魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

飛行船

2009年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

朝からバタバタとヘリコプターがうるさい。
交通ヘリや、取材のヘリ、時には外国要人が軍用ヘリで頭上をまたいでいく。
バブルの頃、地方都市の警察がヘリコプターを買ってもらって、毎日町の上をバタバタと飛び回り、事件もないから、しまいにはスピーカーで「お知らせ」を叫き始め、静かな町の住人がノイローゼになっていた。
基地の町の人のことを考えると比較にならないだろうが、日常に何一つ騒音のない地方の人は慣れていないから、動物園に来て死んでしまったコアラのようなものだ。

ヘリコプターや飛行機は止めた方がいい
ジェット機は論外だが、ヘリコプターは低空を飛ぶ上、低速や停止ができる。何をしているのか知らないが、頭の上に来てバタバタとホバリングされていると、安普請の家の窓がビリビリと震え、重低音で心臓が止まりそうになる。
過去に、きっと、年寄りや幼児の死人が出ているに違いない。

現在主流の飛行機は、ガソリンを湯水のように使う時代に生まれた。
消費量をいくら減らしても膨大な燃料を使う。
アメ車と同じ野放図な設計思想は、根本的に発想転換をする必要がある。

これからは、飛行船の時代だ
電気自動車や飛行船は、初期段階ではむしろ主流と見られていたのに、手っ取り早い実用化でガソリンエンジンに負けてしまった。
飛行船もガソリンエンジンだが、浮揚ためのガソリンを使わないから飛行機とは比較にならない。

大転換とは「エネルギー転換」のことであって、今後の250年は自然エネルギーの時代になるだろう。宇宙時代のエネルギーはその間にまた発明されればいい。

電気自動車には注目が集まっているが、まだ、飛行船は日の目を見ていない。
現在の感覚からすれば、飛行船は間の抜けた風船にしか見えないだろうが、ガソリンが一滴もなくても飛び回ることが可能だ。
もちろん、ガスも可能だが、太陽電池が進化すれば機体そのものが発電機となり、半永久的に飛び続けることができる。
1937年のヒンデンブルグ号の爆発の時代と違い、ガスもヘリウムを使い、何よりも様々な機体の素材が登場している。

スピードの点で飛行機には勝てないが、本格実用が始まれば、また別のアイデアも出るかもしれない。第一、現在のスピードはどこまで必要なものなのだろう。
飛行船が良いのは、モーターなら無音、無燃料、そして何より、バカでかい飛行場が要らない。インフラに金が掛からない。
安全性も高く、コミューター・ヘリの代わりにも使える。

成層圏で常時浮かびながら、静止衛星の役割を果たすこともできるし、宇宙への飛行場としての機能も果たせそうだ。
平和主義者が言うのもおかしいが、ミサイル防衛の可能性もある。
究極活用をすれば、空母に匹敵する活用法だってある。

様々な可能性を持つ飛行船は、エコの今、もう一度、本格利用を考えてみる時だ。  どっかの政党もマニュフェストに掲げてはどうだろう。

ま、何はともあれ、少なくとも、現在の交通ヘリや取材ヘリは、早々に、小型飛行船に切り替えていただきたい。


写真の魚座 2

2009年01月14日 | 日記・エッセイ・コラム

著作権のこと
著作権には批判的だ。「創造」を大切だと思うから著作権が嫌いだ。こう言うと不思議に思われるかもしれない。

夢を言えば、人類全体が創造を理解し尊重し、創造的なものや創造的な人を大切にする。そうあって欲しいと思う。

人類はおそらくサルの頃から、知恵や創造は「自然現象」「天の恵み」と思っていたのだろう。神や先祖を崇拝したり、リーダーを尊敬することで、暗に、英知の恩恵に感謝していた。

ところが、産業革命によって人工物が量産され始めると、人間はエデンの園を捨てて出て行った。
人の手でつくられた(かのように見える)ものに、貨幣価値という人工の「宝」が発見され、世界中の海賊が「創造」という宝島の地図を手に入れようとした。これが知的財産権だ。

