魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

胆力外交

2015年03月15日 | 日記・エッセイ・コラム

中国人は、どうも、自らのことを遊牧民族と自覚しているらしい。
孔子の何十代目かの子孫と自称する、孔某という人が、それを前提に中国人について書いていた。
日本人が自らのことを、江戸幕政の人民と考えているようなもので、現在の中国人は狩猟遊牧民の清朝に支配されたことから、価値観が相当に遊牧的だ。

農耕民は植物に栄養を生産させるが、狩猟や遊牧は、人間と同類のほ乳類に栄養を生産させそれを取り入れる、つまり、食べる。

農耕民は人間と植物をハッキリ別けているから、人間や動物は同類で、犯してはならない者と考え、信頼が信頼を生むと考える。
しかし、遊牧民は人間も動物も、状況次第、立場次第で単なる餌になる。昨日まで可愛がっていた羊や豚を、さばいて食べる。食べるか友達かは、その時の自分の都合次第だ。
だから、逆に自分が餌にされないための、警戒心や付き合い方のテクニックを持っている。

この基本的なスタンスの違いを、互いに理解しない。農耕民は、先ず信頼を考えるが、遊牧民は先ず警戒を考える。
遊牧民から見れば、農耕民は実に素直な羊だ。餌を与え優しくし、言うことを聞かなければ叩きつければ良い。あまり言うことを聞かなければ、さばいて食べてしまえば良いだけだ。
遊牧民同士なら、互いのテリトリーを認め合い、時に争ってもあまり深入りはしない。ただし、相手が完全に弱まれば、テリトリーを奪う。

中国古代は農耕文化だったが、幾たびか遊牧民に支配されるうちに、遊牧文化が相当入り込んでいるようだ。日本が知り、良しとして取り入れたのは農耕文化であり、必要に応じて去勢したり、てん足をしたり、面従腹背する文化は遊牧文化だ。

羊の民
中国の餌につられて、ノコノコと集まって行き、「信頼に基づき」自分たちが養ってきた技術(栄養)を提供した日本を始めとする欧米の企業は、すっかり食べられてしまった。
遊牧文化の末裔である欧米人は、始めから、警戒しているから、転んでもただでは起きないが、生粋の農耕民である日本人は、骨の髄までしゃぶられる。

日独仏の鉄道技術を吸収した中国は、鉄道でも世界征服を目論んでいる。
日本の鉄道産業は驚いて焦っているが、独仏は「やっぱり」ぐらいにしか思っていない。
仮に、中国の鉄道が世界中を走るようなことになったとすれば、必ず、返し技の腹案があるだろう。
互いに「餌」にならないためには、相手に餌を与え、何らかの見返りをとり、バランス関係を保つ。それが遊牧文化の流儀だ。

戦時中、ナチスドイツは、日本と同盟しながら、裏では、中国軍に武器を売っていたし、英国は、有名な三枚舌外交で、今日の中東の混乱を招いた。騙されるのは、騙す奴より騙される方が悪いのが、遊牧文化の大人の常識だ。

外交は、信頼ではなく、利害のバランスをとる知恵と自己責任だ。
欧米の個人主義は一神教によるものだが、その一神教は遊牧文化の産物だ。
中国の冷徹な現実感は、農耕民が長い歳月、それを学んだ結果だろう。逆に、欧米方式は遊牧民が農耕方式を学んだ結果のように思える。
中国には根底に情があり、欧米には根底に冷徹さがある。

日本の白人嫌いや迎合はコンプレックスだが、妙に肩を並べて、同じように自己主張しなければナメられると考えるのも、また、コンプレックスだ。
遊牧文化をよく体得した上で、孤塁を守る勇気と自信、胆力が必要だ。
イラク介入時に反対したフランス。アメリカの意向を無視して中国のAIIBに独自に対処する英国。アメリカ一辺倒の日本に、できる芸当だろうか。第一、常任理事国入りをこい願うこと自体、既存に従う追随主義であることが解っているのだろうか。

 


牡牛接近

2015年03月14日 | 星の流れに

今日はまた、NHKで牛肉を中国に買い負ける話をしていた。
中国が大量に牛肉を食べるようになり、資料の大豆も不足し、そこに、投資マネーが商品先物投資に大量に流れ込み、価格を乱高下させている。

