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女子ガイコク人列伝(第26話)スレイマ

2008年12月27日 11時59分54秒 | 女子ガイコク人列伝
1964年1月13日生まれ、メキシコシティ出身。160cm、65kg。(得意技)トペ・スイシーダ、セントーン
 エステル・モレノによく似た顔立ちをしており、メキシコでは長らくUWA世界女子王座を保持していた。少女時代からルチャに夢中になり80年3月16日にアレナ・ネッサでデビュー。早くからチェラ・サラサルのパートナーに抜てきされ86年3月、全女に初来日した。このときは地味な印象しかなかったが、同年11月には一転して旗揚げ間もないジャパン女子プロレスに来日。ところが翌年には一転して、再びタニアと共に“ラス・ゲリジェーラス”というタッグチームを名乗り全女参戦した。
 当時は渉外担当としてジャパン女子から茨城清志氏も全女入りし、88年秋の長与千種海外サーキットに、アメリカ、カナダと、このスレイマを帯同させている。メキシコでは91年2月にエル・トレオでローラ・ゴンザレスを破って第16代UWA世界女子王座を獲得。この頃からメキシコ人特有の肥満体質が顕著になり、パワーファイトにシフトチェンジ? 茨城氏との縁からW★INGプロにも参戦。常連ルチャドーラとして、マルタ・ビジャロボスとタイトルを賭けて闘ったこともあったが、すでにUWA王座はスレイマの個人所有のようになっていた。その後はEMLLに転出し、日本にも妹のジャネットと長期滞在したことがあった。
 90年代の前半、私がメキシコに行くと必ず茨城氏と一緒にいたところを見かけたが、その関係は謎を残していた。また、プライベートではルチャドーラにはありがちな、シングルマザーだった。虎の子のUWA王座は妹のジャネットに移動し、AAAマットにも上がっていたが、今はセミリタイアした模様で、リング上ではその名を聞かなくなった。茨城氏はいまだに交流しているという話で、どうやら対メキシコ用の窓口にしているようだ。

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