神の恵みの「創造」が知的財産権という、「金のリンゴ」になった時、人間は神への感謝、「創造」への敬意を失った。
「創造」は金を生む道具となり、およそ想像力とは無縁な人間が群がってきた。

実際、特許権や意匠権などの現場は「泥棒や追い剥ぎ」の巣窟になっている。特許申請の大半が、誰でも思いつくような物の認定であり、他人のアイデアの、盗用先願であったりする。
「特許をとれば儲かる」と、無い知恵を絞って、涙ぐましくも滑稽な「発明」をする人もいる。

逆に、すばらしい天の恵みの発明であっても、海賊が押さえているために、人類すべてが享受することができないのも現実だ。

医療技術などは深刻な問題だが、映画や音楽、著述など、人類の精神を高め、幸せにする「天の恵み」も、初めから、金のために生まれてくる。また、金のためでなくても、無防備だと海賊に奪われる。

産業革命後の世界は、際限のない欲が物を生んだ。芸術さえも例外ではない。
それを、進歩と豊かな暮らしだと信じてきた。
だが、積み上げた物の山が、ガラガラと崩れ落ちて初めて気がつく。
こんな物が本当に必要だったんだろうかと。

大戦争の後の焦土で、物が買えない大不況で・・・
人類は何度か、欲望の熱から目ざめた。
欲望の熱からさめたほんの一瞬。無欲の創造が目を覚ます。
作っても買い手がない時代にこそ、本当に必要な物が生まれてくる。

金儲けのために無理に作り出すような爛熟ではない、荒削りな創造が始まる。そうして始まる新しい息吹も、やがて世相が安定するとすべて金儲けのシステムに組み込まれていく。

これまではそうだった。
しかし、産業革命のパラダイムが大転換していく今、創造は金から離れ、敬意と感謝のために記憶されて欲しい。
フリーソフトや、動画サイトなどに、その可能性を期待する。
著作権は金の亡者達を閉め出すためにも機能する。


写真の魚座

2009年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

魚座は鏡、ニセと模倣
写真家が著作権で他の写真家を訴えた。
どちらかと言えば、著作権には批判的なのだが、かなりあきれたので、訴えた人の怒りがよくわかる。

訴えられた人がTVに顔を出していたが、『この顔なら、さもありなん』と思った。
訴えた写真家は、廃墟写真というジャンルを掲げ写真集を出していたところ、わざわざ、全く同じ被写体を撮りに行って、同じような構図で撮り、ぬけぬけと、写真集を出したというのだ。

創造力のない人にとって、模倣は純粋な創造だ。
創造という概念がないから、自分が模倣していることに全く気づかない。

写真の話で言えば、
写真を見て感動したら、実際にそこに行ってみたくなるのが普通で、そこに行くと同じ写真を撮って帰って部屋に貼って、友達や家族に自慢をする。これは世間一般、ほとんどの人がしている。
しかし、そこに創造性が無いことは考えても見ない。

自然や物を発見し、価値を見いだすことは創造だが、疑似体験や追体験は創造ではない。本の読者は創造しているわけではない。

音楽にせよ文学にせよ、先人の作品に感動して、自分もやってみたくなって始める人がほとんどだ。だから、初期段階の模倣は、ある程度はやむを得ない。

ところが、「創造」と「物作り」を区別できない人、つまり、創造力のない人がほとんどだから、とりあえず、「作品」をつくる。
すると、世の中、結構これでもまかり通って売れる。
むしろ、馴染みのあるモノの方が受け入れられやすいから、二番煎じや、模倣品は、それなりに商品価値を持つ。

それなりに売れると、自分も周りも、いっぱしの創造者のように勘違いする。同じ調子でスクラップ・ブックのような作品を多作していると、ある時、訴えられる。
初めは突っ張るが、裁判で負けると急転直下、「反省」したりする。
これも、自分では創造と模倣の区別がつかないからだ。
しばらくすると、平気でまた多作を始める。
これを「カエル作家」と呼ぶ。
例の訴えられた写真家も、のほほんとしたカエル顔をしていた。

創造とはコロンブスの卵だ。それまで誰も気づかなかったことを発見することであり、新しい価値観を生み出すことでもある。
塗り絵やジグソーパズル、プラモデルは、どんなにきれいに作っても創造とは言わない。

