ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

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女子ガイコク人列伝(第27話)ロッシー・モレノ

2008年12月29日 02時14分42秒 | 女子ガイコク人列伝
1965年10月17日生まれ、メキシコシティ出身。164cm、65kg。(得意技)セントーン、ゴリー・スペシャル
 本名マリア・デル・ロシオ・モレノ・レオン。アマレスのオリンピック・コーチの父を持ち、生まれ育った自宅がアレナ・アステカ・ブドーカンという試合会場だったから、幼い頃からルチャドーラを目指すことになる。ブドーカンという名は父が東京オリンピックにメキシコ・ナショナル・チームのコーチとして来日、文字通り、日本武道館から取ったものだ。
 ロッシーは父にルチャの基礎を習い、78年にネッサワルコヨで若干12歳の少女ながらデビュー。このネッサは実家のある場所で、いわばスラム街?のような場所。けして上流階級でなないが、根っからのルチャ一家の長女として78年にデビューした。その後82年には、エスタド・デ・メヒコ(メキシコ州)王座を獲得。UWAを主戦場に活動していたため、86年1月には全女に初来日した。激情ファイターだが、一見してその落ち着いた雰囲気は、ベテランっぽさをかもし出していたものだ。
 シリーズ中の大阪大会ではジャガー横田の持つUWA世界王座に挑戦。最後の旧大阪府立での見納めが、このタイトルマッチだった。グラン浜田のルートで、翌年にはジャパン女子プロレスの旗揚げシリーズに参戦。同団体には妹のエステルが留学生として加入していたから、日本で姉妹対決なども行ったことになる。帰国後に“殺人医師二世”ドクトル・ワグナー・ジュニアと結婚。二人の子供の母となり、一時はリングを後にした。ちょうど90年代の初頭で、私はよくエステルを訪ね、メキシコシティ郊外にあるイスタパラパの自宅に行ったものだ。ロッシーはここでワグナーと暮らしていたが、エステルも同じ家でワグナーの弟シルバー・キングと同棲中だった。つまり姉妹と兄弟が二組のカップルとして、一つ屋根の下で生活していたのだ。
 ロッシーはよくポヨ(チキン)を焼いて食事をご馳走してくれ、ROSSYと名前が入ったブレスレットを私にくれたことがあった。ロッシーとは女性の名前だから、私がロッシーを名乗っていると「なぜ女性の名前なのに?」と言われたことが多々あった。ロッシーは女の子と男の子を産んだが、後にワグナーとは離婚。ネッサの実家に戻ると今度はAAAで復帰した。ソチ浜田&ペンタゴン夫婦と抗争。確かペンタゴンと不倫関係を演じた。その後は三女のシンティアと姉妹で対決したり、ルーダとして磨きがかかってきた。AAAのマッチメーカーであるマルコス・メディーナの弟であるフーゴ・メディーナと再婚。双子を初めとする3人の子にも恵まれた。長女は早、20歳を越え弁護士を目指しているという。最近はフリーに転身し、メキシコ国内だけでなく、米国にも進出。円熟のルーダは相変わらず暴れまくっている。

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