魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ガンコ者

2016年07月09日 | 兄弟関係

兄弟の中で、最もガンコなのは中間児だ。中間児は責任を逃れられる立場にある。
最も損をしているように見えて、実は一番得をしている。と言っても、長子や末子のように自動的に得をするのではない。不利な環境から学ぶのだ。

長子は先に成長するから力がある。末っ子は幼いから親が目を掛け、そのまま終いまで可愛がり続ける場合も多い。
長子に負け、末っ子に奪われ、良い事がない中間児だが、強い長子に適当に従いながら、力を利用し、何でも人頼みの末っ子の面倒を見て、支配者の立場を作り牛耳る。

日頃は楽しそうにしているが、責任問題が生ずる可能性がある時には、黙り込んでしまう。不用心な長子や末っ子が声を上げるのを見て、様子を見ながら、その場にいない他者の言葉や例を挙げ(責任回避)、適当な相づちを打つ。事が決まれば、また、しばらく様子を見る。
長子も、末子もアウトゴーイングだから脇が甘く、中間児が足下をすくおうと思えばスキだらけだ。

何かの拍子に自分が責任を問われるようなことになれば、長子か末っ子に責任を押し付ける。どちらもスキだらけだから、中間児にとっては格好の隠れ蓑になる。
長子は、外しか見ていないから、内輪の細かいことが疎かになり、そこを突ける上、潜在的に責任を取らなければならないと思い込んでいる。末っ子は圧力で押し付けても良いし、無知を突くこともできる弱者だ。その上おだてにも弱い。

こうして責任を取らなくてもすむ生い立ちによって、中間児は自分が間違っているとは思わなくなる。その結果、自分の間違いを認めることができなくなり、問題解決が遅れ、結果的に自分が一番苦しむことになるが、辛抱強いので、さらに問題がこじれて悪化する。

要所さえ沈黙していれば、失敗の責任は長子と末子が取るので、中間児には上も下も間抜けに見える。しかも両者とも、バカにするようなことを言ってもさして気にしないから、中間児は人をバカにしたがるようになる。(逆に自分がバカにされると憤る)
ことに身近な人をバカにするようになり、自分ではそれを親しさと思っているので、どんな立派でも、兄弟や身内を相談する対象とは考えず、重要なことは他人に相談しようとする。

弟妹型は民主主義
中間児が他人に相談するのは、弟妹型の変形でもあるからだ。末っ子は、何か変化が起きる度に、他人に報告や相談をする。(声高に自慢するのも報告の変形だ)
末子は物心ついた時から、勝手なことをすれば叱られるので、変化が起こるとすぐ声を上げ、周囲の反応を待つ。末子だったことのある中間児も、真っ先に他人の反応や意見を知ろうとするが、末子が大声を上げるのに対し、中間児は沈黙、あるいは様子を見ながらの打診になる。

こうして他人の反応が必要な弟妹型は、常に群れたがり、何かの集団に身を寄せたがる。喫茶店など、たまり場の常連は弟妹型で、クラブや会社での集団行動の担い手も弟妹型だ。周囲の空気を読んで行動する弟妹型は、持ちつ持たれつの民主主義が得意で、ことに中間児は政治家としての手腕を発揮する。

これに対し、長子は他人の意見を聞こうとはするが、従う気は毛頭ない。無人の荒野を行く心境で、他人の意見は判断材料のデータに過ぎない。当然、報告の必要性を感じていないから、弟妹から見ると、突然勝手な行動を起こすことになる。弟妹が集まる集団では、長子は良く言えば特別扱いだが、要は難物として扱われることになる。
それでも、弟妹のいる長子は、一応、他人の存在を意識した行動を取るが、一人っ子は他人の存在を全く意識していない。

弟妹のいる長子が自分の道に引っ張っていこうとするリーダー的性格なのに対し、一人っ子は自分の世界に埋没する芸術家的変わり者だ。
中間児は、親や長子を尊重する。生き方の参考になるし、長子は隠れ蓑にもなり、末子を指導する方法も学べる。
中間児が、互いに全く理解できないのは一人っ子だ。

周囲に人がいることが前提の中間児と、誰もいない一人っ子は、互いに異次元の人だ。
中間児から見ると一人っ子は、末っ子のように扱いやすく、長子のように賢い。したがって、外国人に対する好奇心のように、接近したくなる。何しろ中間児にとって、兄弟のいない家族など想像もできない。
一人っ子の方も、穏やかに向こうから近づいてくる中間児を、額面通りに受け取り、とても良い人だと思う。

一人っ子が、一対一の内面交流の対話のつもりでいると、不可解な抵抗に遭う。意見交換のつもりで言ったことを、中間児は立場の確保がかかった問題と考え、突然、理屈とは関係のない主張を始める。
これは、政治家と学者の議論のようなもので、何のための言論かが、全く異なるのだ。

人間関係意識が皆無の一人っ子は、学者のように自分の興味だけで話しをするが、中間児は理屈に興味はなく、相手から何を得、何を守らなければならないかを考える政治家の現実論、対処論で考える。
状況が把握できない一人っ子は、それでも中間児のことを良い人だと思い続けるが、中間児の方は、政治家が学者を観るように、世間知らずのバカでも利用価値のある希少種だから温存しておこうと考える。

民主主義の政治家
民主主義時代、政治家で成功するのは弟妹型が多い。ことに中間児が成功する。自分の考えより、様々な意見を活かし、自分の手柄にする。また、周辺の力関係の動きに敏で、生き残り策を講ずるのが早い。不必要に感情を表さず、儀式しきたりを忠実に履行する。
現行の世襲政治家の場合、成功しているのはほとんど中間児だ。

こうした点から逆に、政治家を見てみると、能力が計り知れるし、その国の政治がどの様なものかも理解することができる。

民主主義の場合、衆愚の力を利用しなければならない。古典的な専制政治の場合は民の印象より本質的な善政が有効になる。為政者は長子のような独自の先見性とリーダーシップさえあれば良いが、民主主義での長子は不評の的になる。
森や麻生があれだけ不評だったのは、唯我独尊だったからで、安倍や吉田、佐藤、小泉が人気なのは中間児的人気取りと、長子(覇権国)を利用する賢明さがあるからだ。
小泉の場合、長子が継がず次男進次郎が継いだのも必然的だ。
ちなみに、北朝鮮の金王朝で、長子金正日が三男正恩に継がせたのは、大きな判断ミスと言えるだろう。専制政治は何と言っても長子の方が向いている。

長子は始めるのも止めるのも自分だから、落としどころを考えながら「暴走」するが、末子は人が止めてくれるものと思っているので、外から止められるまで暴走する。