ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

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女子ガイコク人列伝(第10話)サンディ・パーカー

2008年12月05日 02時35分54秒 | 女子ガイコク人列伝
1952年3月2日生まれ、カナダ・ブリティッシュ・コロムビア州バンクーバー出身。156㎝、63㎏ (得意技)ヘッド・バッド、スクリュー・ドロップキック
 “黒い稲妻”と称された70年代を代表する黒人レスラー。69年、デトロイト地区でルー・クラインのジムからプロレス・デビューし、くまなく全米中を転戦。早くから頭角を現し、人気選手の仲間入りを果たした。私はアメリカの専門誌でパーカーの存在を知ったが、モノトーンの写真を通じて、その雰囲気は黒人特有の強さを想像したものだ。
 日本には73年5月、全女に初来日。このシリーズで全女は後楽園ホールに初進出を果たし、パーカーはいかんなく実力を発揮した。当時は、星野美代子がWWWA世界王者。パーカーはこの星野を破り、赤いベルトを強奪。一躍、日本における地位を確立したのだった。シャープなドロップキック、迫力のあるヘッド・バッドは、ボボ・ブラジルばりのジャンピング式。何かブラジルの再来を見るかのようだった。
 しかし、パーカーの全盛期は77年頃を境にじわじわと衰えが目立つようになってきた。パーカーは同年の3月に来日してから、全女からは声が掛からなかった。だからビューティー・ペア時代には、パーカーが活躍する出番は残念ながら無かったのだ。ロス地区を拠点として活動していたパーカーだが、次に全女に姿を現したのは、81年10月のことだった。      
何と頭をモヒカン刈りにして、異種格闘技戦要員として、プリンセス・モホークと名乗った。格闘経験の無いパーカーだったが、参戦したのは、九州シリーズのみ。福岡出身のデビル雅美、長崎出身の長与千種が異種格闘技戦の対戦相手に選ばれ、モホークならぬ、パーカーと闘ったのだ。それも負けることも、しばしば。ほとんど毎日のように異種格闘技戦と称した闘いに出て行った。まあ情報も無い呑気な時代だったわけだ。その後、パーカーの行方は知らない…。

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