魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

とても大切なもの

2008年01月15日 | 日記・エッセイ・コラム

ナチスがユダヤ人を強制収容する時、個々の最小限の所持品の中から、家族の写真や形見を、不要な物として取り上げ、捨てたそうだ。

人にとって命の様に大切なものは、金でも宝石でもない。自分や家族の思い出だ。
人間性と想像力を失った人には、他人のボロ写真や、壊れた形見の時計などゴミでしかない。

思い出倉庫
地震、津波がせまっている。南海・東南海はカウントダウンが始まっている。様々な対策、訓練も行われている。
しかし、重要なことが忘れられている。
いざとなった時、迷わず家を飛び出して非難する心の環境作りだ。

銀行の通帳も印鑑も大切かも知れない。しかし、そんなものは一時的には不便になっても、後でどうにでもなる。
どうにもならないものは
写真や形見など、唯一無二の個人に関わる物。
他人には何の価値も無い物だ。しかし、これを失うと、災害のほとぼりが冷めてから、人生にポッカリ穴が開く。

津波が来れば、逃げるしかない地域の人達と、その自治体に申し上げたい。
日頃から安全な所に倉庫を用意して、住民の思い出の貴重品を預かっておいてはどうだろう。小さくて簡素でいい。泥棒には何の価値もないものだ。強いて言えば、プライバシーを守るために個々の鍵はつけた方が良いかもしれない。
地域住人の心が詰まった現代の「お社」だ。

この考えに賛同していただけたら、自治体や共同体に言って上げて下さい。

もし、自治体や共同体が何もしてくれなければ、
自分だけでも、日頃から大切な写真などは一カ所に集めて密閉し、庭に埋めておくことをお勧めします。
ただし、後で忘れないように石碑を建てておく方が良いかもしれませんw。
簡単なのは、離れた家族などが複製を持ち合うことでしょう。
遠くの友達同士で預かりあうのも良いかもしれません。