Chiro's Memo

My Sweet RoseとRosariumの更新記録です。

選ばれし者

2006-11-29 00:00:16 | 美術
フェルディナント・ホードラー 選ばれし者
1893-94 219×296cm ベルン美術館


19世紀末スイスの画家ホードラーの代表作です。
ホードラーは世紀末芸術の中心から離れたスイスに暮らしながら、
「パラレリズム」という独自の理論による象徴的・装飾的作品を生み出しました。

ホードラーはベルンに生まれますが、幼くして両親を失い、
その後相次いで兄弟姉妹も亡くし、32歳で天涯孤独となりました。
はじめ写実的な風景画を描いていた彼は、
相次ぐ肉親の死と貧困の中、生きる力を求めて次第に神秘的なものに傾倒していきます。

ホードラーのパラレリズムの理論は
「平面的かつ没個性的な背景の前に堅実なデッサンと肉付けを施された複数の人体を置き、しかもこれらの人体において相似た形態と腺と色彩とを平行反復させる。」
というものです。

『選ばれし者』もその理論に基づいて製作されています。

6人の天使は個性を排除したほぼ同様の姿で反復的に描かれています。
このことは画面の装飾性を強調するのみならず、
厳粛な雰囲気を表現する効果をあげています。
天使の衣裳はホードラー自身が「『優しさ』をイメージさせる」と表現した青に塗られています。
彼は青を「静寂」や「希望」など穏やかなテーマの作品に好んで用いました。
6人の天使の作り出す「縦のパラレル」は「生命と死」を象徴するともいわれています。

一方背景の山の稜線や大地を覆う緑が作り出す「横のパラレル」は
「穏やかさ」や「安らぎ」を表しています。
背景は彼が生まれ育ったスイスの風景といわれています。
スイスの自然は生涯を通して彼の芸術の源となりました。

中央、十字架を象徴するともいわれる枯れ木に祈りを捧げる少年は彼の息子がモデルです。
そこへは子どもの無事な成長を祈る父としての思いが託されています。

『選ばれし者』はこの祈りを捧げる少年を指していますが、
それと同時に家族の中で唯一生き残ったホードラー自身をも表しています。
この作品で独自の芸術を確立した彼は65歳で亡くなるまで
自然とそこに潜む神秘を描き続けました。
常に「死」を意識しながら生き続けた彼が
「生」への祈りをこめて描き出したのが『選ばれし者』だったのです。

子どもの頃好きだったこと

2006-11-27 23:35:37 | Weblog
昨日は今現在好きなもの・好きなことをあれこれと羅列してみましたが、
子どもの頃好きだったこと・好きだったものも色々とあります。

・シール集め…ノートに貼り付けて、それぞれにコメントをつけていました。
・着せ替え…私が子どもの頃は文具店にたいてい置いていましたが、
      今はほとんど見かけません。
・塗り絵…本当に適当に塗りたくっていました。
・リカちゃん人形…色々な設定で遊んでいました。
・落書き…架空の漫画雑誌を作ったり、
     着せ替えや塗り絵を作ったりしていました。
・読書…これは今も変わりません。
ちなみに読んでいた雑誌は
「マミイ」「めばえ」「幼稚園」「小学一年生~小学六年生」と移っていき、
漫画雑誌は「なかよし」「ひとみ」でした。
あと学習漫画の「学研ひみつシリーズ」が好きでした。
・キャラクター…最初は「キティちゃん」でその後「マイメロディ」になりました。
        それ以外にも「風の子さっちゃん」が好きでした。

子どもの頃していたことを今改めて振り返ると思わず赤面してしまいます。

My Favorites

2006-11-26 23:20:00 | Weblog
私の好きなもの・好きなこと
 
 猫
 世紀末象徴主義絵画、ラファエル前派絵画
 ルネサンス絵画(特に初期ルネサンス)
 そのほか古典絵画全般(一部のもの除く)
 何かを「読む」こと(本・新聞・雑誌・パンフレット・チラシetc)
 薔薇、睡蓮、白百合
 パンダ、ラッコ
 美術館・博物館
 動物園・植物園・水族館
 古代オリエント・地中海世界の歴史・文化
 シルクロードの歴史・文化
 中世~ルネサンス期ヨーロッパ
 世紀末ヨーロッパ
 古代日本史
 明治~大正~昭和初期の文化(レトロなもの)
 オリエンタルテイストのもの
 クラシック音楽(特に世紀末ごろの音楽)
 イージーリスニング
 映画音楽(特に1950~60年代のもの)
 フレンチ・ポップ
 ターキッシュ・ポップ
 一部のJ-POP
 星座と宇宙
 地質時代
 漫画(特に歴史ものと猫ものの少女漫画)
 画集
 ビーズアクセサリー作り
 ネットサーフィン
 ブログ等を通しての交流
 展覧会めぐり紀行
 カラオケ
 自己流の振り付けで踊ること
 HP作り
 
