ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第36話)ファビー・アパッチェ

2009年01月17日 18時45分25秒 | 女子ガイコク人列伝
1980年12月26日生まれ、メキシコシティ出身。160cm、65kg。(得意技)ぺディグリー、トルニージョ
 本名ファビオラ・バルブエナ・トーレス。アパッチェの次女として生まれ、96年1月にレディ・べネムのリングネームでデビュー。マリー同様、アルシオンのトライアウトで合格し、日本行きの切符を手に入れた。1歳年上のマリーとは本当に仲が良く、日本での生活を楽しんでいたが、ファビーはいつも「メヒコに帰りたい」が口癖だった。実力者マリーがどんどんアルシオンの主力になっていったが、ファビーはいつもマイペース。それでも日本選手と一緒になって、日本スタイル、アルシオン・スタイルをマスターすることに努めていた。
 十代から二十代の前半をほとんど日本で過ごしたファビーは、01年10月27日には第5代スカイハイ・オブ・アルシオン王座に君臨。マリーに遅れること1年半後の初戴冠だった。シリーズがオフになるとアパッチェ姉妹は決まって私の家にやってきては、何日も泊まっていった。毎晩、夕食はメキシコ料理。マリーがメインディッシュを、ファビーは特製フルーツを作ったものだ。このフルーツはボールの中にヨーグルトをたっぷり入れ、イチゴ、バナナを切った物をミックスした優れもの。二人は私にとって子供のような存在だった。ある正月などは、どこで覚えたのか「オトシダマ(お年玉)!」なんて言葉を言ってきたものだ。
 02年7月にメキシコに帰ってから、ファビーは正式にAAAで活動。父親と組んでAAAミックスタッグ王者にもなったが、ファビーはルチャドールのバリー・ボーイと恋愛関係となったことで、現実がファンタジーの世界に導入されることになった。事実、バリー・ボーイとの間には長男ロベルト君が誕生した。04年5月には『ハッスル』に参戦、翌05年1月にはAAAの日本ツアーのため来日。パワーあふれるルチャは豪快そのもので、オカマやミニとのタッグで楽しませてくれた。その際、オカマのピンピネーラとは、ホテルで同室になったこともあった。オカマなら安心というわけか…?
 06年、07年、08年とメキシコでファビーと再会しているが、その雰囲気はまったく変わっておらず、私のことをいまだに「シャチート(社長ちゃん)」と呼んでいる。07年9月の『トリプレセイム』に出場のため来日し、ディファ有明の控え室で会ったが、たった3日間の滞在はハードだったようだ。AAAマットでは週の半分以上、試合が組まれる売れっ子である。姉のマリーが正式に復帰し、08年6月の「トリプレ・マニア」では姉妹による、カベジェラ戦にまで発展。何と姉のマリーを破り、丸坊主にしてしまったのだ。レイナ・デ・レイナ王者にもなり、今やAAAに欠かせないエストレージャになったファビーは、無欲ながら意外に息の長いルチャドーラになりそうだ。


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