魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

神に感謝

2010年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

№901

あちこちで菜の花が自生して咲いている。中州やどぶ川も満開だ。
食糧難の時代は、誰でも野草を摘んで食料にしていたから、
子供でも「これは食べられる、これを食べたら死ぬ」などと言いながら遊んでいた。
風も水も透き通っていた。

学校でも、椎の実拾いの行事があった。おそらくそれを体験した最後の学年だったと思う。
椎の実は、煎って食べるととても美味しい。今でも都市の公園や神社の森に落ちているが、誰も拾わない。
年寄りは、銀杏や椎の実を拾う人もいるが、若い人はいないだろう。

ありがたいことに、日本は北朝鮮のような状態ではないし、自然環境も湿潤で、自生する植物も豊富だ。かなりの食糧難になっても、耐えられそうだが、江戸時代の飢饉の話を聞くと、天候不順になれば、自生の植物も育たないということだろう。

それでも、藩単位の経済ではないから、現代では、日本全体でかなり補い合えるのではないかと思う。
飢饉による餓死は、ほとんどが藩の失政によるもので、戦時中の国内の食糧難も、軍が本土決戦に備えて放出しなかったことが大きいと言われている。農村では、とりあえず食べることはできていたし、敗戦とともに、一時的に軍の食料が町にあふれた。

敗戦前後の経済がどうなっていたのか、よく解らないのだが、無政府状態による流通の滞りが、都市の食糧難や闇市を生んだので、買い出しが可能だったことは、農村はそれほど傷んでいなかったことを表している。

地球規模の気候変動が起きれば、どうしようもないのだが、その気になれば、日本の自給率は100%を上回るはずだし、多少の不作は、現在は食べないような野草や穀物でまかなえる。
そういう意味では、日本列島の自然は本当に恵まれている。

ただ、農村の人は今でも、山菜採りを日常的にしているが、都会の人間では、物珍しい趣味と考えられている「野草を食べる会」にでも教えてもらわなければ、何が食べられて何が食べられないのか、判らなくなった。

最近は共同体を再構築しようと、祭りの復活も盛んだが、ほとんどの祭りは、山の神、田の神、海の神への感謝だ。
食料生産とともに、食物を大切にする心を育む意味でも、身の回りの野草を集め、魚を釣って食べるような活動を進めてはどうだろう。

これは、リリースをするような釣りとは真逆の発想だ。魚は玩具ではないのだ。