Silver linings

カリフォルニアで子育てとか仕事とか。

はやいー

2008-12-04 23:58:05 | 日常
年末です!
ものすごい速さで日々が過ぎていく。
刻々と、時が刻まれるたびに一瞬一瞬が過去に流れていってしまう喪失感、
あーっっ、ちょっと、ちょっと、待ってぇーっ!っていう、
まるで、乗ろうと思っていたバスに置いていかれてしまうような、そんな感じなのです。
毎日がハラハラ。胃がきりきり。
足元おぼつかない&どこにいても落ち着かない今年はとくに時間に対して焦りを感じます。

ちょっと安心するのは、
今のこの日々は新しい2009年へとつながっている、と思えること。
だから、時間の喪失なのではなくて、
新しい2009年のための縦糸と横糸を日々生成している、と思えたらいいね。
(でもやっぱりすごい速さのように感じられるよね、この時期は)

思うこと

2008-12-03 23:51:15 | 日常
いろいろな意味で、この1年や、日本に帰ってきてからの丸3年をふりかえっている。
日本に帰ってきてからともに働いた人達のこともふくめ、私をとりまく環境も変わってきた。
そして今も現在進行形で変わりつつある環境、かくいう自分自身だって、興味関心ごとをつねに拡散させながら過ごしてきた。
ふりかえれば、あちらこちらを向いた無数の足跡たち。そのつま先を「だいたいこっちのほう」というふうに揃えられるような1つの方向へ向かっていきたいなと思う。

けれども、未踏の地へ進もうとするとき、迷いや、邪念や、怖さがいつもつきまとう。
なかなか進めずにいた私の背中をくいと押してくれるのは、ともに同じ方向に向かおうとする他者の存在。一緒に喜んだり不安になったり、励ましたり気づかせたり。具体的な知力と行動力を持って、本当の意味で自分にそそがれる力は、いつも熱となって前へ進むエンジンになる。それでも自分たちではどうにもならない、力の及ばない外界のことに直面したとき、もしも1人だったらそこで費やされる落胆のためのエネルギーは計り知れないだろうに、なんだかいつのまにかすっと抜かれているような、気持ちが楽になっているのを感じる。

はたしてしあわせとはなんだろうか、と、自分が思うしあわせの意味も、すこしづつ違って見えてきた。この3年間はそれを気づくのには少し長過ぎた感もあるけれど、1人で考え抜いたのではない、対話によって今ここまでこれたことに感謝している。

気分転換@下北沢

2008-12-02 23:48:46 | 日常
仕事の後、下北沢にてお好み焼きを食べつつ、友人先生とまたまたプログラミング教育やデザイン教育談義。
いろいろ議論したいことがあっても、自分のテクニカルな知識と経験のなさにより時間切れで終わる。

お腹いっぱい食べたあとは、知り合いのライブへ。会うの1年ぶりぐらい。
こじんまりとしたライブハウスは、アトホームな雰囲気でここちよい空気感。


自分をアンプリファイしてくれるツールをひとつ背中にせおっている姿は、
まるで現代のギター侍(ざむらい)ね。


楽器ひとつでステージに立ててしまうなんて、いいなぁー。
手を使って指を使ってからだで「かなでる」楽器というパートナーを持っている彼のことが少しうらやましい。

楽しみや喜びのために何かひとつだけツールを選ぶとしたら、
そして「パソコン以外で」という条件がついたら、
私は何をえらぶのだろうか。うーん、深刻な問題。考えなくちゃ。
ひょいと持ち運びできて、自分がさわればそこでなにか新しいできごとが始まってしまうような、
そういうツールがパソコン以外に私にはあったっけ・・・?
(Macは自分にとって、というかすべての人にとって、すでにそういうツールであると思うけど)

「自分」 × 「○○(ツール)」= 「 !? 」
こんなふうに可能性がひろがっていくような、そういう「モノ」と「自分」についての公式、
私もたくさん見つけていこうっと。

夕方会社を出るとき、とてもいやなことがあって落ち込んでいた気分も、
いつのまにかすっきりしていた。澄んだ冬空みたいに。

京都→東京→まだ帰れない

2008-12-01 21:46:49 | 以前のシゴト
日曜日、新幹線で京都からとんぼ返りのあとは東大にて仕事。
赤門のところの銀杏が本当にうつくしかった!東京大学って、キャンパスの木がみなすごく大きくて、立派で、木のそばを歩くとすごく気持ちいい。とくにこんな晴れた日には、深呼吸して見上げる。
目にせまる鮮やかな黄色。


