晴耕雨ログ

晴れの国の片田舎で暮らす自然派おばさん
畑仕事に生甲斐感じながらゆるゆる歩む農婆の人生

気がかりだったこと

2014-06-24 21:37:58 | Weblog
 近ごろは、家の事、自分の死後の事もあまりしがらみもなく人生を歩んでいるかのように見えてくるのは自分だけではないようです。
 夫は長男、ちょっと古めかしい言い方ですが跡取り息子です。

 毎日の忙しさに追われながらも気になっていたこと。
 来年は戦後70年の年。昨年は母が亡くなり、戦後生まれの者ばかりの我が家となりました。
毎年4月には戦死した叔父の命日祭の案内が護国神社より送られてきます。
これまで、祭祀料を郵送して命日祭に出向くことのない遺族でした。
父も無くなり血縁関係も薄くなり甥である夫がこれまで命日祭を祀ってきました。
 戦後70年の節目として、今日は叔父の永代祭祀のお願いに護国神社へお参りしました。

 心のどこかに跡取りとしての慰霊を考えて<大和ミュージアム>へ旅したこともありました。
 今後は、我々夫婦より後の者に委ねることもないだろうとの判断で出向いたわけです。
      
 二つの大鳥居をくぐると広い境内には人影もまばら。
 正面の本殿に向かい参拝。
 周囲には忠霊塔・宝物遺品館・舞楽殿・忠魂碑・慰霊碑などが建ち並んでいます。
 宝物遺品館は叔父の遺品も収めていますのでこの機会にお願いして見学しました。
 
 永代祭祀により、跡取り息子の役割の重さを改めて感じたものです。

  < 人生の 荷を降ろし行く 途半ば >
    

 



最新の画像もっと見る

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今晩は (釣志です)
2014-06-24 23:07:02
時が流れ、代が代わり、、、
次世代の事を思われて永代供養、、、ご立派です。

そういう所を大事にキッチリされてたら、若いもの孝行

孝行の文字の使い方は適切ではありませんが、、、
返信する
Unknown (博多の華)
2014-06-24 23:41:22
昨年亡くなった昭和三年生まれの父は、特別幹部候補生の試験を受けて軍隊に入りました。
15~16歳? 父達の翌年の人が最期じゃないかな?
九州に住む戦友の人も残り二人になったそうです。
だんだんと過去の記憶になって行きますね。

私のgooブログが不調です。
しばらく更新を休むかもしれません。
ご心配なく
訪問は、こまめにしますよ
返信する
こんばんは (しまそだち)
2014-06-25 00:32:44
ご主人のおじさまは、あの大和に乗られたのですか?
お若くして、戦死なさったのですね
4月というのは、大和が撃沈された日ですね

父の弟、舅の弟も戦死しております
父は、靖国に対しては、思うところが、あったようです

戦後、70年も経ったのですね
沖縄が返還されて 40年
未だ帰って来ない北方領土です

そして、戦死者をお祀りする人も歳を重ねてしまうのですね
返信する
大和ミュージアム (スイカ)
2014-06-25 05:14:13
私も行きました。
広島県の呉は周囲を山で囲まれ波穏やかな瀬戸内海に面した造船の町でした。
潜水艦を陸に揚げて「鉄の鯨」と命名して内部が見学出来たのは嬉しかったです。
18年生まれで、戦争其の物の記憶はありませんが
今ほど生活物資が豊かでなかったのは確かです。
現在は異常に豊富過ぎます。
返信する
ご苦労様です。 (たー君)
2014-06-25 21:37:02
御長男であるが故のお役目、ご苦労様です。
自分の事も含めて、今は段々長男、長女の認識、役割も薄くなり、
親も子供を当てにせず、というような風潮になりつつありますが、
一族の関係稀薄化が核家族化や出生率低下に
つながってきているような気がします。
ルイコさんの所は、まだしっかりとそのしきたり、伝統を守っているんですね。
国を挙げての、もう一度、日本!の想いです。
返信する
同居世帯 (ルイコ)
2014-06-26 04:44:06
 釣志 さんへ
 我が家は少々古風な同居世帯です。
父が早く亡くなった分、私たち夫婦は若いうちから<家>を感じながら暮らした感があります。
 強要することなく次世代にバトンが渡せればいいかな・・・と思いますね。
返信する
語る人がいない (ルイコ)
2014-06-26 04:50:47
 博多の華 さんへ
 父から戦争の話は少し聞いてはいます。若い頃は、「また~」そんな思いで聞いていました。
 今、語る人もいなくなりました。戦争を語る=平和を語るでしょうか。
 厳しい先人の時代があり、今があることを忘れてはいけないですね。
 ブログの回復を待っています。
返信する
戦死 (ルイコ)
2014-06-26 05:07:19
 しまそだち さんへ
 「戦死」と私たち夫婦は護国神社へお祀りしている叔父にお詣りしましたが、「戦死」は母親である祖母にとってはどのような思いでいたかと・・・。
 叔父は戦艦大和に乗っていましたから4月7日が命日となります。
 先祖供養を永代にすることも私たち夫婦の判断ですが70年の節目です。
返信する
大和ミュージアム (ルイコ)
2014-06-26 05:14:59
 スイカ さんへ
 私たち夫婦は忙しいばかりの中で子育てや果樹栽培、そしてサラリーマンもしていたわけですからほとんど二人で出かけることはありませんでした。
 共に働くことしかなかったようですが、それはまた良い人生だとおもえます。
 大和ミュージアムは記憶に残る旅でした。
 豊かさにあふれた現代、過去の歴史を知ることも大事だと思えます。
返信する
古くからの姿 (ルイコ)
2014-06-26 05:25:14
 たー君 へ
 我が家は日本の古くからの姿を残していると感じます。
同居は家族でありながら気遣いもあり、その部分がまた現代に受け入れがたいところかもしれません。
 お互い様は小さな家庭の中でだけでなく広く社会にもいえることでしょうね。
 しきたりや風習も意義深いところがあると思いますね。
という私は核家族で育ったんですが・・・。
返信する