魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

干支の話(7)

2015年08月09日 | 占いばなし

ちょうど干支の話を書いている時、「空亡に三合すれば効力が消えるんですか」と問われた。四柱推命の定番の疑問なので、これには持論で答えた。

干支術の四柱推命は、年月日時の四干支を並べ四柱とし、運命の図式、「命式」と呼ぶ。命式は生日干支を軸とするので、年月時の支が生日から見て空亡になることがある。
通常は、空亡になった年月時の支は効力を失い、運命が弱くなるとされるが、この支に三合や支合(以下「合」)する支が有ったり、年回りの支が「合」であったりすれば、空亡が解消するとされている。

確かに、結果的には空亡効果が減少するので、解消すると考えられるのは間違いではないが、正確ではない。
結果にかかわらず、空亡も合も、同時に存在する。例えば、悪臭に香水を撒けば嫌悪感は解消されるが、悪臭の元が消えたわけではない。もし毒性の悪臭なら、命にも関わる。一方で、身体に香水を付ければ個々の体臭と重なり、別の臭いが生まれることもある。

つまり、「A+B=C」ではなく、基本は「A+B=A+B」ということだ。
また、空亡で、必ず運命が弱化するということもない。単に、本来の姿ではなくなるだけで、むしろ変化により運が良くなることもある。
空亡すれば自分の能力が発揮できないのだから、悪い能力(資質)であれば、適度に緩和され、良い働きに変わるからだ。

また、「合」により、別の働きが現れるので、空亡による弱化より、「合」によって生じた変化が目立ち、あたかも、空亡の効力が解消したように見えるので、空亡が消えたかのような印象はあるが、決して消えたわけではない。

空亡の人格
では具体的に、空亡のある人にはどの様な特徴があるのか。
年月時の場所にもよるが、自分の性格や能力や本音について、自覚が無い。
人間は基本的に、誰でも自分のことは解らないものだから、あくまで比較論だが、自覚のなさ故に、他人に良い人と思われたがるところがあり、自分も良い人だと思っている。(主に月支の空亡)

この思い込みによる振る舞いが、結果的に他人に好まれ、出世する。しかし、一方で、無自覚な善人志向が、厳しい現実対処とズレることがあり、大失敗につながることがある。
空亡支に対し「合」がある場合、合の持つ他人との化学変化、つまり、他人の協力による、別の行動要素が加わることで、本来の結果とは違うことが起こる。
だから、確かに、空亡だけの結果とは異なることになるが、良い結果になるとは限らない。他人の影響は、良い場合も悪い場合もある。しかも、この影響中も空亡であることは実在し、迎合的な受け入れは無自覚のままだから、なぜその結果になったのかの自覚が無く、また成り行き次第の波に乗る。

干支作用は単純な数学ではない
西洋占星術もそうだが、理屈を知れば、干支術もコンピュータで確実に答えが出せるような気がする。
いずれはそうなるかも知れないが、今現在、世界最高峰のコンピュータでも天気予報すら、確実にできない。
運命が星によるものか、他の周期律によるものかさえ、(有無を含めて)定まっていないのに、コンピュータで予測するのは夢のまた夢だ。
したがって今現在、干支術は、機械的な足し算引き算で考えるのではなく、干支の持つ資質の相互作用と総合的結果であることを念頭に、柔軟性を以てとらえ、実践を考えなければならない。


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