まさに、天王星が牡牛座に、刻々と接近しつつある。現在は牡羊座だが、「食うための争い」が進んでいる。牡牛座に移れば、一気に吹き出すだろう。
FTA、EPA、TPPなどブロック経済への段取りが進み、金融でも、中国がAIIBなどを掲げて権益を取り込もうとしている。そこに、英国が名乗りを上げるなど、牡羊座時代の混沌から、やがて牡牛座時代へなだれ込んでいく。

食糧問題は、中国に買い負けるような単純な問題ではない。
牡羊座時代は経済破綻と食糧難が荒野を生む時代であり、そこに、魚座の海王星が加わって、大災害や宗教戦争、テロ、為替の混乱、心理的パニック、疑心暗鬼が、世界の窮乏に、さらに拍車をかける。

現在進んでいるこの状況が、牡牛座の生存競争の序曲だ。
今、世界のどこかで大規模な不作が起これば、一気に火がつく。この気象異常で、それが起こらない方が不思議だ。

食糧問題こそが、今そこにある危機だ。
日本は今年の作付けからでも、大量増産すべきだろう。
農業を輸出産業にするなど、自国自給率が100%を超えてから言うことだ。


五黄巡り

2015年03月13日 | 占いばなし

なんと幼稚な犯罪か。2500余の教職員に脅迫状が送られた。
これも、射手座の土星だ。
射手座は中高等教育。土星は時=過去、年寄り。

古い教職員名簿を使って、過去の恨みで金を送れと脅してきた。しかも、本人ではなく、保護者からとしているところが幼稚だ。
いかにも、おっかなびっくりで、近頃流行の情報に影響されたらしく、緻密に手の込んだ仕組みを考えたつもりだろうが、段取りが何ともずさんだ。

タイに送る手配はしたが、手書きで四国から送っている。頭隠して尻隠さずとは、こういうことを言うのだろう。実はこれがカモフラージュだったりすれば、多少は感心するが、どうも、単に知恵が及ばなかったとしか考えられない。

送り先がタイというのも、占い的に見ればよろしくない。魚座のタイと、射手座は相性が悪い。本人はそんなことは知らないだろうが、下手な企みは、決まって占い的に不利なことをする。
昔から言われるのは、「犯人は暗剣殺に逃げる」だ。
悪いことをした人間は不思議に悪い方に逃げる。この意味は二通りに考えられる。一つは、悪いことをするやつは非人間的な道を選ぶ、とも考えられるし、悪事千里を走るようなもので、必ずバレて捕まる道に向かって行く、とも考えられる。

悪事を働かなくても、一度下手なことをすれば、次々と連鎖反応が起こり、なかなか抜け出せなくなる。貧すれば鈍するとはよく言ったもので、暗剣殺に行くと悪いことが起こって却ってそこで断たれる場合があるが、五黄殺に行くと、悪いことに気づかず、次に行くところもまた、五黄殺を選ぶことが多い。
自分が五黄巡りにハマっていることに気づいたら、用事が無くても、あえて吉方に動いた方がいい。

また逆に、五黄に向かって来た人、つまり、暗剣殺から来た人は避けた方がいい。カモネギではあるが、後でとんでもないことになる。親しい人ならそれを教えてあげた方が良いが、ほとんど聞く耳を持たないので、初めから言わない方が身のためだ。


動脈硬化

2015年03月12日 | 日記・エッセイ・コラム

横断歩道で信号待ちしている時、必ずと言っていいほど思い出す小話がある。
高度成長期、自家用車が爆発的に増えた頃の漫談だが、誰だったか思い出せない。

近頃は車が多くて道を渡るのが難しいですね
ほんとに、どこを渡れば良いのか解りません
 「おーい、道の向こうの人・・・どこから渡ったんですかー?」
 「私は、こちら側で生まれたんでーす」

まだ横断歩道がなかった時代だ。(道交法は昭和35年)
その後、これと似たようなネタは何度か聞いたが、子供の頃の衝撃がいまだに残っている。
都会はそんなに車が走っているんだという驚きと、それが笑いになるくらいだから、実際にはそんなに麻痺はしていないんだという現実感の、両方を知った。

