さて、タイトル通り、今回は「目黒記念」について語りたい。
現行における「目黒記念」は日本ダービーの後、12Rに行われている。
コースはもちろん府中(東京)で2500m。
これがなんと昔、目黒記念・春という名称で実施されておりました。
目黒記念・春(東京競馬場)
<距離の変遷>
3400m(1932~38)
3900m(1939~43)
3200m(1947~50)
2500m(1951~)
※中山開催が4回、ダート2300mでの施行が1回
こういう変遷を辿ってきました。だいぶステイヤーよりの距離ですね、粘りに粘ったが3200mは50年で打ち切りに。
まあ春天もあるし、これはいいでしょう。
本題は、ここからです。
なんと昔は、「目黒記念・秋」もあったんですよ!そりゃ春があるからなんですが
目黒記念・秋(東京競馬場)
<距離の変遷>
3400m(1932~43)
3200m(1948)
2600m(1949)
2500m(1950~56)
2600m(1957※中山)
2500m(1958~63)
2600m(1964※中山)
2500m(1965~83)
1957~64年はすごく迷走してる、面白いですねえ。
中山2600mは昔どんなコースだったんだろう。
これが83年に廃止され、実質的に「アルゼンチン共和国杯(東京・2500m)」に引き継がれました。
東京3200m見たい…見てみたくない…?
しかし、やはり「目黒記念・秋」という名称がぼくは初めて見たときにもう全力で惹かれましてね、なぜこの名前を捨ててしまったのか。どういうことだ、農林水産省!と思うわけです。素晴らしいじゃないですか。目黒記念・春は、第1回東京優駿よりも早く実施されたために、日本では最古の重賞なんですよ。なぜこの伝統的なレース名を捨てるのだ、と思うわけです。アメリカで言うならば、ラン・フォ・ザ・ローゼスのような象徴たるものではないのか。
素敵な名前のレース名が消滅していき、よくわからない横文字ばかりのレース名の増加には正直うんざりしています。
サウジアラビアRC?いや、いちょうステークスでいいだろうと、なぜ良さを捨てるんだろうと。たんぱ杯とかもそうですけど、もったいない。
レース名というのは、人々のこころを踊らせる一つの大事な要素です。
大切に守っていただきたいものです。
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