Chiro's Memo

My Sweet RoseとRosariumの更新記録です。

3月も終わり

2006-03-31 21:09:57 | Weblog
ついこないだクリスマスだとか正月だとか言っていたような気がするのに
早くも2006年になって3ヶ月が経ってしまいました。
昔から「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」といいますが、
まさにその通りだと思います。

4月には一日早いのですが、
My Sweet Roseのトップページを4月バージョンに模様替えしました。
今までとはかなり違うイメージになったのではと思っています。
そして一周年企画もUPしました。

現在Rosariumのほうに新コンテンツを作成中です。
新しいジャンルを取り上げたので、いろいろと調べることが多くなかなか公開に至りません。

春の嵐

2006-03-30 22:27:27 | Weblog
こちら(四国南部)はおとといから大荒れの天気で、風も冷たくなっています。
火曜日~水曜日にかけては雨で、山は雪になったのではと思います。

本当は明日は休日なので高知まで行ってベオグラード国立美術館所蔵フランス近代絵画展を見ようかとも思っていたのですが、
天気が荒れると汽車が止まってしまうことと、
他に用事ができたので、明日は行きません。

こちらから高知へ向かう路線には「しまんとグリーンライン」なる名前がついていますが、
1~2時間に鈍行が一本運行されるだけのローカル線です。
四万十川の川のふちを走る路線で、大雨や大風、大雪になると運休になってしまいます。
なので高知へ行くのは気候が安定してからにしようと思います。

今日から父がお遍路に行っています。
父の参加しているツアーの一行がお遍路に行くと必ず雨になります。
誰か強力な雨男か雨女がいるに違いありません。
(画像はウォーターハウス「ミランダ―テンペスト」です)

もうすぐ一周年

2006-03-29 23:01:34 | Weblog
4月2日にメインサイト My Sweet Rose開設一周年を迎えます。
そこで一周年記念企画として、過去の月間限定企画を一挙公開することにしました。
何か新しいことをすればいいのですが、
一から新しい企画を考えることができなかったので、
過去の企画を振り返るという形にしました。

今日はファイルの再構築をしていました。
(といっても基本的には発表当時のままなのですが)

私は元来飽きっぽい性格なのですが、
HP運営を一年間続けることができました。
これもひとえに訪問してくださる皆様のおかげです。
これからもMy Sweet RoseおよびWindflowersをよろしくお願いいたします。

なお一周年企画は4月1日公開予定です。

薤露行―漱石とシャロットの女

2006-03-27 22:44:26 | 
夏目漱石の小説に「薤露行(かいろこう)」という作品があります。
アーサー王伝説を題材にした短編小説で、
「吾輩は猫である」を執筆していていた同じ時期に一週間で書き上げた作品です。

この作品はマロリー「アーサー王の死」テニスン「国王牧歌」の「ランスロットとエレイン」を典拠に用い、
王妃ギニヴィアと騎士ランスロットの不義の愛と
ランスロットに恋する乙女エレインの愛と死を主な内容にしており、
「トリスタンとイゾルデ」や「パオロとフランチェスカ」などと同じく
近代ロマン主義が復活させた中世ヨーロッパの愛の伝統に根ざした作品となっています。
そのことからも漱石の西洋文化に対する理解の深さを知ることができます。

「薤露行」は5章からなる作品で、第2章「鏡」はテニスン「シャロットの女」を基にしています。
本来エレインとシャロットの女は起源を同じくするキャラクターなのですが
漱石はその事実を知らなかったようで、エレインとシャロットの女を別人物として物語を執筆しています。

シャロットの女は眼(まなこ)深く額広く、唇さえも女には似で薄からず。
「薤露行」

この描写から連想したのはラファエル前派(特にロセッティ)の描く美女の姿です。
本来ヴィクトリア時代「美人」とされたのは、ラファエロの描く聖母のような小柄で丸顔の愛らしい女性でした。
いわゆる「ラファエル前派風」の女性は当時の「美人」の範疇からは外れていたのですが、
ラファエル前派の画家たちの作品が評判を取るようになって
次第に世間でも「ラファエル前派風」の美女がもてはやされるようになりました。
これは私の想像なのですが
エレインはいわゆる「ヴィクトリア風」の可憐な美少女で、
シャロットの女は「ラファエル前派風」の妖しい魅力を持った美女という対照的なタイプのような感じがします。

