Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

2009/3/14 午後

2009-03-14 23:55:47 | 京都

せっかく行ったので、東映太秦映画村での写真を。
時代劇セットでの1シーン。なんちゃって、あれは常設の人形ですけど(笑)。動きがやけに人っぽい。


映画村のセットの中ではちゃんばらショーがあったり、水戸黄門さんでおなじみの風景があったり、まずまず楽しめました。今週テレビでたまたま水戸黄門を見て、「お、この景色あそこじゃん」と認識できておもしろかった。テレビって、撮り方うまいなーと感心。


おなじみ遠山の金さんの白州。

映画村は1日いられる場所、、、ではないかもしれないが、京都の片隅でがんばる俳優さんや、お稽古にはげむ俳優さん予備軍。映画の世界をざっとかいま見れるのだが、あの少しさびれた感じもなんだか独特。

♪人生楽ありゃ 苦もあるさ~ 
涙のあとには 虹も出る~ 
歩いてゆくんだ しっかりと 
自分の道を ふみしめて~♪

午後半日、水戸黄門のメロディが頭の中を離れず、3人でてくてく歩きながらも鼻歌がとまらん。
これって、、、名曲じゃんと思ったりした。

2009/3/14

2009-03-14 23:20:44 | 京都
群馬から友だちが来たので、その子の関西の友だちと合流しスマート珈琲でランチをした。
このお店、大好きです。お店の中、雰囲気が「昭和」だからかしら。創業は1932年!

ランチ時は、お客さんが入れ替わり立ち替わり混み合っている。観光客らしき若い女性も多いが、年輩のお客さんも多い。お客さんの中に、おばあちゃんとおじいちゃんでテーブルに向かい合って洋食を食べている老夫婦がいて、その姿がなんだか素敵でした。あのご夫婦は、もう何度ここに来ているのかしら。お年寄りが歓迎されるお店っていいな。歳をとったら入りにくいお店も多々あるなかで、昔から変わらず、という時を重ねたあたたかさはうれしい。

長く続く洋食屋さんや喫茶店、そういうパブリックな「食べる場」って、人の人生のいろいろなシーンでの本当の意味でさりげない背景になっている。よしもとばななの小説に、たしかそんなこと書いてあった。背景になれるようなお店。ホンモノだなぁ。人生のいろいろな場面、なんともない日曜日や大事な友だち、誕生日、記念日などなど、自分のヒストリーのバックにいつもそのお店があった、、、なんて素敵だなぁ。ずっと続く変わらなさ、それってすごいことだよね。


スマート珈琲店
京都市中京区寺町通三条上る
075-231-6547

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この後、太秦映画村にいきました。京都に10年住んでも行くことはなかった映画村。。なかなか楽しかったよ。

2009/3/13

2009-03-13 23:20:42 | 以前のシゴト
提携している小学校にてプレゼンテーションの機会を与えられた。今年度のふりかえりと、次年度への提案も交え、校長・副校長はじめ、多くの人に話を聞いていただく。

小学校という現場にこうして企業として入り込んで、先生と一緒になって週に1度コンスタントに授業づくり&実践に関われたことは、本当に貴重な体験だった。まだまだやれることはたくさんあるなぁ、と思いながらも、ここで年度が終了。アート×デザイン×プログラミング、こうした「デザイン活動を通じた学び」のなかに、「プロジェクト/チームワーク」「人と協調すること」「つくること」「工学的なものの見方」などなどいっぱいつまっていたのでおもしろかった。

合科型でまだまだ名前のつかないカリキュラム、一見したところ理科のようにも見えるのだが、科学的なものの見方(真理の追求、「なぜ?」「どうして?」の追求)を育てることよりも、目指していたのは、問題解決の手順「どうすれば?」の追求。すなわち工学的なものの見方をどう育てるか、ということ。スピリットは技術教育に近い。新しいカリキュラムを小学校につくる、という仕事は、さまざまな「問い」との対峙であり、先生達もこちらも試行錯誤。結局のところ、自分の教育観に偏ってしまいがちになるところを、「本当にこれが必要か」という大前提から、「他に方法がないか」「なにを目指すのか」「学校でやることか」という問いと思索と逡巡に満ちた3年間だったと思う。

