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【FILMeX_2012】『おだやかな日常』 (2012) / 日本・アメリカ

2012-11-29 | 邦画(あ行)


監督・脚本・編集: 内田伸輝
プロデューサー・出演: 杉野希妃
出演: 篠原友希子 、山本剛史 、渡辺杏実 、小柳友 、渡辺真起子 、山田真歩 、西山真来 、寺島進

映画『おだやかな日常』公式サイトはこちら。(2012年12月22日公開)

第13回東京フィルメックス『おだやかな日常』ページはこちら。


内田監督の前作『ふゆの獣』をフィルメックスで見逃してしまって、そして劇場公開も日時が合わず(単館に近い公開でしかもレイトだったような・・)結局未見。なのでこれは絶対に見逃したくないなと押さえました。


今回上映後トークショーがあった。内田監督、杉野希妃さん登壇。
脚本というよりは即興でお願いすることが多いという監督の作品だが、本作は第10稿まであったという。それでも現場では「脚本はあくまでもキーワードだから忘れて」という指示があったそうだ。母親たちの会話、夫婦の会話にリアリティがあるのはたぶんそのせいだろう。それがいい効果となっている。ただでさえ震災関連の作品はどうしてもイデオロギーや主張が全面に出てしまいがちなだけに、自然な形、自然な意見を描くことは非常に重要だからだ。
3.11後を描く映画は何本か出てきている。すぐに思いつくのは園子温監督の『ヒミズ』『希望の国』あたりだろうか。どちらも被災地に住む人を取り上げて描いている。
しかしながら本作は東北ではなく、東京近郊に住む人たちを取り上げている。直接被災してはいない人々が震災後に見えない放射能の影響にどんな反応をしたのか。被災者ではない視点で震災を体験した人も多いだけに、その視点から描かれる震災も現実的である。これは内田監督が震災後にネットなどから情報を得ていた時の不安感が元になって、製作のベースができたということであった。被災はしてない、けれど身近で起こった震災の変化を感じている人はいるはずで、その矛盾を受けやすいケースに落とし込んで描いたことによって、より現実的に考えられる結果となっている。


2011年3月11日、東京近郊。同じマンションの隣同士の部屋に住むユカコとサエコ。その日もいつもと同じ日常が続くはずだった。地震とその後起こった原発事故がなければ、通路で挨拶を交わすだけの二人の人生が、思いもよらぬ形で交錯していくーー。
福島原発から漏れだす放射能は、ユカコの生活を少しずつ蝕んでいく。日常に入りこんでくる放射能を遮断できない苛立ちと不安は、夫との関係に揺らぎをもたらす。一方、震災直後に別の女性の元へ行ってしまった夫を頼ることもできず、ただ一人、子供を守らなければならないサエコは、娘の通う幼稚園での思い切った行動によって徐々に周囲から孤立していく。やがて不安を抑えきれなくなったサエコはある事件を起こしてしまうのだった…。
(公式サイトより)



震災は、様々なストレスを抱えながら生きる人たちの心にさらに負荷をかけるものとなった。例えば仕事で苦境に立たされている人にとっては雇用環境の変化であったり、健康に不安を抱える人にはこれから先の体調不安を増やすことになったり。
ここに出てくるサエコのように子育て中の母親たちにとってももちろんそうで、放射能から子を守るということが命題になった方も多い。子育てという、比較対象となりやすいシーンにおいては、世間一般で常識とされている子育て方針が他と著しく異なる場合、母親間の会話の俎上に乗せられて評判となる。その評判がさらに自分を追い詰める悪循環。
そして心に負荷を抱えたのは社会的な弱者だけではない。普通に何の心配もなく暮らしている人にとっても放射能汚染の不安をもたらした。それがユカコたちだ。彼女たちは子がいない共働きの若夫婦なので、当面特に心配もなく暮らせるはずが、放射能の心配をするあまりに日常生活が少しずつ変わっていってしまう。これは『希望の国』のいずみにも似た反応と言える。
また、ただでさえ放射能汚染の不安にさらされているのに、社会的弱者を抱えていたり要因をもっていれば、リスクはますます高くなる訳で当然ストレスも増す。


