ろらぶろぐれっしぶ

2娘の母で国語教室の先生のろらんがたあいのない暮らしを綴ります

【古事記より】赤猪子(あかいこ)ちゃん

2012年03月16日 | たのしい古典
久々の楽しい古典更新です。
今日のお話は、古事記の雄略天皇の記事から、赤猪子(あかいこ)ちゃんのお話を紹介します。
口調は軽めに、でももとのお話になるべく忠実に訳してゆこうと思います。
ではどうぞー。




天皇がおでかけになって、美和河にやってきた時、河のそばで衣を洗っている少女がいました。

とっても美人でした。

天皇がその娘さんに
「お前は誰の子だ?」
とお尋ねになると、
「わたくしは引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)と申します」
とこたえました。
天皇は彼女に

「お前は誰とも結婚するなよ。今に私が召し上げて(妻にして)やろう」

とおっしゃって、戻っていきました。

それで赤猪子は、天皇のお召しがあるのをずーーーーーーーーーっと待って待って待って待って待ち続けて、とうとう80歳をこえてしまいました。


それで赤猪子は
「妃になれというご命令を待っている間に、ずいぶん年月を経て、私の姿は痩せしぼみ、もう頼るところもないわ。でもずっと待ってたってことをお伝えしないことには、気持ちがおさまらないわ!」
と思って、天皇へたくさんの貢物を持って、自分で献上しに行きました。



天皇は自分が以前「「結婚せずに待ってろよ」と命令されたことを、すーっかり忘れてしまっていて、その赤猪子に








「あんたどこのばあさん?
何しにきたの?」






とおっしゃいました
赤猪子は
「●年の△月に、天皇さまから結婚のご命令をいただいて、ずっとお召しをお待ちしているうちに80歳をすぎてしまいました。もう容姿も衰えて、頼るところもありません。でもお召しをずっとお待ちしていたという志を示そうと思って参ったのです」
と申し上げました。



天皇は大変驚いて

「私はすっかり忘れてしまっていた。しかしお前は志を守って私の命令を待ち続けて、無駄に盛りの時を過ごしてしまったのだな。なんとかなしいことだ」


とおっしゃって、心の中で








なんとかヤれるか?


とか思ってみるのですが、相手があんまり年をとってるのをはばかって、そういうことはできず、赤猪子に御歌を詠みました。


御諸(みもろ)の 厳白樫(いつかし)がもと 白樫(かし)がもと ゆゆしきかも 白樫原童女(かしはらをとめ)
三輪山の神威ある樫の木のように、その下の忌み憚られるおとめよ・・・




引田(ひけた)の 若栗栖原(わかくるすはら) 若くへに 引寝(いね)てましもの 老いにけるかも
引田の若い栗林のよう若いときに寝ておけばよかったのに、年をとっちゃったなぁ




(ここに赤猪子の返歌があるけど省略)




それで天皇は、たくさんのご褒美をその老女にプレゼントして、家へお返しになりました。





おちまい。
天皇は基本的に一般人より寿命が長い設定なので、
「お前もじーさんだろ!!」
ってツッコミは不要です

にしても雄略天皇・・・・・・むちゃしやがる。





古事記が編集されたのが712年。
今年は1300年記念ということで、あちこちで古事記特集が組まれています。
結構「なんじゃそれ」話がいっぱいなので、よかったらみんな手にとって読んでみてね

宇治拾遺物語 ぷーぷー姫さま

2009年07月17日 | たのしい古典
久々に楽しい古典ですよー。
これは真面目ぶってた中学生の頃のろらんが、格好つけて図書館で古典なぞを読み漁っていたときに出会った衝撃のストーリー。
宇治拾遺物語の第34話です。
まずは本文。



今は昔、藤大納言忠家といひける人、
いまだ殿上人におはしける時、
びびしき色ごのみなりける女房と物言ひて、
夜ふくる程に、月は昼よりもあかりかるけるに、
たへかねて御すをうちかづきて、なげしの上にのぼりて、
肩をかきて引きよせけるほどに、髪をふりかけて、
「あな、さまあし」といひて、くるめきける程に、いとたかくならしてけり。
女房はいふにもたへず、くたくたとしてよりふしにけり。
此大納言、
「心うき事にもあひぬる物かな。世にありてもなににかはせん。出家せん」とて、
御すのすそをすこしかきあげて、ぬき足をして、
「うたがひなく出家せん」とおもひて、二けんばかりは行程に、
「抑(そもそも)その女房のあやまちせんからに、
出家すべきやうやある」と思ふ心又つきて、たゞたゞとはしりて、いでられにけり。
女房はいかがなりけん、しらずとか。




では現代語訳どうぞ♪


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
むかし、藤大納言忠家という人が、まだ殿上人でいらした時。
エロ系美女といちゃいちゃしながら夜がふけ、月が昼よりも明るくてあんまり素敵だったので、御簾(カーテンみたいなもの)をくぐってなげし(ベランダみたいなとこ)に出て、女の肩を抱き寄せました。
女は髪を振り乱して
「あら嫌ですわ」
なんて言って抵抗してたら、とっても大きく















ぶっかましてしまいました。




女は何も言うことができず、くったりと伏してしまいます。
この大納言は



「嫌な目にあったわー。もう生きててもしかたないや。出家しよう」



と言って御簾(カーテン)のすそを少しかきあげて、忍び足で出て




「絶対出家するぞ!」




そいで3、4メートルほど歩いているうちに、















「そもそもあの女が失敗したからって出家することあるか?」






と思い始め、タタタタと走ってその家を出ました。
女はどうなったかわからないそうです。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※





