魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

砂掻き足

2012年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

一緒にいる男が、通りすがりの女を見たと、嫉妬して怒る女の人がいる。この逆に、女が男を見て男が怒るケースは、あまり無い。

人それぞれだが、こういう女の人は、昔ながらの感性のままで考えている、いわゆる「女」だ。(ジェンダーの)
男女の平等というものは、人格の平等で、生理の均質では無い。

オスの性行動は視覚により、メスの性行動は記憶によるというのは、今ではほとんど定説だ。
メスが、子供の養育に必要な物理的保証を基準にするのに対し、オスは子孫を残すチャンスで考える。

メスは子供の養育条件を比較するために、オスの力量を比較しなければならないから記憶が必要だ。
オスは自分の身体では育てられないから、なるべく多くのメスに委ねなければならない。したがって常に、チャンスを求めて周囲を見回している。

メスがじっくり、それぞれのオスを比較するのに対し、オスは見ただけで個別に、性行動に移ろうとする。ただしチャンスがあればの話だ。
人間社会は、動物よりは複雑な力関係とルールで、おいそれとは性行動に移れないようになっている。

だから、人間のメスを見ても性行動に移ろうと考えるわけではない。
しかし、オスのDNAは無駄な行為を止められない。舗装道路でウンコを取ってもらった犬の、後足で砂を掛ける仕草のようなものだ。

オスに染みこんだ習性を責めるのは、後足を掻く犬を叱るようなもので、酷な話だ。
それどころか、これを怒る女の人に限って、男の目を惹きつけるあらゆる努力をしている。

男がそういう動物であることを承知で、自分自身が男を惹きつけようとし、それが自分の魅力と思っているから、男が他の女に目をやることに我慢ができない。男が他の女に惹きつけられるのではと心配だ。

男は、見て観察するのは当たり前のこと、風景を見る程度のことだと思っているから、一緒にいる女が他の男を見てもたいして気にならない。ただ、いわゆる「男」はむしろ、女が見られることを気にする。

平等の関係
男女が平等に付き合うことは、人間として平等に付き合うことであり、違いを認め合うことだ。全く同じ行動を取ることではない。
しかし、男女差別がハッキリしていた時代の頭のまま解放されると、男女の仲は所有の関係だと勘違いする。結婚指輪などもそうだが、ペアルックなどはその最たるもので、互いが完全に一体化できるものだと信じ合う。だから、嫉妬し合うことが愛情だとも考える。

男女の仲を人格同士の付き合いと考える人は、互いの異性間の違いをむしろ面白がる。チョロチョロ女を見たりする男の習性を、犬の砂かけのように、「バカなやつ」と、面白がったり哀れんだりする。
もっと進めば、二人で品定めを楽しんだりする。

そういう考え方になれない人は、古風で原始的なのであり、自ら因習の檻に暮らしているのだが、そのことは当然、野生を残しているので、セクシーであったり、イヤらしかったりする要因になるのだろう。


斜陽の国

2012年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

子供の頃は、大人の話を聞いていると、ひどい差別があった。
様々な職業や地域に対して見下し、「偉い人」に対する、憧れや尊敬を前提にした会話が交わされていた。
学校で習う平等とは矛盾する、大人達の会話を聞いていると、腹立ちや疑問を感じた。

半世紀以上経った今、当時と比べれば、素晴らしく平等で、差別のない時代になった。封建的な時代からの社会制度が消えて、昔の人の持っていた差別意識の根拠が薄くなった。

ところが、それと反比例するように、マスコミやアニメなどの社会文化の中に、先輩後輩意識や、古い社会制度を前提とする差別意識の掘り起こしが一般化してきた。
過剰な敬語や、ひざまずき接客などの過剰サービスも、当然のようになった。

社会制度としての差別は減少したが、文化としての差別意識はむしろ強くなった。
アメリカナイズで、個人の対等関係が強くなり、社会的な階級が減った分だけ、日本人の「タテ型思考」の儒教意識が、ゆがめられた形で噴出してきている。

階層や職業など、ハッキリした立場の上下がなくなったことで、無理に上下を付けようとして、反って上下関係に敏感になり、前を見ることより、左右や後ろを見ることに神経を奪われ、冒険心が失われ、閉鎖的で向上心のない、閉塞社会になった。

登る目標
一頃、流行った「韓流ドラマ」は、半世紀前の日本社会にあったような、階級社会を前提とした差別感情に基づいている。今の日本社会では理解できない環境だが、古い時代や保守的家庭で育った人には、すんなり感情移入しやすい話だから、それなりにウケた。

今、日本の若者が保守化していると言われる。海外留学や海外赴任はしたくないそうだ。職場では出世したくない人が増えて困っている。
企業は成功のための勝負より、失敗しない手堅い戦略しか打てない。斬新な商品が出ないかと思えば、シャープのように韓国のマネ戦略で失敗する企業も出て来る。

こういう状況を見ていて、ふと、思った。
情けないことだが、差別社会こそがハングリー精神をかき立て、一か八かの冒険心を育てるのではないか。
差別の残っていた時代の日本は、高度成長を果たし、若者は海外に飛び出していった。

中国や韓国から、次々と成り上がり者が出て来るのは、実際にハングリーな環境があることに加え、差別意識が厳然と存在している国だからではないのだろうか。
ランクがあると、人は少しでも上に登ろうとする。