また、一言多いが、学校で創造は生まれない。


冬将軍

2009年01月12日 | 星の流れに

冬は寒い。「う”~っ」とチヂこまって厚着をしても、やっぱり寒い。
少しでも力を抜くと、脇や首筋から寒さが入り込んでくる。
ビックリして、なお体を固める。

チヂこまりと厚着で、暖かい時には使わない筋肉を使うから、知らない間に肩が凝っている。肩がこると、OOパスや、OOメルツを塗って、皮膚呼吸が悪くなる。

暖房は冷房と同じで、だんだんエスカレートする。
部屋をガンガンに暖めると、外との温度差が大きくなってますます外に出たくなくなる。

そんなことをしている間に、体調を崩して本当の病気になってしまう。
風邪を引いてしまったら、もう寝て直すしかない。
病人ができあがる。

こうなる前に、寒い時に腹を決めて「えいっ」と、薄着で動き出すと
不思議に寒さを感じない。体を動かすから肩も凝らず、お腹もすくし、よく寝られ、好循環が始まる。

病は気から
今度の不況は、北風にビックリして日本中が風邪を引いてしまった。
いや、今はまだ「引きかけ」だが、すっかり病人気分だ。
クラス中が風邪で休んだから、自分も寝付いてしまった。
元気な時に風邪薬を飲めば体調を崩す。
今はもう、すっかり病人だ。

クラス中が休んでも、体力があれば、寝込むことはない。
みんなと一緒に授業ができない時は、自分の勉強をすればいい。
自分だけ休んでいたこともあるのだから。

日本は、自動車のクラスで一番になったが、「みんな休んでしまったら競争できない」と言って寝てないで、みんなが登校するまでに、新しいテーマを、先生になれるぐらい勉強しておかなければ。
自分のことは何でも自分でできる、尊敬される大人になることを考えなければ。

そうでないと、この調子では、今年の秋から妙なことになる。

土星が来る
天秤座に土星が来ると、日本は強迫観念を持って、がんばらなければと思う。つまり、しなくてもいい決死の努力を始める。
30年に一度、戦後3回目の土星だ。野心のために大人の選択を迫られる。その結果は、一時的に大好調となるが、必ず反動がある。
(80年代の絶好調の反動がバブル崩壊だったように)

山羊座の土星は「枷(かせ)」だ、
山羊座がアマノジャクと言われるのは、物事を悲観的に見るからであり、なぜ悲観的かと言えば、本来、カニ座の純真が傷ついているからだ。渡る世間に鬼はない、とは思えない。
なぜユダヤ人はユダヤ人であり続けたのか。に通じるテーマだ。
この先を書きかけたら、際限がないことに気づいた。

とにかく、土星が来れば天秤座はユダヤ人やインド人になる???


伏せ字の時代(下)

2009年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム

80年前の出版やレコードの検閲は、検閲官に文学的素養がないために、「文字」を見ただけでダメになった。内容は関係なしだ。
あまりのひどさに、何も言えない皮肉を込めて、伏せ字の出版物が流行った。中には、てにをは以外は全て伏せ字
「OOがOOを××するのはOOだ。」
といった文章?が並んだ本も出た。

現代の言論統制
現代に検閲はない。その代わりに、自粛・自主規制がある。
映倫、ビデ倫より怖いのは、様々な権利集団からの言葉狩り。ネット上のアラシや炎上、わいせつサイトからの検索トラックバックや迷惑メール。
自由にものが言える社会が、自らの首を絞めている。

検索エンジンは文学的素養のない検閲官だ。こんな「新・検閲時代」だから、悪意の検索ワードに掛からないための簡単な伏せ字を考えた。
単純には仮名一文字ごとに「・」や「★」を打てばクリアできると思うが、見ただけでは読む人にもわからないように、検索に掛かりそうな言葉は50音ナンバーで表記することにした。
(既にやっている人もいるかも知れない)
例:あ=01、か=06、ち=17(下に表記)

これも、しばらくしか通用しないだろうが、全くまじめな話でも、単語として「S★E★X」などと書いただけで、「46021418」検索に引っかかってしまう。中国でなくても、実際には日本にも検閲エンジンはあるのだ。