中国の交通事情が取りざたされているが、突然、車が大衆化する時はどこでも混乱が起きる。アメリカでも、50年代に若者が車で繰り出して、大渋滞になっている様子が問題になっていた。詳しくは知らないが、欧米での交通混乱そのものは、第一次大戦後に起こったようだ。

工業化と輸送機器の氾濫は同時進行する。そして結局は、公共交通の方が合理的で便利なことに気づく。この点、やはり欧州には主体性がある。アメリカのような野放図な生活方式から離れて、秩序に向かう。新型路面電車や貨物列車輸送を中心に据えた鉄道を活用する生活で、コンパクトな文化都市を支えている。
アメリカのように幌馬車で広げて、トラックに頼る広大な土地でさえ、近頃は鉄道に関心が向かっている。

他人の物をちゃっかり活用する中国は、始めから鉄道に関心を持ってきた。つまり、鉄道が最も使える交通機関であることを見抜いたのだ。

鉄道立国
しかし、実は、日本人ほど鉄道の好きな国民はいないだろう。この狭い日本にびっしりと鉄道を敷き詰めた。それが戦後、アメリカ式の工業化を取り入れたことで車が氾濫し、鉄道が追われてしまった。
最近ようやく、鉄道の合理性が再認識され、貨物も旅行も、再び黄金時代の訪れを予感させる動きがある。

今日が最後の運行に泣き崩れる鉄道マニアは、感傷が過ぎるとしても、
トワイライト・エクスプレスをなぜ廃止するのかよく解らない。九州の七つ星は現にヒットしているし、観光資源として、新幹線による日本完全縦断など、何とか別の形で再登場させられないものだろうか。

余談になったが、鉄道は観光のためだけではない。最も大きな価値は、物流だ。
トラック輸送に頼ってきた日本経済だが、エコの問題以上に深刻なのは、高齢化による運転手不足だ。国を維持する血流を、一刻も早くトラックから、鉄道にすげ直して、車を地域輸送に活用することで、輸送業者も楽になるし、きめ細かな配送ができる。ローカル鉄道も活性化する。

昔、鉄道で旅行する時には、飛行機と同じように、手荷物を別に運んだ。
子供の頃、初めて、一人で列車に乗る時、親から
手荷物のところに行って、「チッキでお願いします」って言うんだよと教えられた。

鉄道中心の物流体制を整え直せば、トラック運送業の仕事は減るかもしれないが、鉄道に関わる新しい雇用が生まれるはずだ。


鎮魂の日

2015年03月11日 | 日記・エッセイ・コラム

身内が亡くなるのは当然のことだ。当然のことでさえ、誰しも素直に受け入れることはできない。
だから、事故や災害で身内を失った人の、受け入れがたい感情は察するにあまりある。
地震で妹を失った母は、思い直して立ち直った話を死ぬまでしていた。つまり、受け入れられなかったのだ。

身内の、突然の死は、それを経験しない人が簡単に理解しようと思えば、携帯や財布を落とした時の「信じられない!」感覚の極致と言えば解るかもしれない。
どうも落としたらしいが、うそだろう、いや、でも、実際に無いのだからそう思うしかない。
落とした瞬間のことを覚えていれば、こんな迷いは無いのだが、それを覚えているぐらいなら落とさなかった。

自分の力の及ばないところで、身内が亡くなることの悔しさ、それどころか行方不明で、割り切る手がかりさえない、苦しさ。

東日本大震災から4年経った。途方もない悲劇を思うと、その10倍の死者を出したスマトラ大地震を思い出す。世界で途切れることのない戦火の死者を思う。
災害列島日本の、至る所で起こる災害の死者やその家族・・・

改めて、
亡くなった人、残された家族、その御魂の安らかならんことを、黙して祈る。


言語文化

2015年03月10日 | 日記・エッセイ・コラム

イルカや鯨問題は、腹に据えかねるが、もう喧嘩しない方がいい。
何様」、「クジラ
「もう、広報合戦で負けているのに、続ければ、国益にならない」
TVタックルで、パックンが言っていたことに、強く同意する。
何度も言うが、日本人は、あらゆることに空気が読めない一人っ子だ。
自分の気持ちに忠実なのは良いが、何の得もない。

