魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

一白世界(1)

2013年08月20日 | 占いばなし

NHKドラマ「七つの会議」は、面白かった。原作は読んでいないが、観ているうちに、『こりゃ、一白だな』と思った。
元の本との距離がどれくらいかは知らないが、どんなシナリオや監督の手を通しても、映画やドラマには、原作者像がどこかに残っている。

九星一白のストーリーは感傷的な扇情をベースに、逃れようのない世界で人間が葛藤する話が多い。しかも、言葉巧みにその世界に引き込み、多くは、運命とか絶対権力者とかの存在で苦しめられる。その上で、得体の知れない実力者に、弱小な一個人が立ち向かい、打ち勝つ。

一白水星は水であり、智の星だ。智恵は湧き出る水に例えられる。
何も無い時でも、智恵は無尽蔵であり、智恵こそは人間の武器だ。
智恵の星一白は、この、無から有を生む水の世界に生きている。
そして、想像力は一方で、妄想の世界でもある。

一白の犯罪に色情犯罪が多いのも、人間の素朴な欲望が、湧き出る妄想と現実を区別できなくするからだ。
また、周到な保険金詐欺なども多いが、トリックを練り上げる妄想力が、あまりに暴走すると、不自然さによって発覚する。

現実がヒントだとしても、後は一白の妄想の世界だ。一白の小説に引き込まれるのは、感情が想像力と融合し、信念に変わった世界を、作者自身が、現実と信じて語るからだろう。読者を感情で素早く絡め取る。

この点、同じように話のうまい三碧とは、いささかカラーが違う。
三碧の場合は感情にのめり込むことはなく、むしろ、行き当たりばったり、思いつきのサプライズを追求する。猫だましの世界だ。
したがって、一白の方が深く長い心酔で涙を誘い、三碧は驚き怒りなど瞬発的な感情を積み重ねて、最後には何も残らない。

「七つの会議」が、面白かったのは、ドラマではなく、筋立てとレトリックだ。次々と、いかにもの展開をする。裏にはさらに裏がある。
話が進むほど、一白の世界としか思えない複雑さ。しかも、突き放して見れば、何のことはない、将棋盤上の争い、コップの嵐だ。
何も、その設定や枠組みに義理を立てることもないのに、作者の設定とルールに従って、小さな世界の中で気を揉んでいる。

一白の掟
一白の世界は、全ての設定を自分の脳内で固める。徹底して自前の世界だから、一端、引き込まれると目を覚ませない。

調べてみると、原作者の池井戸潤は、やっぱり昭和38年の一白だった。
近年のベストセラー作家で、同じ一白には、藤沢周平がいる。
「七つの会議」だけで言えば、東京建電は、藤沢周平の海坂藩だ。親会社は幕府であり、その「上位権力者」にバレてはまずい失態を隠そうとする。

天上権力者には抗えないから、抵抗しても迎合か昇天しかない。
しかし、絶対権力者の下にはまた、力の支配構造、派閥がある。
この現世の権力構造を打ち破るのは、小さな漏水穴が堤防を決壊させるように、敵の構造の盲点を突く情報戦が主戦場となる。最後には、絶対権力者の力で、腐敗権力を裁いて貰う・・・

これが、一白の世界だ。先ず、運命や絶対権力者の力を信じている。目の前の敵を打ち破るのは、情報と裏工作、心情に訴える味方作りによる、切り崩しだ。


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