魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

曲がり角(1)

2020年08月30日 | 日記・エッセイ・コラム
新世界
これから」でも話したが、「常識」や「当たり前」が、変わる時が来た。
先ず、GOTOキャンペーンのような、正常バイアスによる盲動政治を、改めなければならない。
もう、これまでの業態や社会慣習を守るために金を使う時ではない。
社会は、苦しくなれば自ら変わる。むしろ、その変わる人々を支える政策を出すべきだ。
GOTOキャンペーンで助けようとしたのは、変わろうとしない人々だ。

26日、JR東日本が、東北新幹線で新鮮な魚を東京に運び、東京駅のレストランで提供したニュースがあり、大好評だった。こうした努力こそ助けるべきだ。
政治家は、時代変化を認識し、既存の経済資源を、違う形で活かす知恵を絞り、同時に、将来のビジョンを打ち出すのが仕事だろう。
知恵が出ないなら、幕末のように、謙虚に国民から知恵を募ることだ。膨大な意見を、AIで集約し、有用な案を抜き出すなら、これもアナログ政府には一つの前進だ。

コロナが収まっても、これを機に始まった動きは止まらない。ついに世界は大転換の曲がり角を回ったのだ。これまでの常識は失われる。
コロナも気候変動による大転換の一コマに過ぎない。地球の環境変化のほうが大問題なのだ。防災は言うに及ばず、生活、産業、社会が根底から変る。もう小さな傷や心の問題にかまっていられる時ではない。前進か死か!人類の正念場だ。

一人の犠牲者も出さない戦争は無い。今起こっているのは戦争以上の出来事だが、戦争として考えてみよう。
観光産業一つとっても、見た目は同じだが、宿泊施設も交通機関も観光業者も、大空襲で焼け野原になったと考えるべきだ。
焼け野原になったのは、物の意味、使用目的であり、ここからの再出発は「意味を創出」すること、使い方を変えることだ。

新常識が始まる
例えば、芸能・音楽も、この百年の変化は、人類史を覆すほどのものだった。
古代ギリシャの円形劇場は、当時としては驚異的だ。大勢の人が演者の声と姿を同時に楽しむことができるようになったのだ。
近代、ポピュラー歌手はメガホンで歌っていたが、マイクとスピーカーが生まれて歌の概念が変わり、レコードが生まれて、音楽の意味が変わった。特別な場を必要とせず、誰でもどこでも楽しめるようになった。
しかし、臨場感は得られなかったから、コンサートはやはり原点だった。
ところが今回のコロナで、一堂に会することが不可能になり、臨場感を得る様々な試みが行われている。オンライン、VRなど、すでに技術環境は整っている。この動きがあと一歩進めば、芸能音楽の概念は画期的に変わる。
百年前の視聴覚革命が、今、再び始まろうとしている。