欧米人は、口論に負けると、よく顔をこわばらせ、凍ったように静止する。無駄な反論や負け惜しみを言わない。
それは、屈服したのではなく、次の機会での反撃を、心に誓っているからだ。
負けたものは負けたのだ。「本当はそうじゃなかった」と言って、何の足しになるのか。
こういう行為は「気休め」に過ぎない。
済んだことを、蒸し返そうとする者に、反撃はよけい大きくなる。

イルカも鯨も、既に負けている。勝負あったのだ。終わった勝負を、四の五の言えば見苦しい。しかし、だからと言って、勝者が正しいわけではない。
むしろ、次の機会、別の問題で勝てばいい。あるいは、取り返せばいい。

済んだことをクドクド言うのは、至って東洋的だ。負けたことを本当は負けてなかったという。この点、日本と朝鮮は(どちらも違うと言うだろうが)同類だ。
面白いことに、中国はどちらかと言えば欧米的な発想をする。
中国の反日は、日本を利用しているだけだが、韓国の反日は自己肯定だから止められない。

中国は、日本の敗戦を終わったつもりで利用していたら、日本が「確定事実」を違うと言い出したので、ルールが違うと怒っている。
韓国は、日本に屈服した事実を、「違う」と証明するために証拠づくりをしている。
中国の過ちは、日本の敗戦を利用したことだが、韓国の過ちは、無かったことを創作しようとしていることだ。

日本がいくら違うと言っても、欧米や中国から見れば、日本の抗弁は、韓国と同じに見える。確定していることを蒸し返している。

中国が欧米と同じように、済んだことを確定事実とするのは、言語の配列が似ているからではないかと思う。
日本語の場合、最後に確定する。
「私はあなたのことを好き、ではありません」この言い方に、欧米人は面くらい、場合によっては逆上する。確定したはずのことを、最後にひっくり返すからだ。

詳しい文法は知らないが、中国語は英語読みすると、大体解る。
否定や肯定を先ず確定させて話す人達にとって、日本人の感性、言語は卑怯だ。
日本語の立場から言えば、それだけ辛抱強く注意深く聞かなければならないから、日本人は感性豊かで複雑な思考ができるのだが、世界の大半はそうではない。
「話は最後まで」聞く必要はないのだ。

教養の高い欧米人は、表面的にはそんな風には見えないが、世界の多くの人は、あまりにも素早く反応する。何か言い出したとたん、答えを決め込んで、喜んだり怒ったりする。終いまで聞こうとする日本人は、このスピードについて行けない。
また、日本人以外と話す時には、この点を注意しなければならない。特に、相手に対して敵意がない場合はなおさらだ。

「早とちり」した中国が、躍起になっているのは、確定しているはずの「事実」の証明だ。
そして、言語、文化の違いは、中国人にとっても欧米人にとっても、日本人が不可解に映る。
クジラ、イルカ、マグロ・・・日本人からすれば、理解できない言いがかりに聞こえるが、相手を説き伏せるのは、「日本の文化」的な、独りよがりではなく、文化の違いを熟知した、相手の視点からの対応、相手の言語感覚からの説得だ。

クジラも、イルカも、とりあえず止めた方がいい。その上で、日本に対する信頼を得て、「からめ手」で食糧問題の主導権を取るべきだ。
また同様に、中韓の歴史認識問題は、元来、彼ら内輪の問題だから、下手な反論や態度で、火に油を注ぐようなことは止める、「べきだった」
人の噂も70年のはずなのに、日本自身が対応を誤っている。
先ずは、クジラ、イルカから始めよう


実を見る

2015年03月09日 | 占いばなし

正確に物を認識すれば、実態が見えなくなる。
およそ、技に関することは全てそうだと思うが、練習法やデータは、入口では有用だが、やがてそれは障害になる。

型は参考になるが、型を正確に行うことが達人になることではない。
憧れのスターのマネをしても、スターにはなれない。
本当の気持ちを表すのは、巧みな言葉ではない。
正確な計算をしても、馬券は当たらない。
政治家、政党の支持率が本当の世論とは言えない。

数値で表せること、映像で見ること、感動すること・・・それは、確かに実在するが、実態や真実ではない。
実態があるとすれば、それは見えないものだ。
極意と言われるようなものは、決して説明できるものではない。