また余談だが、
こういう比喩的言い方を全く理解しない人が増えて、「検閲エンジンなんてありません」と言ってくるから、日本の国語教育はそうとう前から赤信号だ。国語は埋め込み回答や四択では逆効果だ。実は、言葉狩りも、国語力の枯渇に起因している。

伏せ字の時代(上)

<50音No>.
あ01,い02,う03,え04,お05
か06,き07,く08,け09,こ10
さ11,し12,す13,せ14,そ15
た16,ち17,つ18,て19,と20
な21,に22,ぬ23,ね24,の25
は26,ひ27,ふ28,へ29,ほ30
ま31,み32,む33,め34,も35
や36,い37,ゆ38,え39,よ40
ら41,り42,る43,れ44,ろ45
わ46,ゐ47,う48,ゑ49,を50
ん51


伏せ字の時代(上)

2009年01月10日 | 新鎖国論

天王星84年。今は昔、昭和初期、文化面で二つのことが共通している。

●短歌俳句など、和歌ブームで、万葉集が注目されている。
●うかつにものが言えない。

いずれも大正ロマンの自由な雰囲気の反動として起こった。

和歌ブームは軍国主義の精神的なバックボーンとして、神国日本の復古に共鳴し、もてはやされた。
ことに、古代武官の家系の大伴家持が編んだ万葉集がブームになり、日中戦争が始まると万葉集にある家持の歌から
「海行かば」が作曲されるまでになった。
この時代、記紀が聖書なら、和歌、万葉集は賛美歌だった。

一方、こうした雰囲気の中で、思想統制のため検閲が厳しく、自由にものが言えない時代でもあった。そして、さらに「非国民」という言葉が生まれ、自由な言葉は完全に封印された。
現代人が想像するのは難しいが、今なら北朝鮮が近いだろう。外から見れば滑稽だが、中にいれば大まじめなのだ。

この昭和初期と現在は、一見、違うように見えるが、やはり似ている。

政治経済は誰でもわかる。歴史に文字として記録されているからだ。
しかし、世相の空気は残っていない。

空気が時代を作る
記紀や万葉集の文学的価値とは関係なく、戦前の日本人はそれを聖典に祭り上げていった。
和歌、万葉集ブームとは、「日本人が世界で最も優れている」証明の一つだった。

80年後の今。日本の中にはそういう空気が生まれ始めている。
漫画、アニメ、ゲーム、日本食、etc.・・・が人気していることに悦にいる報道があふれている。
小さな島国が経済大国になったことの自負も、様々な国際貢献や立場の要求として膨らんでいる。

思いがけない日本人気に舞い上がり、日本は昔からすばらしい、と古典が注目されている。古典尊重は良いことだが、なんでもブームにする日本のことだから。たいていは、度を超すことになる。

文化を守るために鎖国すべきだと思うのは、鎖国すれば、「日本食認定」のような文化の押し売りに走らないからだ。
日本的なるものの評価は、しっかりした日本があってこそ保てるのであって、これが日本だと押しつければ、イヤみとなり嫌われる。

伏せ字の時代(下)


う~ん???

2009年01月09日 | 日記・エッセイ・コラム

韓国で、ネット上で経済予想をして大人気になっていた青年が逮捕された。ガサネタを流したという理由だが、それならあらゆる書き込み人を逮捕しなければならなくなるだろう。
情報の信憑性は読む人間が判断するのが、ネットの掟だ。

日本の場合、むしろ本当のことを言って逮捕される。
本当のことというのは変な言い方だが、ファイル交換ソフトを作った人が「著作権に対する疑義」を掲げたことで悪意と判断された。
「みんなのための便利ソフト」と言い通せば、警察から指導があっても「あ、そうですか」と言い訳できる。

ウソが蔓延するところでは「この、ウソつきめ」と捕まり、正直を旨とするところでは「この、正直者め」と捕まる。警察って何だろう。
う~ん???


