体されました。
それは三池炭鉱閉山の前年でもありました。

(画像は大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブ様所有)
現在はその基礎が残るばかりで、
華麗なワインディングタワーの姿を見ることはできません。
この櫓は、三池炭鉱だけではなく、
国内の炭坑史の中でも貴重な技術として存続しても良かったしせつなので、
こうして亡くなってしまったことを思うと、
とても残念です。
◆
【四ツ山坑跡】
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地図はかつて有明坑があった場所。
四山坑はほとんどの施設が解体されています。

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