魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

惑星が先か運命が先か

2006年09月05日 | スタンス

世相を考える>で「世相を動かすのは惑星か」と言う問題に少し触れたが、西洋占星術の考え方では星が運命を支配する。近年では少しでも科学的説明をしようと惑星の引力や電波などの影響を持ち出し、科学から失笑されている。純粋に運命論の立場に立つなら、科学的解明は本末転倒だ。
「運命ありき」ならむしろ、ケプラー以前の「神の意志が天体の運行に現れる」と考えるべきで、その際、決して科学に媚びることなく、どんなに肩身が狭かろうと「迷信で結構」の立場に居直り、占いの哲学に徹すればよい。

その上で、
惑星の影響を語るとすれば、惑星が直接、物理的影響を与えるのではなく、惑星の運行周期や象徴的意味を通して、運命の実態をかいま見ていると考えるべきだろう。惑星は単なるバロメーターに過ぎないということだ。

占いに科学を持ち込むことによって、へび使い座があったから13星座だとか、惑星の定義が変わったら8惑星だとか、一々振り回されて、自ら「価値ある迷信」を虚仮にするような、みっともない盲動をすることになる。迷信としてのプライド?というものもあって良いのではないか。

では、なぜ、天王星などと近代科学の成果で語るのかという向きもあろうが、極論すれば天王星でもセレスでも何でも良い。現実に起こる現象や周期を説明づける指標なら何でも良いのだ。
ただし、周期はこじつけであってはいけない。過去にさかのぼり検証され、未来の周期に現れる現象を予測し、それが妥当な結果を得ることで意味を持つ。またこの時、現象と結果とはあくまで占い的象徴イメージの一致で、物理的一致ではない。ここでも「迷信で結構!」の信念が大切だ


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