魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

電車遠足

2010年05月22日 | 日記・エッセイ・コラム

№906

電車で、小学校高学年の遠足に出会った。言い渡されているらしく、一般客が座っている時は、みな無理に座ろうとせず、立っている。
おばさんが、自分の席を詰めて、座るように勧めても座らない。

それでも小学生。とてもじっとしていることなど出来ない。
休憩時間の廊下のように、思い思いに、ふざけ合っている。

ひょうきん者らしい男の子が、誰かのキャップを取って、自分のキャップに重ねると、取られた子は、取り返そうとしたが、何を思ったか、近くの友達のキャップを取って、逆にその子の頭に重ねた。
すると、それを見ていた友達が、我先に自分のキャップを重ね始めた。

黄色のキャップの「ひさし」がぐるりと取り巻いて、花びらのようになったのを見て、女の子が「兵隊の帽子みたいだ」と笑ったので、
『あー、そんなことまで知っているんだ』と、驚いたが、妙に安心した。

どういう印象を持っているかは別として、歴史の風景として戦争の記憶を受け継いでいることに、感心した。
と、言っても、この子らにとっては、生まれる半世紀以上も昔のことだ。この子らの祖父母にとっての日露戦争よりも昔なのだ。

身近な印象と歴史の事柄とが混在した、どうにでも理解の変わる知識なのだろう。
今現在どう理解しているかは別として、知識があればやがて、自分が学ぼうと思へば、とりあえず、とりつく島になる。
反面、その知識を逆手に取られて洗脳されることもある。

が、何にせよ、外国人に日本のことが説明できないようでは困るのだから、善悪云々より、知識だけは豊富にして欲しい。
同時に、外国ではそれをどう教えているのかという、客観的な知識も持っておくべきだろう。それが、公平で科学的な歴史観を育てることにもなるはずだ。。。。。。。

さっきの男の子の帽子は、それぞれ自分の名前を確かめながらかぶり直した。最後に、最初の子がキャップを取り返そうとすると、
ひょうきん者の子は、二つのキャップの「ひさし」を左右に分けて、耳に押し当てながら

「ダンボだぞー」