La Rose et Le Vin

バラとワインをこよなく愛するひとのために・・ On boit du vin! / Monsieur Rose

「ブルゴーニュの成り立ち」について

2004年12月26日 08時22分35秒 | ワインのエトセトラ
お友達に頼まれて書いた長文です。

まちかちゃんのリクエストである「ブルゴーニュの成り立ち」について、本日出張の車中でまとめてみました。記憶を頼りに書いたので細部に誤りがあったらお許しを。また長くなりますのでその点もご容赦おくれやす。

先ずブルゴーニュに初めて葡萄の樹を持ち込んだのは紀元前、ギリシャの軍隊だとされています。その後ローマ人も数多くの葡萄の樹を持ち込み栽培していたようですが、いずれにしても気が遠くなるほどの長い歴史があるわけですね。
・・・さらに時は流れ、王候貴族、豪族達が台頭する時代が訪れ、ブルゴーニュ公国が成立するのです。
ブルゴーニュ公国、そしてフランスの一部になる歴史の中、一貫して共通する特色があります。それは教会との親密な関係です。これがブルゴーニュの歴史を語る上で最も重要な点ですが、王侯貴族たちはこぞって自らが所有する葡萄畑を教会に寄進したのです。ご存知の通り、キリスト教にとってワインと言うのは特別な意味を持っており、加えて修道僧たちは、神に捧げるに値する高貴なワインを造れる場所を探し求めていたという背景があります。5世紀になるとマコネやニュイ・サンジョルジュなどに巨大な宗教センターのような施設が建造されましたが、これも王侯・貴族らの後ろ盾があってこそ出来たものです。クロ・ド・ブージョはシトー派の修道院が所有する畑であったことは有名ですし、オスピスト・ド・ボーヌも形態は若干違いますが、寄進には違いありませんね。こうしてブルゴーニュは教会が中心になりワイン造りが盛んになったわけです。
しかし諸行無常の理は如何ともしがたく、隆盛栄華を誇ったブルゴーニュ公国もやがて衰退していきます。全盛期にはブルゴーニュ地方だけでなく、ドイツや東欧の一部まで支配していた公国も、15世紀にはついにフランス国王ルイ11世によってフランスの一部に組み込まれることになり、終焉をむかえました。
その後も教会との親密な関係は続きますが、フランス革命を機に先日書いたように農地解放、ナポレオン法典の全子均等相続などの影響で、畑は細分化されていきました。

さてここで、当時のブルゴーニュではどんな品種の葡萄が栽培されていたか考えてみましょう!まちかちゃん想像つきますか?答えは「あっと驚く、タメゴローーーーー!!」(超古い)
18世紀の記録によると当時ブルゴーニュの全栽培量の90%近くを占めていたのは、何とガメイなのです!信じられないでしょう。どもこれは事実です。ガメイと言えば現時ではボージョレイしか頭に浮かばないと思いますが、当時はブルゴーニュ全域で栽培されていたのです。ブルゴーニュ・パストゥ・グランという格付けの赤ワインがありますが、三分の二はガメイを使用する規定になっています。もしかしたら当事の名残なのかも知れませんね(これは私見です)
ところがです。大事件が発生しました!たしか1400年頃だったと思いますが、ヴァロア朝のフィリップ公という人がこんなお触れを発したのです。
「ガメイをすべて引っこ抜け!そして高貴種であるピノ・ノアールに植え替えろ!」
フィリップ公は異常なまでにガメイを憎んだようで「あんな粗野で下品なワインは汚らわしい」「ガメイで造ったワインなどを飲んでいたら病気になり早死にする」とまでの賜っていたようです。ガメイは比較的丈夫で収穫量も多いため、当然ながら栽培する側からの猛反発を食いました。しかし長い年月はかかったにせよガメイはコート・ドールから駆逐されてしまったのです。これは後のAOC規定による影響も大きいようですが、ブルゴーニュの代名詞でもあるピノ・ノアールが全域で栽培されるようになってから150年も経っていないことは知っておいて下さい。
ただしボージョレイだけは別でした。立地的に南仏やイタリアに輸出していたため経済的特権を認められたようです。今で言う外貨獲得みたいなものでしょうね。

「あれ、シャルドネイは?」そうですね、白ワインも昔から造られてはいたようですが、比率的には赤の方が断然多かったようです。しかし前回書いたように、ピノ・ノワールは粘土質の土壌を好みますが、ブルゴーニュにはチョーク質土壌(石灰)の場所もたくさんあったわけです。例えばピノ・ノワールを栽培している斜面でも一部にチョーク質土壌の場所があったりするのです。「しゃあねえから、あそこの場所にはシャルドネイでも植えんべか!」・・・これが真相のようです。今でこそ世界一の白ワインを産するブルゴーニュですが、当事はこんな感じだったようですよ。白ワインで有名なムルソー、シャサーニュでは偉大なる赤ワインが今でも造られていますが、当事は立場が逆だったようで、以前ハラシン師匠に教えていただいたのですが、昔はシャサーニュの赤1本とモンラッシェ3本で物々交換がされていたそうです。現在では考えも付かないことですが、これも歴史の一部なのですね。

と言うことで、ものすごく長くなってしまいましたが、結論としてはブルゴーニュの歴史は王侯貴族らの庇護の下、教会と共に歩んできたというところでしょうか。
まちかちゃん、こんなもんでよろしいかな??

それから私はシャサーニュの巨人であるラモネの赤を3本持っていますが、誰かモンラッシェと交換してくれませんかーーーーー?・・・・いるわけないか!? (^○^)


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