台風19号の被害に驚き、胸ふさがれ、投稿を自粛していた。
令和になっても災害は続く。
この先に何が待っているのだろうかと、前途を悲観したくなる。
だからこそ、この記事を書くことにした。
10月2日、弘前から八戸へ向かったのは、
「日曜朝市」でも、かの『八食センター』でもない。
今売り出し中の屋台横丁でもなかった。
司馬遼太郎の『街道をゆく3 陸奥のみち・・・』で
「どこかの天体から人がきて
地球の美しさを教えてやらねばならないはめになったとき、
一番にこの種差海岸に案内してやろうと思ったりした。」
という文章を思い出したからだ。
この件(くだり)、あまり明るい書き出しではない。
「午後2時10分、種差海岸に達した。
浜は断崖になっている。墨汁のように真っ黒な火山灰の土で、浜に接続して海中に
地球の骨ともいうべき岩山があり、クリームをたっぷり入れたコーヒー色の岩肌のむこうに濃すぎるほどの海の色があって、ひどく明るい。」
ここまでは自分もあの日見た通りの風景だ。
しかし土地の人にとっては、そんな生易しいものではないらしい。
次の文が続く。
「この岩山の上に季節になると海猫があつまってくる。
その大群の鳴き声が天に満ち海を圧してきこえてくると、
この冬も生きてすごせるのだろうかという荒涼たる心細さを感じる、
と私にいったのは、八戸うまれの友人のYだったが、
この海岸の陽光の中に立っていると…(以下先に書いた文章が続く)」
似たような話を自分も以前、現役時代、青森出身の同僚に聞いたことがある。
彼女は、
「あんなところ、二度と帰りたくない!」と吐き捨てた。
「雪ばっかり!」とも。
五所川原出身の作家、太宰治も悪口ばかり言っていなかったか?
しかし、他所から訪ねていく身にとっては素晴らしかった。
10月初めの、あの芝生の上を渡っていくやさしく乾いた風。
その風と一緒に「何の花?」、いい匂いが吹き過ぎる。
誰かに、力をなくしているすべての人に、
この風を、この溢れるような光を届けたいと思った。
種差海岸は、またの名を『三陸復興国立公園』の中にある。
東日本大震災の大津波に、海岸も芝生も、打ちのめされたのだ。
その後、地域住民とボランティアさんの諦めない努力と、
今日も続く日常的な整備の賜物と聞いた。
水平線を船が進んでいく。
船体に、陽光が反射してさらに明るく輝く。
特に何というわけでもないのに、しあわせだと思ってしまう。
種差海岸は、そんなところだ。