テニスンの詩と漱石の物語の最大の違いはシャロットの女の最期です。
ランスロットの姿を直接見てしまい、呪いのかかったシャロットの女は
テニスンの詩では小舟に乗ってキャメロットを目指し、歌を歌いながら息を引き取りますが
「薤露行」では呪いのかかったシャロットの女は塔の中で息絶えてしまいます。
「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪いを負うて北の方へ走れ」
「薤露行」

「薤露行」におけるシャロットの女の最期の言葉です。
ランスロットに恋しその姿を見てしまったことで、死ぬ運命となったシャロットの女にとって
ランスロットはいわば「宿命の男」(このような言葉はないのですが)です。
しかしランスロットは塔の中に住まうシャロットの女の存在を当然知る由もありません。
彼女はランスロットに呪いの言葉をかけ、自らが「宿命の女」になることによって
ランスロットへの愛を伝えようとしたのでしょうか?
「薤露行」で描かれるシャロットの女の姿には「女の業」というものを強く感じます。

第5章「舟」においてランスロットへの愛ゆえに息絶えたエレインの遺骸は
小舟に乗せられてキャメロットへ向かいます。
その途中シャロットの地で悲しい歌声が舟に聞こえてきます。
シャロットの女が塔の中で歌う声です。
ここでエレインとシャロットの女の姿が重なり合わさることとなります。
エレインは遺書を握らせて自らを小舟に乗せるよう家族に頼んでいます。
その手紙には
天(あめ)が下に慕える人は君ひとりなり。君一人の為に死ぬるわれを憐れと思え―
「薤露行」

と記されています。
エレインの遺書はあくまでもランスロットへ憐れみを請うもので
シャロットの女の最期の言葉のように烈しい呪いの言葉ではありません。

「薤露行」において対照的に描かれた「エレイン」と「シャロットの女」ですが
この二人は表裏一体の存在であるように思えます。

シャロットの女についてはこちらもごらんください。

御荘湾殺人事件

2006-03-25 20:35:10 | Weblog
―南国の海に消えた犯人!謎を解く鍵はロープウェーに…
♪チャラララッ チャラララッ チャ~ラ~(火サスの音楽風に)

いきなり物騒なタイトルですみません。
昨日私の住む町から車で約1時間のところにある
御荘湾ロープウェーに乗りに行きました。
このロープウェーは3月いっぱいで廃止になることが決まっており、
21日から最終日の31日まで平常料金往復900円のところ
往復100円で乗れるとのことだったので、記念に家族で乗りに行きました。

このロープウェーは海を渡るロープウェーとしては
日本最長の距離を運行しているもので、
国道56号線沿いの乗り場から対岸の公園を結ぶ路線なのですが、
公園へは直接車で行けるため、利用者が減る一方でした。
それで廃止が決まったものです。

私は3~4歳の頃に一度乗ったことがあったきりで
実質的には今回が初めてのようなものでした。
ロープウェー乗り場のそばには「南レクジャンボプール(通称:サンパール)」があり、
そちらへは子供の頃は毎年のように行っていました。

実際乗ってみると海を渡る開放感は格別のものです。
母が言うには前に乗ったときは夏だったので暑くてたまらなかったそうです。
(ゴンドラ内は冷暖房なしです)

せっかくのロープウェーですが、利用促進を図ることができず
廃止になってしまうのは本当に残念です。

なぜ今回のタイトルが「御荘湾殺人事件」かというと
昨日ロープウェーに乗っているときに、
母が「ここでサスペンスドラマの撮影やったらいいのにね。
たとえばロープウェーの上りと下りで犯人と刑事がすれ違うとか
逃げ切れなくなって海に飛び込むとか・・・。」
とドラマの筋立てを考えていたことに由来します。
実際とても美しい風景なので、
映画やドラマのロケをやって観光客を呼ぶということがあってもいいと思います。

私を泣かせてください

2006-03-22 19:54:39 | 音楽
過酷な運命に涙し、
自由に憧れることをお許しください。
私の苦しみに対する憐れみだけによって
苦悩がこの鎖を打ち毀してくれますように。

「私を泣かせてください」


久しぶりに音楽の話題です。
先日My Sweet Rose 内のコンテンツ“M”を再構成したのですが、
その中の「悲しみの聖母」(音量にご注意ください)のBGMに使用した曲が
ヘンデル「私を泣かせてください」です。

この曲は歌劇「リナルド」の第一幕第七場で歌われるアリアです。
十字軍の騎士リナルドの婚約者アルミレーナが
「私のむごい運命を涙の流れるままに嘆かせてください~」と歌うものです。
「リナルド」はヘンデルのロンドン・デビューの作品となりました。