浅ましい成功か、上品な衰退か・・・
そう言えば、近年、やたら、「品格」とかが持て囃されていた。


出て行く

2012年10月04日 | 星の流れに

また、牡羊座現象を拾ってみる。
何時出てきたか知らないが、スギちゃんの「ワイルドだぜ」は、まさに牡羊座時代の「荒野」そのもののヒットだ。本人の誕生日は乙女座だが、牡羊座時代に便乗して当たったためか、あたかも牡羊座のようなハプニング事故に遭っている。

牡羊座は主に、イギリス、フランス、ドイツだが、このところのEU全体の経済問題の中にありながら、それぞれに脚光を浴びている。

イギリスは、ロンドンオリンピックは言うまでもないが、キャサリン妃のトップレス写真の騒ぎや、イギリスを扱った映画「英国王のスピーチ」や「マーガレット・サッチャー」が話題になった。

フランスは、このところハリウッドで人気しているようで、「アーティスト」が、初めて外国作品でアカデミー賞を取ったり、アメリカ映画がフランスを扱った「ヒューゴの不思議な発明」や「ミッドナイト・イン・パリ」が話題になり、しかもいずれも、1930年前後の話で、まさに84年周期の注目だ。

ドイツは、文化的な注目はないようだが、いまやEUの主役であり、一人でしょって立っている観がある。経済面では、日中の争いのスキを突いて中国に深く入ろうとしている。
昭和の日中戦争の最中には、ドイツは中国に新兵器を売り、日本は苦戦したが、このことは日本にはわかっていなかった。

日本とドイツは互いによく似た国で、ともに戦った敗戦国のせいか、互いの国民は親近感を持っているが、ドイツは日本ほど甘くない。
あれだけのことをしていながら、すべてをナチのせいにして、一切関係ない顔をしている。政治家がひざまずいて謝っても、それはナチの独裁を許したことを謝っているので、あくまでも自分達は白だ。

正直者の日本は、戦争を起こしたのは、日本人全体の問題だと思っているから、過去をサッパリと断ち切れない。そのことが反って、戦犯を無かったことにしたり、戦争の過ちを無かったことにしようとする感情の温床になっている。それだけ日本は、世界には理解されない正直者の国だ。「不器用ですから」が受けるのは日本だけかも知れない。

土星は出て行くが、天王星は残る
天秤座から土星は出て行くが、対面の牡羊座に天王星は残っている。
天王星が牡羊座にいる限り、対人関係、つまり、国際関係に振り回される。天王星の作用は、サプライズの連続だ。土星の後遺症もある。

国際関係では、評価されたり非難されたり、誰が敵で誰が味方かサッパリ読めない。
同様に中国にとっても、天王星が社会的信用の第10室に当たり、立場が定まらず、職業が不安定になる。つまり、経済状態がめまぐるしく変わる。


簡単取説

2012年10月01日 | 兄弟関係

兄弟関係に興味を持ってから20年ぐらいになる。これは卜星相の占いや血液型とは違い、後天的な環境論だから、心理学に属するのだろうが、心理学のような科学的手法によらない、経験と勘による、いかにも占い的な手法で観察してきた。

だから、決して心理学ではない。考え方も解説も全く独自のものだから、心理学からは馬鹿にされるだろうが、それはそれで一向にかまわない。次元と宗旨が違うのだから、言葉も違う。要は、実際に応用できるならそれでいいと思っている。

その上で、しかしながら、この兄弟関係というものは、こんなにも影響があるものかとあきれてしまう。
何歳になっても、どんな立場に在っても、三つ子の魂百まで、幼児期の生い立ちは影響するようだ。

極め付けは、国家間の兄弟関係で、国々の文化タイプが歴史的な関係から逃れられないことにも驚く。
ただ、国家間の兄弟関係となると、義兄弟のようなことがあるので、実際は、長子と弟妹が、逆の関係で杯を交わすこともある。長子が弟妹を「兄貴」と呼ぶことも少なくない。

こういう場合は、当事者は全く気づかないのだが、先日の「年上の弟」のように、何かギクシャクすることが起こる。
日中韓のギクシャクは、中韓は朝鮮半島側が中国兄貴の面子の立て方を心得ているのに対し、一人っ子日本は、中国を兄として立てることが念頭に無い。(中国の弟だとは思っていない)

アメリカは弟妹型の国だから、日米や米中の関係では、逆転の義兄弟のようにギクシャクするが、長子のプライドを冒してはいけないことを、何となく心得ている。だから最終的には折り合える。

ところが、日中関係は、中国が日本を歴史的属国(弟)だと勘違いしやすい。日本は、遙か昔に縁が切れた親戚の一人っ子だったことを中国にアピールしておくべきであった。何にせよ、日本の悪い癖は、他人に説明しないことだ。
説明は宣伝でも主張でもない。例えば、日本の天皇には姓がない。これは他の冊封国のように、中国の皇帝から姓を賜っていないからだ。

兄弟関係と占い
占いによる人づきあいと、兄弟関係のそれと比べると、兄弟関係は扱いやすい。「何人兄弟?」と聞くだけで解る。
人相を別にすれば、占いは色々聞かなければならないが、生年月日も血液型も、誰彼構わず聞くわけには行かない。

兄弟関係は日常的に馴染みのあることだから、構えなくても把握でき、それでいて、かなり有効な、人間取り扱いの説明書になる。
もっとも、これを好むのは、大抵は原理主義の長子だけだ。
弟妹型にとっては、こういう原理はどうでもいい話で、要は、それは自分にとって、良い話なのか悪い話なのかの方が重要だ。