夜、友達とその友達7人で新宿にて沖縄居酒屋。
「男の子が3人来るんだけどみんなゲ○だから、女子の集まりだと思って来て。たのしい人達だから。」って、
行ってみたら本当にたのしかった。ていうか、女子以上に女子な会話だったよ。
東京で出会う人はみな、愉快でたのしい人達。
もずくの天ぷら初めて食べた。おいしかった。

たのしい中にも、ショッキングなニュース。
実はもうすぐ終わると思っていた出張が長引くことになった・・・。

たのしそう、と言われるけど、好きになれない寮での生活に精神的につかれがピーク。Quality of Lifeはどこへ?って感じ。それに別の事情もあって、今、ほ・ん・と・うに切実に京都が恋しい。帰りたい。
でも、つかれた私の「気晴らしに」と自分の地元の友達との集まりにこうして呼んでくれたり、いろんな東京体験をさせてくれるこっちの友達にも感謝している。

仕事だから仕方ないとはいえ、見通しのつかない今の生活に爆発寸前なのだけど、
「いつまでこっちにいられるの?」と言ってくれる東京の人達と、
「そろそろ帰ってくるころやろ?」と気にかけてくれる関西の人達。
そんな人たちに支えられてなんとか今日も、って感じで日々が過ぎていく。

京都の紅葉

2008-12-01 21:33:04 | 京都
11/29-30、ふたたび京都へ戻り、今度は両親と紅葉を見に行った。

京都駅で待ち合わせ、叡山電鉄で鞍馬へ(再び)。鞍馬は天狗や火祭りで有名。山の中、凛とした空気からはなにかスピリチュアルな力を感じる。あ、ここでパワーもらって帰ろう、そう思いながらてくてく鞍馬寺の本堂まで歩く。道中、深紅のもみじにはっとしたり。

夕方は市街へ降りてきて、父の晩酌につきあいながら軽くお好み焼きなど。その後、祇園界隈をブラブラしながら、清水寺界隈へ。夜になってもあちこちのお寺さんでライトアップをしていて、京都の紅葉シーズンは昼の部・夜の部ともにおおにぎわい。大好きな祇園の白川、昔バイトしていた料亭のある花見小路、お茶屋さんへ向かう舞子さんにも遭遇し、「初めて見た」という母にとっていい記念に。清水へ向かう道中、両脇にならぶみやげ物屋さん、夜店、、、など、「ザ・観光地」と言える観光スポットを人ごみのなか歩いてつかれたけれど、勝手知ったる京都の街はやはりどこかほっとする。

両親とは日曜日の早朝、京都駅のカフェモーツアルト(朝7時からやってる)にてコーヒーを共にしたのが最後で、私はそのまま仕事のため東京へとんぼ帰り。私にとってはたった34時間の京都滞在であったが、大切な時間を過ごせてよかった。


(デジカメで京都の紅葉をたくさんおさめたのに、そのデジカメを東京へ持って帰ってくるの忘れちゃったのよねー。。携帯写真はこれ1枚だけ。)

----
※後日写真を追加 (2009/11/21 追記)

しとしと雨上がりの鞍馬山。

(左)清水寺 (右)鞍馬山


深紅のもみじが苔むす屋根の上に。
風が吹いてぱらぱらともみじが舞ってくる様子も見えてとっても幻想的でした。


もみじの舞った水面。いちだんときれい。


石畳、石段、もみじ。
今これを書いているのがアメリカなので、こういう何気ない地面もなんだか郷愁にかられる思い。


母の背中に真っ赤なもみじ。
母は気づかず、教えてあげても「あら、そう?」というだけで、この後しばらくこのまま歩いていたよう。夜、街に戻ってからもくっついていたもの。

懐かしいなぁ~、京都。
こちらへ来てもやっぱり京都はいつまでも心のふるさとです。もちろんいつまでも「お客さん」なのですが(笑)。10年住んでも、もっと住みたかった(あわよくば、また住みたい!)と思ってしまう。京都は、いろんな出来事があった街、自分が形成された街です。

また訪れる日を楽しみに。