ソプラニスタ岡本知高の歌う「涙のアリア」をご存知の方は多いと思います。
「牡丹と薔薇」の主題歌となった曲です。
「私を泣かせてください」に作詞家:松本隆が日本語の歌詞をつけたものです。
「涙のアリア」の歌詞からは
数奇な運命に翻弄されながらも、希望を見出そうとする姿が見えるようです。

「私を泣かせてください」に日本語の歌詞をつけた作品がもう一つあります。
白鳥英美子「空はやさしい母のように」です。
アルバム「G線上のアリア」に収録されています。
過酷な運命を嘆くというもとの曲とは全く異なる印象の歌で
「母性」というものを強く感じる作品になっています。
こちらでご紹介できないのが残念ですが、とても素敵な歌詞です。

ページを再構成したときに
「悲しみの聖母」だけを独立させて紹介するようにしたのですが、
わが子の死という、子を持つ母として最も酷い運命に
涙を一筋流して静かに耐えるマリアの姿に
このページにつける音楽は「私を泣かせてください」以外思い浮かびませんでした。

私が「チロ」です。

2006-03-21 23:18:50 | 
初めまして。私が「チロ」です。
前にこのブログを書いてるお姉ちゃんのおうちにいたのよ。
私はお姉ちゃんが旅行に行ってる間に、パパに連れられてこのおうちに来たの。
おうちに着くなりすぐにたくさんご飯を食べたのよ。
それを知ったお姉ちゃんは、私のことを「タージ(大食)」と呼んだのよ。

私にはもう一つ名前があるの。
子猫の頃しっぽでおしゃぶりするのが大好きで、
いつもしっぽの先を筆みたいにしていたの。
だから「しっぽ先筆子ちゃん」ってママに呼ばれたのよ。
私のしっぽは長いから、座るときはいつも両手の前にしっぽの先を乗せていたのよ。
するとお姉ちゃんは「エジプトの女神様みたい」といってくれたわ。
チロ


今日はいつもと違う調子でお届けしました。
猫の「チロ」になりきって記事を作成するのも楽しいです。
お分かりになる方もあるかもしれませんが、
私のHN「千露(ちろ)」は、この猫の名前から取ったものです。
現在チロは天上遥かな世界に暮らしております。

ふたりのシャロットの女

2006-03-20 20:56:57 | 美術
本日My Sweet Rose内My Favorite ArtsのElizabeth Siddalのページを大幅加筆しました。
新たな画像や詩を追加しております。

その中のひとつに「シャロットの女」(1853)があります。
この作品は「シャロットの女」を描いた作品としては早い作例となっています。

呪いによって外の世界を直接に見ることを禁じられたシャロットの女は
次第に鏡に映る影の世界に不満を持つようになります。
そんな時鏡に映ったのはキャメロットへの道を急ぐ
騎士ランスロットでした。
彼女は思わず窓の外を直接見てしまいます。
そのとたん呪いがかかってしまい、まもなく死が訪れることとなります。

エリザベス・シダル(以下リジー)は、シャロットの女が窓の外を見た瞬間を絵画化しています。
この場面は後にウィリアム・ホルマン・ハントやウォーターハウスも描いています。
リジーのこの作品は動きが少なく、ぎこちなさもありますが、
派手な動きの無い分、余計にほんの一瞬で呪いがかかってしまった様子が伝わってくるようです。

ヴィクトリア時代の女性は、女だということだけで大きく束縛されていました。
女性は「家庭の天使」であり、良き娘、良き妻、良き母であることを求められました。
そして「堕天使」となってしまった女性は、社会的に葬られることとなりました。
すなわち自由に外の世界を見ることが許されず、
自分の意思で外の世界を見てしまったために死ぬ運命となった「シャロットの女」は
ヴィクトリア時代の女性の置かれていた状況を象徴する存在といえます。

帽子店で働いていたリジーは画家ウォルター・デヴァレルによって見出され、
ラファエル前派の画家たちのお気に入りのモデルとなります。
やがてロセッティと親密な関係となりますが、
ロセッティはリジーに絵を描くことをすすめます。
やがて彼女は絵の才能を開花させていきますが、
それは愛する人と精神的な絆で結ばれることを望んだ
リジーにとって愛情表現の一つでもあったようです。

