魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

偉業の人

2015年03月20日 | 日記・エッセイ・コラム

桂米朝が亡くなった。仕方がないことではあるが、喪失感がある。
上方落語はあまり好きではなかった。子供の頃、家にあった春団治のレコードを聴いたとき、それまで聴き慣れていた江戸落語とは全く違う世界で、「うるさい」ことしか印象に残らなかった。

ところが、大人になって聞いた、桂米朝の落語は、むしろ、江戸落語より面白かった。
江戸落語にある人情話や粋の風情とは、全く別の、徹底した笑いの中に、さりげなく人情があり、教養を感じられる。
笑いの関西にあって、むしろ徹底した教養に裏付けられた、合理性があるのだ。

『百年目』でも、円生の人情話の半分の時間にまとめて、時代や社会をサッと見せてくれる。
大変な研究家だったことは有名だが、『宿屋仇』の中で、江戸時代の宿屋の有様をうるさ型の武士に語らせる下りは、イザベラ・バードの『日本紀行』そのままだ。

米朝を受け継ぎ、最も期待していた研究家の桂枝雀が早世し、相当がっかりしたことだろう。上手い落語家はこれからも出るだろうが、上方落語を芸術にまで高めたのは、桂米朝の他にない。

落語、マンガはサソリ座のものだが、手塚治虫に続き、桂米朝という偉大なサソリ座も去って行った。
悲しいより、偉大な功績を改めて認識させられる。