どの教科にもそれを教えるのに適切な年齢というものがあるので、基礎教育をおろそかにしてまで贅沢な学びを持ち込もうとは思わないが、でもやっぱり基礎基本を定着させながら反復や暗記ではなくて「自分でものを考えられる」こども、というのが理想。頭でっかちではなくて、実際に手を動かして考えられる、ことが大切。

「~できない。」
「じゃあ、どうする?」

っていう、『じゃあ、どうする?』が出てくるこどもであってほしいし、小さい時にそんな経験をたくさんしてほしい。自分もそういう大人でありたいし。教育観の押しつけかなぁと思いながらも、自分が信じていることじゃないと教えられないし本当の意味で関われないって思う。

2009/3/12

2009-03-12 23:40:31 | 日常
3ヶ月前に、ある試験を受けていたのだけど。
その結果が今日届いて、『不合格』。

もう長いこと「試験」という類のものを受けてなかったから、試験を受けることの作法のようなものを忘れてしまっていた。勉強する→試験受ける→結果出る、という当然のプロセスについて、あーまーりーにも取り組まなさすぎた。「不合格」という事実は、いたかった(想定範囲であっても、目の当たりにすると胸がいたい)。いたかったんだけど、いちばんダメだと思ったのは、大きな努力が必要な状況で、力を抜いて取り組んでいた自分がいたこと。しっかり取り組んでないのに、結果をドキドキして待ってみたり、、、「あんた、ちがうから」とスリッパで頭をはたいてやりたい!>過去の自分。

なんだか情けない話だけれど。失敗の苦みさえ味わえないような、ぬるーい、ずるーい、おとなになっていそうな危機感を持ったのだ。やだやだ、困る困るそんなおとな。中途半端が、一番わるい。やってないのにやった気になって、どきどきして結果を待ってしまった自分、あー、たちが悪い。

試験を受ける人の作法:準備に力をつくすこと。
今度なにか受けるときは、胸はって結果をドキドキして待てるようにならないと。

街カフェより山カフェ

2009-03-10 23:02:49 | 日常

入り口には小さな看板がひとつ。道路のわきのあぜ道をのぼっていくと、左手にお地蔵様。それ以外は雑木林。しばらくいくと、ひっそりと建つログハウスふうのカフェ。灯りがついてる。それまで殺風景だった景色の果てに、人がいる形跡が見えてくると、うれしい。

桐生で連れて行ってもらったのは、梅田の山の中にたたずむカフェ。好きな本を持ち込んで、いつまでもいつまでも長居していたい、そんなカフェでした。2人で行ったのに、お互いコーヒーとココアをすすりながら、黙々と読書をしてました。なんて贅沢な時間。いつ来るとも知れぬその日のお客さんを、2つのだるまストーブに火をともしながら待っているカフェがある。あんな山の中で。素敵だなぁ。オーナーさんは1人。完全に趣味の世界でとても自然体。

街カフェより、山カフェのほうがじわんと心にしみる。あたたかい時間でした。また行こう。

「1日の終わりの言葉」

 海原 純子

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P.S. 置いてあったこの本に、とても癒されました。

中古の一軒家、いいなぁ。

2009-03-09 23:19:39 | 日常
日曜日は、群馬県桐生市へ。なつかしい。
教員時代の思い出とプライベートの思い出、たくさんつまった街。
桐生は東京のベッドタウンでもなく、地方にありがちな中途半端な田舎ではある。でも景観を考えずに巨大ショッピングモールが建ってしまうような風情のない田舎ではないのがいいところ。「まち」としての気品を失っていない街なんだな。古くから織物の街として栄え、のこぎり屋根の織物工場も点在する。自然や建物の景観がどこかノスタルジックで、雰囲気がいい。わずかに残る古い町並みと、ややシャッターは多いけれど昔ながらの商店街。寺と、神社と、学校。清流と、緑の山々。渡良瀬川と桐生川。わたらせ渓谷鉄道。いいなぁ、桐生。