あらゆる技の達人には、その人だけが認識している極意がある。
達人が師匠になったとしても、せいぜい入口の辺りまでしか説明できない。
あとは、達人を志す人の、心がけと能力次第だ。

機械化に始まり、デジタル時代に至った現代は、何から何まで、数値で語ろうとする。
記憶力があると、さも達人のように見える。しかし、正確な言葉や、正確な数値で語られる話には、耳を貸したり目を奪われないように、気をつけなければならない。
悪意の詐欺師ではないが、実態を見えなくさせる。

灯台下暗し
何かをやっている人、どこかにいる人、実際に体験した人の言うことを信じるわけにはいかない。その人達は、全くの部外者より、実態が見えなくなっているからだ。
自分は、それを実際に経験したという思い込みが、実態を見えなくしている。

例えば、地元振興の良策は、地元の人にはほとんどヒラメかない。よそ者が来ると、これもあれも有るじゃないかと、気づく。目の前にある実物が本当の価値を覆い隠してしまう。
よそ者は、物の外にある「認識」と結びつけて見るから、物の価値を発見する。

占いも、このような、人や、事柄、事態の価値を発見するための「認識」だ。
今、起こっていることは何の意味があり、だからそれはどうなるのか・・・
それを知ろうとすることだ。
したがって、占いの様々な知識も、それを信じ過ぎたり、頼り過ぎてはいけない。
また、一つの的中より、大筋を外さないことの方に意味がある。

政治もまた、一人一人の事柄に拘っていては、大筋を外してしまう。
繰り返すと言われる歴史も、同じ事柄ではなく、大筋を繰り返すのであり、人も政治も、未来の歴史を冷徹に見据えて進まなければ、底なし沼から抜けられなくなる。

近頃の政治家が小物ばかりになったと言われるのも、枝葉末節をうるさく論うマスコミに囲まれているからだ。ジャーナリズムがマスコミになり、ネットになって、社会全体が、事態の本質を認識できなくなっているからだろう。

ならば、ビッグデータで真実が見えるかと言えばそうでもない。データは区分けのしかた、収集のしかたで、いかようにも結論が出せる。
結局は、個々が中庸な認識力、大局観を磨くしかないが、それも難しいなら、とりあえず、アバアウト、ほどほど、いいかげんの心得が、今の日本を救うかもしれない。


海征かば

2015年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

戦艦「武蔵」が発見された話題が、衆目を集めている。戦後70年の節目と言うこともあるが、正直なところ、何が注目されているのかよく解らない。

伯父は、太平洋戦争で撃沈されて、一昼夜泳ぎ、助かった話を、一杯入ると話していた。
幼児期から聞かされていたが、年々話が大きくなって、閉口した。
大人になって、幸い、その話を聞く機会が無くなったが、話を思い起こして調べてみると、マリアナ沖海戦の空母に乗っていたようだ。

両親が死んで、何十年かぶりに、伯父の家に行くと、運悪く一杯入っていた。
久しぶりに掴まえた甥に、また、例の話を話し始めたが、戦後半世紀以上経って、話の雰囲気が少々変化していた。

「一人や二人の頃は、英霊に敬礼!言うて、たいそうな水葬をしよったけど、もう、終いには、飛行甲板が血の海や。早う始末せんと飛行機が滑る!言うて、死体をまとめて甲板から投げ落とすわ、血を掃き寄せるわ、むちゃくちゃや。英霊もくそもあるかい・・・」
話しながら、嘆息が入った。 こんな話は初めてだった。

戦後10年も経っていなかった頃に聞いた話は、興奮冷めやらぬ武勇談だったが、老いて血気も冷め、半世紀も経つと、戦争の悲惨と、空しさだけが残ったのだろう。
言葉には出なかったが、言外に「戦争は、アカン」と、聞こえてきた。
その伯父も、一昨年亡くなった。

戦場を体験した人がほとんどいなくなり、体験談を聞いて育った世代さえ、もう、死を目前にした高齢者だ。
近頃の、戦争に関わる物語や、ネットの雰囲気を見聞していると、「解っているか!」と言いたくなるほど、現実離れしている。