風の音にぞ

2009年01月09日 | 星の流れに

世の中の何でもないようなニュースに、時代の動きがかいま見える。
11月、加山雄三が小室哲哉を非難した。
年明け、坂本冬美がロック調演歌発表。
いずれも、牡羊座が従来のイメージと違うことをした。
他にもいろいろあるが、このあたりに、天王星の胎動が見える。

天王星が来るとその星座は「とんがる」。
魚座に天王星が来た時、何を思ったか魚座の作詞家、川内康範が突然、森進一に自己主張をした。
こうした例は、これから牡羊座でどんどん増えてくるし、エネルギー過剰集中で、年寄りの場合はダウンする。
近年、久々に脚光を浴びた魚座がダウンした例として、川内康範や植木等がいる。また、魚座の中島みゆきと松田聖子がCMで共演していた。おそらく意外性がネライだろうが、それが末期症状だ。

まだ脚光を浴びていても天王星が去ると突然、反動が起きて問題に投げ込まれる。
過去数年で出てきた魚座のスターやタレントは、これから要注意だ。

一般人の魚座の場合、人生環境がずいぶん変わった。
この間に悪いことがあった人より、モテモテだった人の方が危ない。

牡羊座の人は、それがこれから起こる。今は何となくモヤモヤして『何とかしなくては』と感じている。何か始めた人もいるだろう。長年準備してきた人は、まさに「キター」だが、何も準備していない人は要注意だ。

当然、牡羊座との相性が良い獅子座や射手座の人は、かなり恵まれる。牡羊座よりリスクが少ないから、ガンバれる。

世相としては、脳科学や心理学にかわり、哲学や人生論が持てはやされる。
複雑怪奇や猥雑が嫌われ「わかりやすさ」と「美」が求められる。
世相全体には「若々しさ」「爽やかさ」が注目され、人気者は何でもそういう目で見られる。(実はそうでなくても)

どう評価されるかは別として、加山雄三は人生論と哲学を打ち出し、坂本冬美は若さやエネルギーを出そうとしている。


パクる

2009年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム

今、「パクる」「パクられた」と言えば、「盗まれた」「マネされた」と言う意味で使う。

もともと、「パクる」「パクられる」と言えば、「捕まえる」「捕まった」の意味だった。
「捕縛」(ホバク)の意味で、役人が「おとなしく縛(バク)につけ」と、「お縄を頂戴しろ」と同じ意味で言った。
だから、警察の上司は部下に「「パクってショッ引いてこい」と言う。

これが犯人の立場になると「パクられる」ことになる。
「♪身から出ましたサビ故に、ヒゲのポリ公にパクられて」と言う歌もあった。
60年代の学生運動では、反体制のムード的な感情移入で、ヤクザ映画がはやり、「デモに行って警察にパクられた」のような言い方が一般化した。

このころ一般化した言葉では、「ピース」「パクる」「ヤバい」などがあるが、いずれも、もとの意味では使われなくなった。

「ヤバい」は「ナウい死語」でもあげた。「ピース」はベトナム反戦運動のアメリカから流行ったが、もとは第二次大戦中のチャーチルが「ビクトリー」の「V」サインとして二本指を広げたのが始まりだ。
勝利がピースになるのは逆のように思えるが、戦いに打ち勝って平和をもたらす。平和運動に勝利しようの意味だった。
今は写真を撮るときの「おきまり」ポーズか、知らない人とのご挨拶に使われる。もともとが連帯感を表すサインだったからだ。

「パクる」の場合、捕まるが、なぜ、マネするになったのか。
語感的には何となくそんな感じもするが、関係ないとする説もあり、確かに理屈では繋がらない。

1970年頃から40年経った。
この間、ゲームの先駆けとしてヒットした「パックマン」は、大口のパックマンが、エサを求めてパクパクと飲み込んでいくゲームで、超有名になった。

何でもパックン、パクパクと飲み込む行為が「パクる」となり、他人の物でも飲み込んでしまうのを「パクる」と言いだした。
それが、すでに聞き慣れていた捕の「パクる」(確保)と一体化して、飲み込んで「自分の物にしてしまう」ことになってしまった。
そこから、マネして自分の物にしてしまうのを「パクりだ」と言いだした・・・そういうことではなかろうか。

