悪性リンパ腫サバイバル

リンパ腫生活3年目に突入。
暮らしのあれこれや感じることを記録。

はじめての血小板輸血

2006年05月31日 | Weblog
5月31日(水) 入院16日目 41.90kg

ケモから10day 体温 36.7度

白血球数  100未満
赤血球数 379万
血色素濃度 11.6
網状赤血球 1(‰)
血小板数 1.5万
好中球数  -


夕方、血小板を輸血した。
私は普通の200ML献血しかしたことがなく、成分献血は機械を見たこともないので、血小板が黄色い色をしていることをはじめて知った。

ナースにそう言ったら「もっとオレンジがかったのもあるし、いろんな色があるよ~」。
その人はここに来る前は血液センターから各病院へ血液を運ぶ仕事をしていたそう。

そんなこんなをしゃべってたらアレルギー止めのポララミンが効いてきて寝そうになったが、ちょうど夕食が運ばれてきたので眠かったががんばって起きて食べた。

食べ終わってさあ寝ようとしたら熱っぽい。
発熱で、ピリナジン(アセトアミノフェン)服用して、寝た。






移植後の再発の可能性

2006年05月30日 | Weblog
5月30日(火) 入院15日目 41.40kg

ケモから9day 朝の体温 37.1度

グラン注射、抗菌剤内服 5日目

主治医と少し長く話した。
・今回の血球の上がり方を見て、透析センターの予約を入れる
・G-CSFは大量に使う

自家移植しても再発することがあるらしいけど?という質問について
・骨髄には、あるといえる範囲では確認できなかった。検査の限界はある。
・自家移植して再発する人は、採取してきた細胞にあるのではない。何個かあったとしてもそれが増えるまで時間がかかる。再発する人はもっと早く再発してる。ってことは残存してたんだろう。

Dr.の話を思い出してメモしながら、それは前処置の超大量ケモでも全部叩けなかったってこと?という疑問がわいた。
超大量の前処置をやっても腫瘍がすべてなくなるわけではないのか。。。
それはやはり、薬剤への反応性が悪ければ残っちゃうってことか。
それもやっぱ毒性とのかねあいで、腫瘍はなくなったけど臓器がダメージ受けて死にました、になってはいけないってことか?


でももし再発しても、再発するまでは生きてることができるってことじゃん?と思った。
たとえ再発したとしてもまだやれることはあるし、すぐ死ぬわけではない。

移植できないとしたら、またあの痛みがやってくる。
痛みをごまかすための薬から離れることができなくて、薬がなくなったらどうしよう?と不安になって、痛みを恐れながら低い活動レベルでダラダラと生きる日々。いつ薬の耐性ができるかかわからない。

臓器とか何かの理由で移植できないなら、ダラダラした日々でも生きていることに感謝して過ごすだろうが、臓器の条件がいいなら、再発したって、やってみたほうがいい。

もしかしたらCHASEが劇的に効いて、2~3回で完全寛解するかもしれないじゃん。
そしたら幹細胞は2年くらいは凍結しておけるそうだから、それまで時間稼ぎできるじゃん・・・

それじゃあダメなの??などと考えてるところに研修医がやってきたので、大量ケモとCHASEを繰り返すのとどっちが毒性が高いのか質問したら、それは今回の自分の役割の範囲を超えているとのことだった。

でも話してみたら気持ちが整理できて、とにかく、今は、そんなに先のことは考えず、今回の骨髄抑制を乗り切って、幹細胞が採れることを目標に、そのために次の治療ができるように、それだけ考えよう。
その先のことは先生たちが考えてくれるさ。



白血球500血小板4万

2006年05月29日 | Weblog
5月29日(月) 入院14日目 41.20kg

ケモから8day

朝、採血。

主治医がちょっと顔見せる。

担当医診察。
「お腹はなくなってきましたね、あと1~2回やろうと思ってます」とのこと。
「つらくなかったのでやれると思います」と返事。

午後研修医。
白血球が500なので、部屋の外に出ず、部屋の中もトイレと洗面など最低限にし、できるだけアイソレーター内で生活してください、とのこと。
「え、じゃあお洗濯は?」
「お洗濯ご自分でなさってるんですか?」
「ハイそこのコインランドリーで」
「ご家族の方にやってもらって」
「シャワーは?」
「清拭にしてください」
「でも清拭のタオル取りに行くところに洗濯機あるし、体重も処置室に測りに行ってるし、お茶も薬飲むのもラウンジでポットにお湯入れてきて飲んでるんです。この部屋でお二人も咳してらっしゃって、この部屋の危険度に比べたら朝とか人がいない時間帯の廊下のほうが危険度低いです」
などと食い下がって、人がいない時間帯に動くのはOKになった。シャワーも一番菌のない早朝ならいいということになった。