戦時には、覚めた反戦庶民は希だった。皆本気で戦勝を信じていた。
敵は鬼畜で日本には必ず神風が吹くと、本気で信じていた。本気で敵を憎んでいた。
だから、敗戦のショックも大きかった。
狂気の無い戦争など無い。
海底1000mに眠る武蔵に、人々は何を見るのだろう。


馬が喋る

2015年03月07日 | 星の流れに

昔、「ウーマがしゃべる、そーんな馬鹿な」の歌で始まるTVドラマがあった。確か、エドという馬が主人公と話すコメディだった。日本のバウリンガルが、イグノーベル賞を貰ったのも、アメリカ人の、このセンスに響いたのだろう。

しかし、このところ、射手座の土星のせいか、「馬」の具合が悪い。
群馬大学医学部では、腹腔鏡手術の失敗による8人の死者が明らかになった。ちなみに土星の数は「8」、大学は射手座。

土星が射手座に来るということは、双子座の結婚宮(相手)に土星が来ることであり、双子座には相手がいなくなる。または、昔なじみや年寄りの相手が出てくる。
双子座のアメリカは、イラクがアメリカを無視して、同じシーア派のイランと共闘を始めたし、韓国が中国になびいてアメリカを避け、大使が襲われる事態になっている。
また、アメリカ自身も、昔なじみのキューバとよりを戻そうとし、ロシアとは上手くやれないでいる。
良いのか悪いのか解らないが、双子座の習近平は、どうやら、政敵を排除して専制体制を固めているようだ。

これも星のせいかどうか、中川郁子議員と、門博文議員の路チュウには、笑った。
これは、ガソリンとマッチを一緒に置いたようなもので、始めから危ない。
相性も良いし、二人とも、「勝手に」盛り上がりタイプなので、シチュエーションにも燃えたのだろう。

議員としては問題かもしれないが、「まあ、いいじゃないですか」と、笑って許してあげてほしい。たった一つ文句があるとすれば、二人とも、夫婦別姓反対派だと言うことだ。
そうやって法の縛りがなければ、自分がどこに飛んでいくか分からないから、
「なりませぬ、なりませぬ」と言うのだろう。世の中、うるさい人ほど、適当だ。

 


一芸一道

2015年03月06日 | 兄弟関係

TVでまた、日本の商売下手の話をしていた。
クローズアップ現代で、3D技術は日本の発明でありながら、ビジネス化したのはアメリカだった例をあげ、企業は多くの特許を「持ち腐れ」にしていると嘆いていた。

政治も商売も同じだ。日本は、先ず自己満足を求めて、それから、頭を上げて周りを見る。
これが、一人っ子的国民性だ。
何かを始める時、周りを気にせず、自分の興味を追求する。
それが、たまたま商品としてヒットすることもあるが、自分さえ満足したら、あえて、他の人に広める気は無いし、自分が面白ければ、他の人も必ず面白いはずだと信じている。

一人っ子は変人
子供たちが集まって、トランプをしていると、チョロリと隣の子の手を盗み見て、勝ち抜けた子がいた。盗み見られた子は一人っ子で、盗み見たのは4人兄妹の末っ子だった。一人っ子は周囲に無頓着。気づいても抗議せず、懸命に隠そうとしただけだった。
弟妹型は先ず周囲の変化に着目する。長子は押さえ込みと逃避を考える。一人っ子は自分の興味だけを求め、争わず逃避する。

どこかに「たむろ」したがるのも弟妹型だ。お店の常連は、ほとんど弟妹型で、経営者や黙って座っているのは、ほとんど長子だ。弟妹型が経営者の場合、どこかに、頼りにする存在がいる(本人は面倒見ているつもりだが)。長子的人物がいなければ、その店は続かない。
弟妹型が常連としてたむろするのは、仲間はずれを恐れるからでもあり、情報を仕入れたり、自分の言動を、判定して貰うためだ。だから非難合戦になっても、それは判定プロセスであり、そのこと自体が生きがいで、絡み合いが無いと寂しいと思う。

一人っ子は、興味ある事柄の集団には近寄るが、仲間そのものに興味があるわけでは無いから、同じ行動を取らない。そのため、やがて疎外される。しかも、一人っ子は、非難されると反撃せず、自分の中に問題を探す。兄弟達は反撃がないと、よけい攻撃的になる。