なお、魯生のパクパクは、パクリでもパックンでもない。むしろ、吐き出し。

時代の感性は、時が経てば忘れられてしまう。
言葉も、実際使っていた人達でさえ違う意味で使うようになる。
さんまが直接的な行為の意味で使い始めた「エッチ」は、昔は単に「スケベ」や「嫌らしい」の意味だったが、今はそういう使い方をしない。

「感覚」は揮発性だ。終戦当時に、日本人がどんな思いでいたのか、憲法九条はどんな気持ちで受け止められたのかは、開戦の時、日本人がどんな気持ちになったかと同じように、想像できるようでできないことなのだろう。


マイホーム

2009年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

アイデンティティってどんな意味だろう
[identity]  は学術用語で同一性とか自我同一性と訳されているが、コンピューターでは識別情報となっている。一般には本人確認とかにも使われている。

i+denなら、I*わたし+den巣穴で、自分の隠り場所
i+dentでも、やっぱり凹みで、dentalも虫歯穴
digも掘るで、古語はdegだそうだから、やっぱり、穴だ。
(*このiは?接頭語in?)

ようするに、自分の巣穴、穴蔵、根城ということだろう。
「カニは甲羅に似せて穴を掘る」と言うコトワザもある。
人間もみな自分の穴蔵にすんでいる。そういうイメージが、「わたしの穴蔵」が何者かを意味することになるのだろう。

ここはどこ、わたしは誰
穴から出たアリ地獄は情けない。貝から出たヤドカリは情けない。
子供は、怖い時には布団に潜り込む。

自分というものは、何かの殻(穴蔵)によって成り立っている。
それは自分の思いこみであったり、生い立ちで身に付いた習性であったり、本当は自分とは言えないようなものをかき集めて「自分」のつもりでいる。
穴から外に出ても強い、ヘビや熊もいるが、たいていの動物は穴作りに余念がない。

人間も常に、自分の穴は大丈夫か確かめ続けている。
自分の穴に自信が持てなくなると、オレの穴はすごいんだぞと経歴自慢をしてみたり、入り口に飾っておいたら強そうに見えるブランド品や車を並べて、外敵が来ないようにしている。

中には、人の穴を壊せば、自分が安全になると思っている人もいる。
こういう人は、壊しに出てライオンに食べられてしまう。

誰でも穴暮らしはするものの、ヘビや熊は寝るだけだから、さして立派な穴を作らず、目が覚めたら穴を忘れて出かけていく。ライオンは始めから穴を作らない。
逆に、どこに行くにも穴がなければ怖い亀のような人もいるし、穴のスペアをいっぱい作っておく、キツネやネズミのような人もいる。
あまりにも恐がりで穴を作るヒマもなく、ひたすら逃げるシマウマなど・・・
穴との関わりは、実に様々だ。

穴暮らしの動物には、結構、他人の穴を利用する動物もいるらしい。
現代人は、規格品の穴を業者から買って、みんなと同じだと安心してきた。
ところがある日、ガラスの箱ごとひっくり返されたら、アリだったことに気がついた。

アリの巣をひっくり返したことありますか?
蜂の巣をつついたことありますか?

80年前には、家を失ったアリや、怒ったハチが飛びまわった。


みぞうゆうとゆうと?

2009年01月06日 | 兄弟関係

麻生総理が未曾有を「みぞうゆう」と読んだことを馬鹿にしている人たちの、どれほどが未曾有の「事態」を理解しているだろうか。

先ず、説明されるまで、「未曾有」と言う言葉すら知らない人が相当いただろう。
次に、見たことがあっても読んだことがない人、つまり読み飛ばしていた人もいる。
まじめな人は、ちゃんと辞書を引いて意味と読み方を確かめ、もっとまじめな人は、書いてみただろう。

そうすると、麻生総理は少なくとも「まじめな人」ではない。
しかし、もちろん、見たことはあるだろう。
では、解らないから読み飛ばしていたのかというと、そうではない。読み方よりも文脈の意味に注目し、ほぼ正しく理解していただろう。
もし言葉も意味も知らなかったとしたら、下書き原稿を渡された時に尋ねるか調べるだろう。
しかし昔から知っていた言葉だから、全く引っかからなかった。
だから躊躇なく読み上げた。