輸血をする予定なので同意書をよく読んで質問があったらしてください、とのことで、説明書と同意書をもらった。


血液検査の結果ももらった。

白血球数 500
赤血球数 404万
血色素濃度 12.3
網状赤血球 1(‰)
血小板数 4.0万
好中球数 465


輸血の同意書にサインする前に、有害事象の頻度について研修医に質問。
「血小板ならこれ、赤血球ならこれ、と、種類ごとに有害事象の頻度に違いがあるんですか?」
「調べてきます」

と言って調べに行ってる間に、同意書にサイン。

「血小板ではほとんどはアレルギー反応で、MAPという赤血球や全血ではこれこれ、凝固因子ではこれこれです。他には・・・」とくわしく説明してくれた。
「アレルギーに対してはどんな処置をするんですか?」
「ポララミンを前処置で投与します」
「リツキサンの時はここの病院ではサクシゾンとポララミンを前処置で使うんですけど、そういうかんじですね、じゃあ大丈夫だと思います。お願いします。」と言って同意書を渡した。

有害事象の内容より、いっしょうけんめい調べて、わかるように説明しようという熱意や誠意にサインした、という感じ。

ね。いぢめじゃないでしょう?




ぐっすり眠れた

2006年05月28日 | Weblog
5月28日(日) 入院13日目 41.25kg

ケモ7day

ベッド移動とアイソレータの音とで騒音が気にならず、ぐっすり眠れた。

皮下注射。
抗菌剤内服。

研修医が来て便の色は黒っぽくないか、出血はないか聞いていった。
日曜日なのに!
おつかれさまです。



アイソレーター

2006年05月27日 | Weblog


個人的には「ビニールハウス」と呼んでいた。
中に入るとメロンになったようだった。

マスクしてるので「マスクメロン」とか、無菌で無傷で出荷して高く売るんだとか思っていた。私のばか。

 


ベッド移動

2006年05月27日 | Weblog
5月27日(土) 入院12日目 41.85kg

ケモから6day

隣のベッドの人の夜の騒音で胃が痛いと言ったら、A医師が胃薬(アルサルミン液)を追加してくれた。
アルサルミン液は職場では見たことなかった。飲んでみたらおいしかった。

隣のベッドの人のことは皆が問題だと認識していた。
私の向かい側のベッドの人が退院することになったので、師長さんに頼んで
ベッドを移動してもらうことになっていた。
そうすれば隣でも向かい側でもなくなり、騒音から一番遠くなる。

するとA医師が「今日からアイソレーター(無菌隔離装置)に入ってもらいます」というので、この日からベッド移動しアイソレーター設置となった。




グラン注射開始

2006年05月26日 | Weblog
5月26日(金) 入院11日目 42.55kg

ケモから5日目

担当医T先生の診察。
お腹を触って「お腹、下のほうは減ってきたかな~って思うんだけど?」とのこと。
・腫瘍が一度に解けると消化管に穴が開いたりすることがあるので、徐々に解けてくるのがいいんです
・これから白血球が下がってくるので、来週は輸血があるかもしれません
・腫瘍が解けてくるのを待ちながら、白血球の上がりを待つ、その間に熱が出たら抗生剤を点滴する、という予定です。

午後、研修医A先生。
・白血球が900だったので今日の夕からクラビット(ニューキノロン系広域抗菌剤)とジフルカン(抗真菌剤)を服用します。
・白血球を上げる薬剤(グラン)を毎日皮下注射します。

看護師より、
・蓄尿はもうありません
・体重と便尿回数は毎日おうかがいします

白血球数 900
赤血球数 353万
血色素濃度 10.8
網状赤血球 4(‰)
血小板数 6.0万
好中球数 864



あちこちに連絡

2006年05月25日 | Weblog
5月25日(木) 入院10日目

ケモから4day フルメトロン点眼今日まで。

朝、主治医が顔を出してくれる。顔見るとホッとする。

午前中吐き気止め(カイトリル)点滴。
補液はずっと継続。

息子のサッカー関係、学校関係に入院したことを連絡。
ユニフォームの背番号(今年は9)と体育会用のゼッケンをI君のママが付けてくれることになった。
サッカーママたちには病気がわかってからお世話になりっぱなし。