色々思いつくままあげてみましたが、
自分という人間がいかに趣味に対して雑食であるか痛感しました。
画像は最愛の絵画作品の一つ『My Sweet Rose』です。

猫になりたい日

2006-11-25 20:35:22 | 
ようやく風邪は落ち着いたので、今日は出勤しました。
しかし、まだ完全ではありません。

こんなときは猫になりたくなります。
明け方ごろ家に帰ってきて食事をし、
人の布団の上(それも真ん中)に乗って熟睡し、
人が起きる時間になれば、押入れの奥に入れてもらってまた眠り、
昼ごろに一度起きて食事をし、また押入れに戻って眠り、
夕方ごろようやく起きて活動開始、
夜中にねずみや蛾を捕まえて帰宅して、家族を騒がせ、
遊び飽きたら食事して眠る…

これがわが家の猫の一日です。
はっきりいって「食べて」「寝る」ことが日課のようです。

楽そうで、ずぼらな性格の私にははまりそうですが、
これを毎日となるとさすがに退屈しそうです。
猫になるなら年に一回数日くらいが適当なところのように思えます。

(画像はゲインズバラ『猫習作』です)

眠る女 Sleeping Beauty

2006-11-24 20:10:25 | 
眠る女 Sleeping Beauty 解説:山田登世子 1995 トレヴィル
 美しいものはすべて眠る。
 この世を、時の歩みを忘れ果てて。
本書帯より

以前トレヴィルから出版されていた「女」シリーズ(?)の三冊目です。
最近河出書房新社より『水の女』が復刻されました。
『黄泉の女』『眠る女』の復刻もしていただけると、本当にうれしいのですが…。

世紀末象徴主義・ラファエル前派の画家たちの描くさまざまな「眠る女」たちを
4章に分けて紹介しています。

Flaming June
表題となった『燃え上がる六月』をはじめとするレイトンの作品のほか、
アルバート・ムーア、アルマ=タデマ描くまどろむ古代の女たち
ホイッスラー、ティソ描く近代(当時においては「現代」)の娘、
ミレイ描く“お寝む”になってしまった幼女など(実に愛らしいです)
多様な「眠る女」の姿を見ることができます。
中でもクリムト『少女』の多くの女たちが一体になって眠る姿には
「輪廻」というか、「生命の循環」を感じます。

Sleeping Princess
バーン=ジョーンズの『いばら姫』を初めとして、
ウォルター・クレインの『眠り姫』やウォーターハウスの『聖カエキリア』など
物語に登場する「眠る女」たちの姿が紹介されています。

The Nightmare
フュスリ『夢魔』のほかデルヴィル、ムンクなどの情念に満ちた「眠る女」が紹介されいます。
これらの作品を見ていて
眠っているときに見る夢は甘美なものだけではなく、
時として恐ろしいものであることもあると感じました。
この章の冒頭はクリムト『ダナエ』なのですが、
この後に登場する悪夢の女たちを見ていると、
あの恍惚とした表情をしたダナエの歓びも儚いもののように思えます。

Hope
ウォッツ『希望』ブレイク『あわれみ』といった
これまでに見てきた「眠る女」とは異なった系統の女の姿を見ることができます。
悪夢の女たちの後で見る『希望』は
パンドラの箱を開いてしまった人間の最後の寄る辺のように思えます。
これら「眠る女」の姿は世紀末象徴主義者たちの
20世紀という新しい時代に対する「恐れ」の表れであったように思えます。
混沌の世紀末で未来への展望が開けない中
ある者は美しい夢を追い求め、永遠に眠り続ける女を描き、
またある者は己の内面を「悪夢」の形で表したのではないでしょうか。


久々にMy Sweet Roseの更新を行いました。
美術エッセイの追加と展覧会覚書の追加です。
いずれもブログの再録です。
体力が回復すれば、他のコンテンツの追加も行いたいと思います。

流行の最先端

2006-11-23 15:38:53 | Weblog
私は流行には無頓着で、身の回りの趣味は流行を超越したものばかりなのですが、
今流行の最先端をいっています。それは「風邪」です。

現在勤めている部署で今秋初の「風邪引き」での休み一号になってしまいました。
仕事から帰宅した後、遅くまでPCに向かっているのがよくないのかもしれませんが、
ついつい遅い時間までネットサーフィンを続けてしまいます。