いくら麻生総理が失言癖があり、不真面目な人であっても、原稿のある文章を、考えなしに読み上げるほどバカではないだろう。確認ぐらいはとっているはずだ。
その上で読み間違えたのは、言葉を知らなかったのではなく、むしろ、あまりにも確信していたから、と理解すべきだろう。
さらに、もし、この原稿を自ら書いたとするなら、この言葉が好きでさえあったのかも知れない。
学校で身につけた「整った」知識ではなく、とりあえず、「使える」知識を重視する。

これが長子だ。意味さえ解かれば細かいことはどうでもいい。
誰かを「見習って」物事をおぼえる習慣がない。
やはり長子の加山雄三が、十代に一人でヨットを造ってしまった話を自慢するが、その後の音楽もDTMも全部、我流でやったものだ。
ほかにも、様々な分野の長子がいるが、基本はみな我流だ。

この逆に、何でも年長者を見て覚える弟妹は中身より、とりあえず「形ができる」ことを重視する。
マンガなどでも、お兄ちゃんが喧嘩相手に「やれるものならやって見ろ」と啖呵を切っていると、横にいる弟が「やってみろ」と言う。
そんな一コマがよくある。漫画家の鋭い描写だ。

大人でも弟妹型は、よくわからない話になると、少しでも関連する単語を出して、茶々を入れたり、何とか参加しようとする人がいる。
長子型は大抵、黙って聞いているか、突然、持論を展開しはじめる。
話題の中身を確認し、自分の見解と照らし合わせているからだ。

学習も長子が独創型なのに対し、弟妹は調整型、活用型だから、丸暗記の活用が生きる受験には比較的強い。中には、勉強せずに山勘やカンニングで答えだけ活用しようとするタイプもいる。

総裁が「みぞうゆう」と読む未曾有の出来事を、鬼の首を取ったようにこき下ろす人達のどれほどの人が、この未曾有の「事態」を認識し、自分のこととして真剣に考えているだろうか。

ところで、余談だが
この「曾」の字、よく見ると頭を抱えて困っている人の顔に見えるからおもしろい。これ一文字で立派な顔文字だ。

流行り言葉


2009年

2009年01月04日 | 星の流れに

2009年はフクの年?ツく年?ニク(憎)年?荷多く年?
う~ん、どうなんでしょう

今年は「年明け早々」1月6日から木星が水瓶座に入るから切りが良くてわかりやすい。

水瓶座といえば、政治、組織、企業など、人がつくりだした人格。
いわば神のようなもの。
また、神が吹き込むスピリット、胎生、卵、蘇りの息吹。
新しいものが生まれる科学。寒い国=ロシア、北海道、南極。

[星座の死と再生]
生死の境は=サソリ座
遊体離脱は=射手座
死体遺骨は=山羊座
胎生は=水瓶座→お花畑、神の国、魂の息吹、受精
胎児は=魚座
新生児は=牡羊座

つまり、「水瓶座は形のないカオス」
♪何が何やらさっぱりわからんワテほんまによう言わんわ・・・
いろんなものがてんやわんやの大騒ぎのお祭りの年になる。

様々な組織が生まれ解消する。
科学がブームになり、新技術、それに関する会社や組織が生まれる。
乗り物に関する新技術や、後に大企業となる宇宙とエコ技術の会社が生まれる。
交通インフラなど、将来に備えた大改革が起こる。

政治も混乱と再編。(見るからにそんな感じだが)

水瓶座の天王星は「爆発」、「4」
大きな火山噴火や大爆発事故がある。
芸術は爆発だぁー ?
花や花火、卵が話題になる。
四の数、四人組、カルテット、四方、四天王・・・・など
様々な立場が並び立つ→弱者の反撃

そうは言っても、世相は天王星が重要で、
今朝も相変わらず、南洋で大地震の津波が日本まで押し寄せている。
しかし、そろそろ牡羊座の「新」の時代も始まるから、水瓶座と合わせて今年は「新技術」「新時代」の年になるだろう。
牡羊座の「哲学」と、水瓶座の「神の精神」が合わさり、人類はいかに生きるべきかも話題になりそうだ。