そんな街で、古い一軒家を借りて住んでいる友達。そこに泊まりにいった。
いってみると本当に「家」だったのでびっくり。一人暮らしのアパートやマンションとは話が違う。一人でも「家」をかまえているところがなんだか素敵。縁側、庭、応接間、廊下、、、わ、2階もある!つるつるピカピカのかっこつけの家具ではなく、自分好みの古い家具、味のある古民具を見つけてきては暮らしの中に取り入れていく彼女。でも彼女にしたらこの古さもまだもの足りないらしく、「もっとうーんと古いのさがしてるんだけどね~」と。きちんと暮らしをしている様子がひしと伝わってきて、とても気持ちのよい滞在だった。

それにしても。
背筋のびますね、一軒家。
マンションに暮らしていると、冬でも暖房つけなくてもあたたかいことがある(密閉されているからか、部屋が集合しているからか)。かなり寒がりの私にはそれはありがたいことで、一軒家の寒さが大・嫌・いでした。でも、今回はなんだかそのピリっとした寒さが心地よかったのです。部屋から部屋への移動とか、寒い廊下とか。冷たい空気がなまった精神をピシッと統一してくれたんでしょうか、背筋がシャンとのびるような気がしました。


この家おちつくよ~!

多摩でランチ

2009-03-08 23:01:27 | 日常
土曜日は、多摩センター近くのASTANA GARDENにて、友達3人でランチ。ここ、ちょうど1年前に仕事で来たことがあり、その開放感のある明るい雰囲気とオーガニックのお料理が忘れられなかった素敵なレストラン。たまたま友達がこの近くに住んでいるので、念願かなって2度目のランチとなった。


ASTANA GARDEN
〒206-0042
東京都多摩市山王下 2-2-2
Tel)042-338-0011

ゆっくり会うのは本当に久しぶり。この3人でよくごはんを食べ、20代のいろんな時間を共有した間柄。
それでもいま30代。「変化のとき」だなぁと実感する。昔のあの頃の自分たちが1人単位で起こしていたものとは全然種類の異なる「変化」の波。だって転職や留学は1人でするものだけれど、新しく家族になったり、家族を増やしたり、というのは自分以外の誰かの人生とともにするものだから。住む場所、仕事、環境も、自分を中心に据えて選べることはなくなってくる。いま30代の友達に会うとそんな話が多いんだよね。

あちらこちらで、人生のいろいろなイベントによって、ひとところにはずっと留まっておれない状況というのが発生していて、引っ越さなければいけなくなったり、仕事を中断、あるいは辞めなければならなかったり... 。そんなとき思う。私にもポータブルな技術や知識が必要だなーと。国や地域や文化を選ばず、どこへでも持ち運べてどこででも使えて(あるいは転移可能で)、、、という汎用性のある専門性。考えることにつかれると「あぁもういいや。この際ぜ~んぜん違うこと始めよかな!」なんて思ったりするのだ。そんなことを妄想するのは私だけではないようで、友達もおなじく「最近ね、○○(資格)を勉強しようかなと思うんだよね、昔からじつは興味があったんだよね」なんて言い出す。えぇーっ!今やってることとぜんぜん違う!!なんて盛り上がる。でも頼もしくもある。彼女がいうと妄想に聞こえないのは、コツコツ積み上げていく人、という素質の持ち主なのを知っているからかな。