子どもがいるいないに関わらず、放射能から身を守りたいということは普通の反応なのに、何故かそれを前面に打ち出すと叩かれることの不思議。身を守るために一時避難すること、防衛することに対してとやかく意見したり中傷する人々、彼らは結局「自分たちと違う事をする人たち」が鬱陶しいだけ、排除したいだけの話。
自分を正当化するために他人を陥れる。この発想は有事の際には特に顕著に表れる。自分とは違う他者を攻撃したいという、いざという時に現れる人間の本能、これは今回の震災のみならずこれまでもこれからも現れてくるだろう。
避難したくても事情によりできない人たちもいるが、彼らからすると避難した人は「故郷を捨てた」「街を捨てた」としか映らない。その言葉の中に全くやっかみがない訳ではないだろうに、そのように他人の選択を指摘することで自分たちを正当化することにすり替えた人もいたのではないか。これは典子の行動が代表的だが、彼女の場合は自分たち家族の利権をサエコが侵害するかもしれないという恐れがあり、それに対しての防御本能もあった。あたかも震災によって反原発を唱える人の活動を、利権を守りたい派閥が妨害することの例えなのだろう。典子の場合はそれにプラスして、母親同士の妬みも絡む。彼女は逆境にありながらも正々堂々と主張を通すサエコが目障りなわけで、この典子がもっと描かれてもよかったようにも思う。
ユカコの取った行動自体、実行する人は滅多にいないはずなのだけど、心情としてはそのくらいしてあげたいと思う人もいたのではないだろうか。正確な情報が国からは何ももたらされない不幸な国民たちが、何を根拠に動けばいいのか。信念があって動くことに対して批判する権利はない。迷惑がられたらその時に引き下がればいい話なのだから。



サエコとユカコのような人たちはそれこそありふれたように存在するが、実は結び付くことは意外と少ない。共通のコミュニティがないと人はどうしても個別で動く。その彼女たちを結び付けたのが震災かもしれないが、それはそれで共有する部分があったわけなので連帯できたのはいいことなのかもしれないが。
震災以降やたらと「絆」というワードが上がっているが、では絆とは何か? 利権を同じくする者同士が狎れ合うことでもなく、そこにいるからというだけで無理やり主義を変えさせて一緒にさせられることでもない。相手のために動きたいという気持ちがあって初めて絆と呼べるのではないか。サエコにユカコが力を貸すのは少々強引だったかもしれないが、それも絆の1つの形なのだ。
また一見別の方向に行きそうだったユカコとタツヤも、タツヤが世間の見方から脱却したことによって寄り添っていく。その先に何があるかは見えなくとも、添っていける人がいるだけで大半のことは救われる。主張としては分かれてしまうかもしれないが、そのことを問い質す必要もない。
タイトルこそ『おだやかな日常』なのに、実際起こっていることは全くおだやかではないことばかり。
それでもその中に少しでもおだやかな事が訪れればいい。



★★★☆ 3.5/5点






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4 Comments

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こんばんは (ノラネコ)
2013-01-16 23:11:19
あの日から1ヶ月間位の記憶を、物語の筋立ての中に再構成した様な、不思議な既視感のある作品でした。
フィクションの中に自分や知人たちを見るような。
思いっきり作家の主張の出た「希望の国」と比べると、こちらはより身近な分余計に怖いかも。
最後にそれぞれが出口を見つける事が物語的には救いでしたが、現実世界ではこれが続いてますからね。
力作でした。
ノラネコさん (rose_chocolat)
2013-01-19 17:15:22
私も『希望の国』よりはこちらでしたね。
現実的というか、被災地から離れても実に様々なせめぎ合いを引き起こしている震災ですから、ノラネコさんが現実の人間関係に重ね合わせてしまうのも、よくわかります。
まだ震災は終わってないということを強く感じさせてくれました。
こんにちは (まてぃ)
2013-03-24 09:28:02
監督と杉野さんのトークショー、どんな内容だったのか興味津々です。
震災から2年がたっても津波被災地の復興は遅々として進まず、原発からの避難生活は続いている。でも喉元過ぎれば、だんだん注目が少なくなっているのが悲しいところです。
1人ひとりが考えるべき問題ですね。
まてぃさん (rose_chocolat)
2013-03-26 07:44:01
杉野さんのトークイベントって実は参加は2回目なんです。
杉野さん、すごく映画に対して熱い方ですよ。
オリジナリティを出したいっておっしゃってたかな。
その、前回の日記ありました。 『歓待』ですね。 ↓
http://blog.goo.ne.jp/rose_chocolat/e/ba0140adc04e4749232723678359683d

忘れてしまうのが一番いけないんだと思います。ついつい忘れてしまう。それを防がないといけませんね。

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