中韓の日本たたきも、これと同じだ。自分たちの兄弟関係とは違う、「威張ったり恐れ入ったり」しない、一人っ子の不可解な態度に、「何だ?こいつ」と、大陸兄妹はイラだつ。だから、攻撃の言葉も必ず、「こんな奴は、皆から嫌われる」だ。
逆に今、日本人が中韓に対して感じている怒りと戸惑いは、まさに一人っ子の心境だ。
「一体、何を求めているの?どうして良いのか解らない?」

ただし、長子も一人っ子のなれの果てだから、今、中国が「中国の夢」と、勝手にアジアの盟主になろうとしていることと、かつての日本の「八紘一宇」は、全く同じ、独りよがりの産物だ。中国国内には、日本はアメリカに押さえられているかわいそうな奴との認識もある。
だから、解放してやらなければ、と・・・どこかで聞いたような

一人っ子の商売
中韓の時代錯誤な日本たたきは別としても、一人っ子の日本は、空気を読めない。
他人のニーズや状況を考えてから、何かを始めるのではない。あくまで独断だ。

芸術作品は自分の世界を主張し、表現するものだから、どんな物でも自由だ。それが人を感動させる場合もあれば、自己満足で終わることもあるが、それはそれで良い。
しかし、商品は人に買って貰うために作る。何が求められ、将来、何が必要になるか。ニーズに沿って作られなければならない。
何かをたまたま発見しても作り出しても、ただ、「面白い」では商品にならない。

自分の机上の興味より、「何」と意味づけて売れば、人が金を出してくれるのかを考えなければならない。
「3Dプリンター」という面白い物ができた。ではなく、これを何と言えば人が買ってくれるのかを考えなければならない。
「わらしべ長者」は、くだらない物を、次々と交換していくことで長者になった。
自分が要らない物でも、欲しい人がいれば金になる。

金儲けの神髄は、逆説的だが、物に対する愛着を切り離すことにある。
自分が心血を注いで作り上げた物でも、買ってくれるなら、平気で手直しをして売る。

映画、『モンパルナスの灯』で、金持ちが、絵を化粧品のラベルにすると言ったので、モディリアーニは、「売らない」と言う。これは、金よりも自分の世界を大切にする芸術家のスタンスだが、金持ちの商売センスから見れば「何が不満なんだ?」と、理解できない。

自分の世界に生きる一人っ子は、芸術家に向いているが、日本の技術や発明が金にならないのは、日本人が物心一体の「霊性」に拘る一人っ子だからだ。物には魂が宿ると。
だから、企業も、物づくりは物づくり、商売は商売と考える。

アイデアや発明も必ず売り物になると信じれば、「これはどうすれば売れるか」と考えるが、企業は、売れ筋の商品ではないから「こんな物は誰も買わない」と考える。
つまり、商品と書いてなければ商品ではない。既存の価値でなければ売れない。妖怪は商品にならないと考えるわけだ。(妖怪を商品にしたのは作家だ)

逆の例として、浮世絵は、名画としてヨーロッパに送られたのではない。包み紙として、たまたま目についたことから、「発見」された。
企業は、もう一度、商売そのものを創造と考えるべきだろう。

ただ、実を言えば、既存企業にそれができないのは、企業人自身も日本人だからだ。
企業活動を自分の職人世界と考え、そこに閉じこもっているから、アイデアや発明のような「違う世界」を受け入れることができない。

昔よく、趣味の集まりなどで、「これをこうすれば売れる」と言うと、「また、金の話か」と嫌な顔をされた。外国では冗談を含め、日常会話が、一般に金儲けの話と一体化しているが、日本ではひたすら精神性に向かう。

近頃ようやく、産官学の一体化などと言われるようになったが、一芸一道を良しとする日本人の職人気質は、そう簡単には変わるものではない。
アイデアや特許を無駄にしないためには、企業内においても、立場に拘らず、それぞれの分野が互いの世界を尊重し、理解することだろう。

 