CHASE療法3日目

2006年05月24日 | Weblog
5月24日(水) 9day 44.15kg

朝、採血。
服薬と点眼は同じ。

昨日と同じ点滴。
ドーンと体が重く、寝ている。
つらいとか痛いとか吐き気とか苦痛とかはないが、眠くて、なにも感じずなにも考えずひたすら寝ているかんじ。

参考までに、使った薬量を書いておきます。(体重換算なので個人差あり)

エンドキサン 1600mg
キロサイド  2700mg
ラステット   130mg
デカドロン   40mg

CHOPの時のエンドキサンは750mgぐらいだったので、その倍を使ったことになる。
「CHOPはハイキング、移植は登山」と言われるのはこういうこと?
キロサイドも添付文書に「大量シタラビン療法」とわざわざ書いてあるので、大量なんだろう。

ちなみに、先日研修医に質問した「HA」は「high dose Ara-C」だった。
たまたま持ってた厚労省の文書に書いてあったので、「CHASEはCPA、high dose Ara-C、Steroids、Etoposideじゃないですか?」と質問したら後日「そうでした」とお返事ありました。
いぢめじゃないです。勉強。

白血球数 2500
赤血球数 366万
血色素濃度 11.2
網状赤血球 14(‰)
血小板数 10.2万
好中球数 2275





CHASE療法2日目

2006年05月23日 | Weblog
5月23日(火) 8day 43.70kg

フルメトロン点眼液(0.1%)を朝6時、昼14時、夜10時に点眼すること。

ということで、朝、ナースも「目薬さしましたか?」と確認。
1日3回アロシトールを飲まなきゃいけないし、点眼しなきゃいけないし、トイレでおしっこはためなきゃいけないし、トイレの回数を聞かれるから回数メモしとかなきゃいけないし、めんどくさ!
どうにかなんないか?と「問題を発見すると解決したくなる症候群」が出てうずうず。

点眼液の袋にチェック表を書いて、薬のケースにセロテープで貼り付けた。
ノートを切って、トイレの回数表を手書きで作って、ベッド上の可動テーブルに貼り付けた。

これで万全!と満足満足。
「目薬さしましたか?」と確認されたので「さしました。ホ~ラ私って几帳面でしょ」と自慢げに見せびらかす。

カイトリル、デカドロンの後、今日はキロサイド(3時間)、ラステット(2時間)。
キロサイドはアレルギー反応が出ることがあるので、速度を管理したいので定量ポンプで点滴を落としていきます、とのこと。
定量ポンプ付けると移動の時、電源コードを抜かなきゃいけないのと、点滴台が重くなるので、トイレに間に合わない(下痢してるので)かもしれないので、コットンシートを着ける。

キロサイドははじめての薬だったし「アレルギーみたいな反応が出たらすぐナースコールしてください」と言われてたので”変化があったらすぐ言わなきゃ”と身構えて緊張してたが、なにごともなかった。

また3時半頃に怪しくなってきたので吐き気止めを追加してもらった。

夕方、コットンシートでは間に合わない下痢がありシーツを汚して交換してもらった。
売店に行き、夜用を買って着けて寝た。



CHASE療法1日目

2006年05月22日 | Weblog
5月22日(月) 7day 43.35kg

朝、採血。
といっても胸のチューブから採るのでなんの負担もない。CVはいいぞ~

本日から朝食前に体重を測ること、トイレの蓄尿ビンに尿をためること。

朝からアロシトールとタケプロンを飲む。
「継続してのんでるプレドニゾロンはどうするのかしら?」とナースに聞いたら医師に確認しますとのことなので、食後飲まないでいた。
医師は「今日から使うステロイドが大量なので飲んでも飲まなくてもいい」とのことだったそうなので「だったら飲まなくていいですよね」と言って中止にした。

本日から行う化学療法について研修医のA医師が詳しく説明してくれた。

「CHASE療法」といわれるレジメン。
・シクロホスファミド(商品名エンドキサン) 1日目
・キロサイド(シタラビン) 2・3日目
・エトポシド(ラステット) 1・2・3日目
・デキサメサゾン(デカドロン) 1・2・3日目

■シクロホスファミド(エンドキサン)は出血性膀胱炎に注意。排尿の時の痛みや残尿感や尿が赤くなったりしたらすぐに知らせてください。
■キロサイド(シタラビン)は角膜縁に注意。ステロイドの点眼液を1日3回朝昼夕と点眼することで防ぐことができます。忘れず点眼してください。
■エトポシド(ラステット)はずっとお使いだからだいじょうぶですね。
■デキサメサゾン(デカドロン)はむくみに注意。こちらでも体重を管理して増えているようなら利尿剤を使わせていただきます。

