ロッシー小川ブログ  MY FAVORITE LIFE

女子プロレス、ルチャ・リブレ、レトロなどなど、プロレス人生を謳歌するロッシー小川の仕事や趣味について大公開!!

広告

※このエリアは、60日間投稿が無い場合に表示されます。記事を投稿すると、表示されなくなります。

女子ガイコク人列伝(第7話)パンテラ・スレーニャ

2008年12月01日 08時44分53秒 | 女子ガイコク人列伝
1952年12月29日生まれ、メキシコ・ハリスコ州グアダラハラ出身。155cm、60kg (得意技)ダイビング・セントーン、ジャーマン・スープレックス
 パンテラとはスペイン語でパンサー(豹)を意味する。若い頃は、鋭い眼光と俊敏な動きは豹みたいだったのだろう。日本には77年5月、全女に初来日。ビューティー・ペアの大ブームだったが、そこで親しくなったのが、後にジャガーとなった新人の横田利美だった。
 その後は覆面ルチャドーラのラ・ギャラクティカに変身。1号を名乗り、2号のレイナ・ガジェゴスと“宇宙仮面タッグ”で、再来日を果たしたのだ。私はよく本場メキシコのマスクを持って来るように頼んだりもしたが、パンテラが持参する雑誌でルチャの状況を知ったものだった。
 そしてギャラクティカの名前を日本の女子プロレス・ファンに知らしめたのが、83年5月に行われたジャガー横田とのマスカラ・コントラ・カベジェラだったのは言うまでもない。日本初のルールで敢行された、この試合形式はメキシコでは雌雄を決する最大の闘いでもあり、そこでギャラクティカは勝利し、WWWA世界王座を奪取してしまったのだ。
 そこからギャラクティカとジャガーは、何度もベルトを賭けて闘い抜いた。日本でもメキシコでも、何度も何度も舞台を移して闘った。ハイライトはギャラクティカの持つUWA王座と、ジャガーのWWWA王座を賭けた二冠戦であった。後年はすっかり丸みを帯びた体から繰り出すセントーンと、弾丸のようなトペは迫力があったが、どちらかといえばオーソドックスなジャべ(ルチャ流の関節技)を得意とした闘いぶりに定評があったのだ。ジャガーとの試合は日本でも、メキシコのUWAマットでもベスト・バウト賞を受賞した。
 90年代、私はよくメキシコに全女の選手を派遣したが、素顔になったパンテラはルーダとして活躍していた。CMLLでマルタ・ビジャロボス、ウエンディと悪のトリオを結成。下田&吉田は何回となく、このチームと対戦している。その頃にはパンテラも勢いが無くなり、往年の実力は影を潜めていた。定宿にしていたアレナ・メヒコ近くのホテル・プエブラの正面にディアボリカ、マルセラ(HIROKAのライバルではない)と同居生活を長くしていたが、まさにそこは女の館であった。
 50歳を越えたパンテラは、すでに現役を退いた。両膝を手術し、生まれ故郷のグアダラハラに帰えると、電化製品の部品を作る工場で働いていたという。それから5年が経ち、08年9月に再びメキシコシティにカムバック。私が宿泊するホテルに突然、訪ねて来たのには驚いたものだ。近況や昔話を交えて2時間もの間、話をしたがマルタ・ビジャロボスがプロモートする会社で、エージェントとしてルチャ人生を再スタートしたのだった。レトロ企画としてジャガーとの最後のライバル対決も見てみたいものだ。
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
« 1-2 日本プロレス「1969新春... | トップ | 今年出会ったルチャドール⑦シ... »
最近の画像もっと見る

女子ガイコク人列伝」カテゴリの最新記事

関連するみんなの記事