むかし興味があったけれど、自分の進路や職業にするほどの興味に育たなかった「種」のようなもの。そういう昔のかけら(種)を掘り出してきて、自分の手の中で再び育ててみようかなと考えてみるにはいい時期なのかもしれないね。まだまだ変わってもいけるし、逆にどんどん深めてもいける。ライフコース的にみると、選択と決断に満ちた、おもしろいときなのだろうね、30代って。

父の定年

2009-03-01 17:20:53 | 日常
実家の父が定年退職を迎えた。60歳。
2月が父の誕生日で、60になった誕生日月の末日が最終勤務日となるので、明日から会社に行く必要がない。

母の言い出しにより、母と兄と私で、サプライズのパーティを企画。といっても大層なことではなく、父に予告せずに兄と私が実家へ帰り、みんなで父の退職と還暦を祝おうというシンプルなものだけれど。

家に着いたら、居間の壁に母親の字で『おつかれさま お父さん ありがとう!』という即席でつくったようなポスター&飾りつけがしてあって、笑けた。私より一寸先に筑波から兄が家に帰り着いていて、家族4人揃ったところで「どう?お父さん、びっくりした?」とニコニコ顔で聞くと、こたつに入ったままの姿勢で「うん、まぁね」とあいかわらずそっけない返事。。

家族4人で久しぶりに(10年ぶりぐらい?)すきやきをした。父はすきやき鍋奉行となって、卓上で関西風のすきやき(大阪出身のため)をつくってくれた。それから、NHKでやっていた白州次郎のドラマを見ながら、母がつくったいちごのケーキを食べたり、コーヒーを飲んだり。久しぶりに実家に住んでいた頃を思い出す一家団欒のひとときでした。


還暦ということで、私からのプレゼントは、赤パン!
娘から父親に還暦に赤いパンツをプレゼントすると、縁起がいいらしい、です。その他、兄や母からもプレゼントがあった。会社の人から届けられた胡蝶蘭や、メッセージや、花束なども、父の定年退職という事実を静かに語っていた。あまり実感がわかないんだけどね。

勤続36年間。父はシリコーン製品の研究開発、製造から販売・輸出入に関わり、最後は製品開発のコンサルを担当していた、らしい。その間、東京、大阪などへの数年単位での転勤や単身赴任もふつうにあったし、会社の合併、吸収などにより社名も何回か変わっている。世のサラリーマンと同じく、長い間、社の方針に身を預けて働いてきたのだろう。こどもの頃から父親の仕事内容はまったく未知だった。何度か理解しようとして尋ねたことがあるのだが、その度に私にはわからない化学記号を出して説明するので、いつも頭の中は「???」「だから結局何やってるの???」という疑問で終わる。今回は「6歳の女の子にも分かるように説明して」と冗談でお願いしてみたが、やはり同じ化学記号をだして、「そもそも有機材料の中には...」「ケイ素というのは...」「碍子(がいし)がね...」ときた(それじゃ6歳の子にはわかりませんてば)。・・・変わってないわ。笑。

まぁでも、36年間、自分はシリコーンという物質の研究開発に携わることができて本当によかったと最後に言っていたのが印象的。それが聞けただけでも、家族としてはうれしいこと。「おつかれさまでした」と、それ以上のねぎらいの言葉は見つからない。本当におつかれさまでした。


おまけ:
最近車を買い替えた父が選んだのは、クーペスタイルのほぼ2人乗りのスポーツカーのようなやつ。父は過去36年間、ファミリータイプカーに乗ってきた人だ。実家の庭にその見慣れない曲線ボディの車が停まっているのを見て、
「え、お父さん、60歳にしてこんなのに乗るのー???」とたじろぎながら聞くと、
「乗ってみたかったんだよね。」と嬉しそうなのだ。

最初は「えー!?」と思った。
でも、たった一度きりの人生だもの。
好きなこと・やりたいことを、できるうちにどんどんやっておくのがしあわせ、なんだよねきっと。