新新事態

2015年03月05日 | 星の流れに

天王星も、そろそろ、牡牛座の気配が漂い始めたが、相変わらず、牡羊座まっただ中だ。
至る所で、「新」が噴出してくる。
中国が、低成長を「新常態」と言い出したと思ったら、日本では、「新事態」なる言葉が表れた。
自衛隊の武力行使要件がどんどん広がるようだ。

中国は、じりじりと他国に入り込んでは、既に我が国の管理が「常態化」しているとふんぞり返るが、経済悪化も、国民に文句を言わさないために「新常態」などと言い出した。
「だって、もう、そうなってるもん」と、言うやつだ。

境界の曖昧な山の土地に無断で杭を打って回り、自分の土地にする土地泥棒があるが、中国のやり方は、それと同じ、杭打ち侵略だ。反応を見ながら、少しずつ少しずつ忍び寄る痴漢は、早い内にビシッとした態度を示さなければ、図に乗る。
しかし、「痴漢だー!」と、大声を上げれば、大事になる可能性がある。

それを考えれば、やむを得ない「新事態」と、信じたい心情タイ。


潮干狩り

2015年03月02日 | 占いばなし

射手座の土星のせいか、このところ、国内外ともに、何とも言い様のない事件が多い。
その中で、面白くて無責任に話せそうな話題は、大塚家具の内輪もめだ。
占い的にも、かなりハッキリ解る関係がある。

娘の久美子氏は長女となっているが、おそらく長子長女だろう。記者会見の日に「今日は私の誕生日です」と言っていたから、魚座だ。父の勝久氏は牡牛座。
二人は親子だけに、よく似ているところがある。相性も悪くないはずだ。
どちらも自信家で、気位が高く、信念を貫く。それが長所でもあり短所にもなる。

大塚家具は、二代目ではあるが、父勝久氏の一代で築いた会社と考えて良いだろう。
大量宣伝で地位を築いたのは、いかにも三碧らしいやり方だ。
また、美と所有の牡牛座ならではの分野、家具であることも幸運だった。
ただ、家具はインテリアのカニ座と、その裏、山羊座の「動産」分野と考えられる。

家具が山羊座の分野と考えられるのは、人を能力人材と考える、山羊座の物理思考が、会社経営や政治家に向くように、妻や家族さえも家具の感覚でいることに表れる。
もちろん、山羊座自身は他の人の感覚を知らないから、この意味が解らないし、人を愛する気持ちや哀感など、様々な情も持ち合わせている。ただ、よく吟味すれば、どうにも即物的なのだ。

山羊座の作家や作詞家が多いのも、物や時間の事柄を並べることで、読者に感情を呼び起こす環境を提供できるからだろう。
なかでも、家具という視点では、小坂明子の「あなた」の歌詞「もしもわたしが家を建てたなら・・・」は、実にストレートに、山羊座の感性を表している。

その山羊座と相性の良い牡牛座は、家具や陶器に拘る人が多く、趣味も、安定感がある上質な物を好む。
だから、牡牛座の勝久氏が上質の商品提供に拘るのは当然で、それが高度成長期からバブルの時代にマッチしたのだろう。バブル崩壊後に会員制にしたのも、富裕層の囲い込みによって、自分の信念の生き残りを図ったのであり、それが当たった。

ところが、勝久氏の運の転機が57歳前後に来た。つまり、そこから運が逃げた。
自分自身の能力の変化と、時代の変化が同時に来たことで、「おまえは既に死んでいる」状態になったのだ。

自動車人間で言えば、父勝久氏はエンジン。娘久美子氏はボディーS。
エンジンは現実的で現金。ボディーは信仰心でセオリーに拘る。
父勝久氏はたたき上げの商売人、サービスと人気で生きるのに対し、娘久美子氏は学者であり、師匠に従い、セオリーを実現しようとする求道者だ。
同類で、感情では相性の良い親子でありながら、生きるすべが真反対だ。

この他にも、娘久美子氏が魚座であることで、重要なことは、世のムード、トレンドだと考えることも影響している。父勝久氏からしてみれば、目の前の人が見えていないと思えるのだろうが、逆に、大量のハマグリがとれる潮干狩りが、気づいたら、満ちてくる潮に囲まれていたということもあり得る。

どちらも、間違いではないし、果たして、娘久美子氏で立て直せるか疑問だが、やはり、老いては子に従いではなかろうか。