とのことで、とてもわかりやすい説明だった。

「先生、質問。シクロホスファミドはアルキル化剤ですよね、キロサイドとエトポシドはなんですか?」
先生、本とノートを出して「キロサイドは代謝拮抗剤、エトポシドはアルカロイドです」
「CHASEのHはなんでしょうね?」
「う~~ん」
「CHOPはたしか成分名をどうにかしてるんですよね、でもCHASEとかESHAPのHAって何なんでしょう?」
「次までに調べてお返事させていただいてよろしいでしょうか?」
「はい、よろしくお願いします」

いぢめじゃないですよ。勉強。

胸から出てるチューブの1つに補液の点滴が入って、別のチューブからデカドロン、吐き気止めのカイトリル、エンドキサン(3時間)、ラステット(2時間)が入った。
特に気分悪くはなく、3時を過ぎたあたりから「ちょっと気持ち悪いかなぁ?」と怪しくなってきたのでナースコールして吐き気止めを追加してもらった。

A先生が来て「朝の採決の結果で白血球が2200だったのでマスクをしてください」とのこと。
えっもう下がった?というわけではなく、ラステットをずっと服用してたのでその影響だろうとのこと。
でも2200で化学療法して大丈夫なのかな~?

看護実習生に「T大の薬学部のコミュニケーション論の授業でゲスト講師をした」という話をしてあったのをききつけて?実習担当の先生が「うちでも話をしてください」と言いにきてくださった。
「元気になったらぜひ」とお返事したが、言いながら”私ホントに元気になれるんだろうか?”という気持ちが大きかった。

それをわかったうえで、私に希望を持たせようと言ってくれてるんじゃないかなあと思いつつ、もしそんなことができたらステキ!元気になって、若い看護師のタマゴちゃんたちに『私を支えてくれた素敵な看護師さん』なんてテーマで看護師さんとの心の交流のエピソードを伝えられたらステキだな~~、なんて考えてたら、気分が少し上向きになった。


白血球数 2200
赤血球数 393万
血色素濃度 12.0
網状赤血球 15(‰)
血小板数 13.3万
好中球数 1718





外出

2006年05月21日 | Weblog
5月21日(日) 6day 43.40kg

今日は午後外出します、とナースに言ったら「今日から補液を点滴するので外出はできません」とのこと。
「外出するってことはT先生にもA先生にも言ってあるし昨日も看護婦さんに言ってあるし、必要な物を買ったり家から持ってきたりする予定なので、外出はします」と言ったが「今日の9時から補液点滴の指示が出ています」と言う。

「点滴の指示は先生がしたんだろうけど外出するってことは何度も確認してある。ヨーカドーで買い物する、ってことまで言ってあるんで外出はします。でも点滴をしないといけないんなら、なるべく早く帰ってきますから、外出するってことで時間の調整をしてくれない?」と言ったら「先生に確認してみます」とのこと。

けっきょく、お昼を食べて午後外出する予定だったのを、10時ごろから外出して12時に帰ってきて病院でお昼を食べることにした。

9時50分のムーバスで駅前まで行き、ヨーカドーでパジャマと「ましゅまろまりん」というふわふわのイルカの抱きまくらを買い、北口に出て、タクシーで家まで買った。
家で、パソコン、DVD、その他メモしてたものをかき集めて、ダンナに車で送ってもらって約束どおり12時に病院に戻った。

ナース「すみませ~んゆっくりできなかったでしょう」
私「ちょー急いで戻ってきました」
ナース「ありがとうございます、じゃぁさっそく・・・」

でつながれました。ソリタT3(500)+メイロン1A 12時間
でもなぜ12時間なんだろう?

夜中に点滴中止した。
なぜだろう?
化学療法の前だからずっと流し続けるんじゃないのかな?
もしかして間違い?

でもつながれてるよりつながれてないほうがいいので、あえて確認はしないで、寝た。


リンパ腫仲間来る

2006年05月19日 | Weblog
5月19日(金) 4day 43.05kg

特になし。
月曜日から治療するので土日に外出してもいいが、CVカテーテルにヘパリンを通す処置は1日1回してください、とのこと。

こないだ入院したばかりだから家に泊まる必要はないが、パジャマやパソコンなど持って来たい物があるので、日曜日に数時間外出します、と言っておいた。
友人がお見舞いに来ることにもなってるし。

リンパ腫仲間の友人が来る。
彼女は濾胞性で、標準治療後一部腫瘍が残り、経過観察中。
いつか自分も私のようになるかもしれない、と、後学のために?私の様子を見ておきたいらしい。
CVを入れたところを見せたりして脅す。

夕方、シャワー。