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女子ガイコク人列伝(第29話)エステル・モレノ

2009年01月02日 09時57分44秒 | 女子ガイコク人列伝

1969年2月20日生まれ、メキシコシティ出身。153cm、58kg。(得意技)ムーンサルト・プレス、ラ・ケブラーダ
 本名マリア・エステル・モレノ・レオン。4歳上の姉ロッシーの影響で幼い頃からルチャと親しみ、スペル・アストロやケンドーに憧れていた。ブルー・パンテルのコーチを受け84年3月18日、ネッサにおけるエステラ・モリーナ&マリア・レイ戦(パートナーはシレニータ)でデビュー。その天才的な空中殺法で台頭し、同世代のソチ浜田と共に86年に設立されたばかりのジャパン女子プロレスに来日。プロレス留学生として寮に暮らし、日本語もマスター。アステカの妖精のニックネームで一躍人気者となり、同年12月の「第1回グランプリ87」では技能賞&特別賞を受賞。本人は日本で初めて、ムーンサルト・アタックを披露した女子レスラーを自慢していた。
 ジャパン女子時代ではジュニア路線で活躍。2年間の滞在後に帰国。UWAからEMLL(現CMLL)マットに転出。エステルは90年4月から5月にかけ突然、全女の事務所に国際電話をかけてきた。偶然、私が電話口に出たことで話がトントン拍子に進み全女に参戦が決まったが、「来日させる」と言うまで毎週、毎週電話してきたのは何ともエステルらしいことだ。エステルはラ・ディアボリカを帯同させたいと言ってきた。1人じゃ寂しいだろうとOKを出したが、来日して見るとなんてことはない。エステルの空中殺法を上手く見せる相手として、ディアボリカが呼ばれたのだ。
 エステルはとにかく、よくしゃべった。それこそ一日中、1人でおしゃべりしているのだ。翌年には今度は妹のシンティアを一緒に連れてくれと言ってきたのだ。このチームではラスカチョに変身前の三田&下田に勝って、全日本タッグ王座を奪取。91年秋から全女がメキシコ遠征に行った際、このエステル&シンティアが抜てきされ、山田敏代&井上京子と連戦を繰り広げたものだ。日本での試合が中心だったエステルだが、日本人がメキシコに来たら急にアレナ・メヒコやコリセオに起用されるのは、現地のルチャドーラにとって羨望の眼差しだったに違いない。「攻撃が痛いといって、誰も日本人とやりたがらないでしょ? これ、変やない?」とエステルはよく溢していた。
 その後、エステルは何度かのケガで長期欠場を余儀なくされたが、日本では旗揚げ当時のJd’に参戦。私は全女では、チキータ・アステカというマスク・ウーマンに変身させ、チャパリータASARIのライバルに仕立てたりもした。事実、ASARIは身長の低いエステルを見て、女子レスラーになれる可能性を見出したという。その後、メキシコではAAAで活躍。時には怪奇派として、ルーダにもなった。プライベートでは、かつてはシルバー・キングと結婚間近までいったが、ライバルのソチに奪われたり、日本ではイラン人とも付き合っていたことがあった。ようやく巨漢怪奇派の赤鬼仮面グロンダと結婚し、一児を儲けた。08年9月のメキシコ旅行では、何と7年ぶりに再会したが、エステルは目に涙を溜めてこう言った。「私の心の中には、いつも小川さんが居るから…」と。ちょっぴり老けたが、あのおしゃべりぶりは全く変わっていなかった。そんなエステルの夢はCMLLの世界王者になることだという。
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