全国アホ・バカ分布考

2006-11-20 10:42:33 | 
全国アホ・バカ分布考―はるかなる言葉の旅路 松本 修(新潮文庫)

「アホ」と「バカ」の境界線はいったいどこにあるのか…
1990年に人気深夜番組「探偵!ナイトスクープ」に寄せられた
そんな素朴な疑問から生まれたのが「全国アホ・バカ分布調査」です

初めは単純に「アホ」と「バカ」の境界線は東京と大阪の間にあると思われていましたが、
調査を経るうちに、「アホ・バカ」表現には多様性があることがわかり、
全国の「アホ・バカ」表現の分布を調べるという試みに発展しました。

「アホ」や「バカ」といった「つまらない」言葉の調査は
「アホらしく」また「バカバカしく」思われたのか、
それまで専門家によってなされたことはありませんでした。

全国各市町村へのローラー作戦や、古文献の研究など
様々な調査を経て生まれたのが「全国アホ・バカ分布図」です。
その分布図を見ると、畿内で生まれた新しい「アホ・バカ」表現が
同心円状に全国へ広まっていく様子がわかります。
すなわち「バカ」は古い時代に畿内で生まれ、関東や中四国西部・九州まで広まった言葉であり、
「アホ」は一番近年になって畿内で生まれた言葉であることが判明したのです。

分布図完成後も更に「アホ」「バカ」といった言葉の語源にまで
様々な形でアプローチしています。

「アホ」や「バカ」といった言葉は
使い方によっては人を傷つけるものとなる言葉であるにもかかわらず
決して本当に人を貶めるための言葉ではないというがわかりました。
むしろ家族や親しい人に対して愛情をこめて発する言葉が
「アホ」であり「バカ」であるように感じます。
だからこそ京で生まれた新しい「アホ・バカ表現」が
次々と全国へ広まって行ったのではないかと思います。

素朴な疑問から始まった壮大な知的探求を楽しめる一冊です。

だらだらと

2006-11-19 23:01:08 | Weblog
最近は「美術」関連の記事の更新が少なくなっております。
せめて週に一度くらいは「美術」の記事をUPしたいのですが、
ついつい手軽な身辺雑記に偏ってしまいます。

ひょっとすると今は「芸術」を愛するモードではなく、
だらだらと身の回りのことを語りたいモードになっているのかもしれません。
「芸術」モードに切り替わったら
しつこいくらい世紀末芸術をはじめとして、
美術について語りだすのでは?と思っています。

テレビと私

2006-11-18 22:57:24 | テレビ
私はテレビは嫌いではないけれど、別に見なくても問題ないほうです。
(ただしニュース除く)

中学・高校の頃はニュース、美術もの・歴史ものドキュメンタリーが中心で、
時々クイズ番組を見る程度でした。

大学時代一年だけ寮にいたのですが、
そのときはほとんどテレビは見ませんでした。

なので、寮を出てアパート暮らしをする際テレビを買ったことを友人に話すと、
「え~千露テレビ見るの~?」といわれました。
一人暮らしをしている間は何も音がしないと寂しいこともあり、
テレビをつけている時間が多かったと思います。
深夜番組というのを見たのもこのときが初めてです。

実家へ戻ると自室にテレビが無いため、
どうしても見たい番組以外はあまり見ない生活に戻りました。

祖母が亡くなった後は祖母の部屋で使用していたテレビを
自由に見ることができるようになったのですが、
それから間もなく「ネット」と出会ってしまいました。
PCのある部屋とテレビのある部屋が別のため、
必然的にテレビを見ない生活になってしまいました。
今では夕食後に見たい番組があるとき少し見るくらいです。

久しぶりに図書館へ

2006-11-17 21:59:02 | 
タイトル通り久しぶりに図書館へ行きました。
市内の図書館はあまり歴史や美術関連の本は充実していないので、
今回は小説ばかり借りました。

10代~20代の頃はほとんど小説は読まなかったのですが、
一身上の都合で前の職場を退職し、
プータロー生活だったころに図書館に通い詰めて、
様々な小説を読むようになりました。

ここ最近はあまり小説を読んでいなかったのですが、
久々に図書館に行って手が伸びたのは小説ばかりでした。
特に好きな作家というのは無いので、
「ジャケ買い」ならぬ「表紙借り」もしくは「タイトル借り」をしています。


lapis様や遊行七恵様のところで漫画喫茶の2号店が開店しているのを見て
「漫画喫茶Chiro」も2号店を作ってみたいな~などと思ったのですが、
いかんせん私の読んでいる漫画のレパートリーが少ないので、
2号店開店は難しそうです。
おそらく特定の作家やジャンルにこだわった2号店になってしまいそうなので、
時間のあるときに作ってみたいと思います。