彼女の絵は評論家ラスキンにも高く評価され、
1857年にアメリカを巡回する英国絵画展の出展作品のなかにも
一点彼女の作品が含まれていました。

しかし絵画のモデルや画家というのは19世紀の女性の生き方としては
大きく「規範」を外れるものでした。
画才を生きるよりどころに求めようとしても
彼女の前には夫であり師であるロセッティが大きく立ちはだかっていました。
やがて彼女は精神的に不安定な状態に陥り、悲劇的な死を迎えます。

機を織る手を止めて一瞬外の世界を見てしまった、リジーの描くシャロットの女は
リジー自身の姿のようにも思えます。
 
あなたのことをもう
昔と同じようには愛せない
愛は私を変身させ倒した
目をくらませる雪の中で

エリザベス・シダル「疲れ果てて」

Fanlisting

2006-03-18 22:42:47 | Weblog
ネットサーフィンをしていて素敵なバナーを見つけたので、クリックしてみたところ
Fanlistingというものに出会いました。(海外サイトです)
ある事柄のファンの人が登録し、
自分のHPにリンクしてバナーをはるというもので、
日本でいえば同盟サイトのようなものです。

早速私もいくつか登録しました
My Sweet Rose内参加同盟よりリンクしております。
とても素敵なバナーが何種類もあるので、
どれをページに貼り付けるか迷いました。

登録したうちの一つがこちらです。

/Waterhouse

私がバナーに一目ぼれしたというのがお分かりになるかと思います。

他にもフェルメールやカラヴァッジョ、ロセッティやバーン=ジョーンズのFanlistingもありました。

しかしあればいいなと思っていた、
モローやクノップフのFanlisitingは残念ながらありませんでした。

驚きだったのは日本のマンガやアニメのFanlisting(もちろん海外サイトです)が存在するということです。
やはり日本のマンガやアニメは国際的なのだなと思いました。

我が心は過去に涙す

2006-03-17 17:56:54 | 美術
先日My Sweet Rose内Poem and Artに追加したのが
クノップフ「グレゴワール・ル・ロワと共に―我が心は過去に涙す」です。
「花のうたを聴きながら(ステファヌ・マラルメの詩)」と並んで
私の好きなクノップフ作品です。

グレゴワール・ル・ロワ(1862-1941)はベルギー象徴派の詩人で
「青い鳥」や「ペレアスとメリザンド」の作者モーリス・メーテルリンクの友人です。
1889年にパリの出版社より詩集「我が心は過去に涙す」を発表しました。
クノップフはこの詩集の扉絵を手がけます。
それが「グレゴワール・ル・ロワと共に―我が心は過去に涙す」です。

この作品はいくつかのバージョンがあります。
私は展覧会で過去3回この作品を見ました。

 世紀末ヨーロッパ 象徴派展(1996:高松市美術館)
初めてこの作品と出会った展覧会です。
このとき出展されていたのは 1889年 50×29.5cm 個人蔵 の作品です。
空の部分に入れられたハイライトが
モノトーンの画面のアクセントになった作品です。

 ベルギー象徴主義の巨匠展(1997:高知県立美術館)
二つのバージョンが展示されていました。
(共に1889年 ニューヨーク The Hearn Family Trust所蔵)
一つは大きさは23.5×14.6cmと半分のスケールですが、
高松で展示されていたものと同じく空にハイライトが入っていました。
今回の画像はこちらを使わせていただいております。
もう一つは鉛筆・色鉛筆のみで描かれたもので
大きさは23.5×14.5cmです。

 知られざる ベルギー象徴派展(2005:尾道市立美術館)
1889年 25.5×14.5cm 個人蔵 の作品です。
以前に見た作品よりも全体に白っぽい作品でした。

クノップフは扉絵を描くのに際し
本の内容を忠実に再現するのではなく
本にこめられた魂を表現しようとしました。
それは過去の記憶と結びついたノスタルジーを表現することでした。

薄もやに煙るように浮かび上がるブリュージュの街は
遠い記憶がよみがえり、また失われてゆくさまを表しています。
女性が唇を寄せる鏡は「過去」を映し出すものであり、
彼女はその失われてゆく過去を惜しむかのように
鏡に映る自らの姿に口付けています。

19世紀末多くの人々は過去を振り返ることなく
新しい時代に向かって歩み続けていました。
その一方で失われたもの、忘れ去られたものが数多く存在しました。
クノップフにとってのブリュージュとは
「失われた過去」の象徴であるように思えます。
人間前を向いて生きていかねばなりませんが、
時には足を止めて過去の記憶に心を寄せることも必要な気がします。