まああえてあれこれコメントはいらないよね。
ただそんな話です。

赤い矢の伝説

2006年08月03日 | たのしい古典
最近けっこうひきこもりで日常ネタが希薄なので、古事記からオゲレツエピソード(まただよ)をひとつ。


日本の初代天皇、神武天皇が正妻となるべき女性を探していた時に、「実は神の御子である女性がいるのです」という情報が提供されました。
以下岩波文庫の書き下し文をそのままのっけます。
漢字とか見てるとなんとなく意味がわかると思うので、まずは自分で意味をとりながら読んでみてください。



三島溝咋の女、名は勢夜陀多良比売、その容姿麗美しくありき。
故、美和の大物主神、見感でて、その美人の大便まれる時、丹塗矢に化りて、その大便まれる溝より流れ下りて、その美人の陰を突きき。
ここにその美人驚きて、立ち走りいすすきき。
すなはちその矢を将ち来て、床の辺に置けば、忽ちに麗しき壮夫に成りて、すなはちその美人を娶して生める子、名は富登多多良伊須須岐比売命と謂ひ、亦の名は比売多多良伊須気余理比売(こはそのほとと云ふ事を悪みて、後に名を改めつるぞ)と謂ふ。



文字を目でおうだけでオゲレツムードが漂います。







簡単に現代語訳。

三島溝咋(ミシマノミゾクヒ)の娘である勢夜陀多良比売(セヤダタラヒメ)はとっても綺麗な娘さんでした。美和の大物主神(オオモノヌシノカミ)という神様がこの女性を気に入って、女性がウンチョしてる時に赤く塗られた矢に化けて、そのウンチョの溝(昔のおトイレ)の上流からぴゅーんと流れ下ってきました。ほいでその女性の大事なところをブスっと突きました。
女性は驚いて立ち走りイススキ(あわてふためき)ました。
でもとりあえずその矢をおうちに持って帰り、床のそばに置くとかっちょいい男になりました。
というわけで結婚して生まれてきたのが富登多多良伊須須岐比売命(ホトタタライススイヒメノミコト)で、別名 比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)といいます。(この別名はホト=女性の大事なところっていう言葉を使うのは悪かろうってことで後で改名しました。)




こうして神様の子供として生まれてきた女の子は、めでたく神武天皇のお后となりました。


















・・・・・・それでいいの?






いろいろツッコミながら書こうかと思ったけど、あんまりツッコミどころが多すぎたのでわりとそのままのっけました。
アタックの方法もあんまりなら、そんな矢を家にもってかえるセヤダタラヒメの神経も疑う。
生まれた娘の名前もあんまりだよ。ホトタタライススキヒメ。
ホト=女性の大事なところ。イススキ=あわてふためく。
つまり・・・

「大事なところ突かれてびっくりしちゃった姫」

あんまり不憫で涙がでちゃう。
こんなエピソードを聞いて「よしその娘をお后にしよう」という神武天皇の気もしれません。
でも一番どうかとおもうのは、この大物主神が以前ブログで書いたやまとととびももそひめのダーリンと同一人物だってことです。
え?なに?変態なの?

やまとととび本文

2006年03月18日 | たのしい古典
普段古典とかあまり見ない旦那様がブログを読んで、ろらんの持ってる日本書紀本文の方を見ていたので、他にも興味をもった人の為に、もとの文章をのせてみます。
ろら文とあわせてお楽しみください。
本当は漢字ばっかりでかいてあるんだけど、それだと入力も読むのも大変なので、手持ちの岩波の文庫本の書き下したバージョンで書いておきます。


是の後に、倭迹迹日百襲姫命、大物主神の妻と為る。然れども其の神常に昼は見えずして、夜のみ来す。
倭迹迹日姫命、夫に語りて曰く、
「君常に昼は見えたまはねば、分明に其の尊顔を視ふこと得ず。願はくは、暫留りたまへ。明旦に、仰ぎて美麗しき威儀を観たてまつらむと欲ふ」といふ。
大神対へて曰はく、「言理灼然なり。吾明旦に汝が櫛笥に入りて居らむ。願はくは吾が形にな驚きましそ」とのたまふ。

爰に倭迹迹日姫命、心の裏に密に異ぶ。
明くるを待ちて櫛笥を見れば、遂に美麗しき小蛇有り。
其の長さ大さ衣紐の如し。
則ち驚きて叫啼ぶ。

時に大神恥ぢて、忽に人の形と化りたまふ。
其の妻に謂りて曰はく、
「汝、忍びずして吾に羞せつ。吾還りて汝に羞せむ」
とのたまふ。
仍りて大虚を践みて、御諸山に登ります。

爰に倭迹迹日姫命仰ぎ見て、悔いて急居。
則ち箸に陰を撞きて薨りましぬ。



ううう・・・、短い文だからそんな苦労しないと思ったけど、やっぱり結構大変だった。
やっぱり本文はぱしょこんでは大変だね。

やまとととびももそひめのみこと

2006年03月18日 | たのしい古典
最近どもってるシリーズであれこれ書いていたので、ふとすっかり忘れていた日本書紀のこんな話を思い出しました。
カテゴリーをたちあげたものの1回しか書いたことのない「たのしい古典」で更新してみます。

奈良県桜井市に「箸墓(はしはか)」と呼ばれ、一説には卑弥呼の墓とも言われている前方後円墳があります。
そのお墓にまつわる伝説です。
主人公は「やまとととびももそひめのみこと」
ぱしょこんでは漢字を出すのがめんどくさいので、文字で書くとこんな字です↓



どもってるー


で、このお姫様は三輪そうめんの三輪山に住んでいる「大物主神(おおものぬしのかみ)」という神様と結婚するのですが、この神様が夜しか会いに来てくれないので、ある日夫にこういうわけです。

「あなた、いっつも昼にきてくれないものだからはっきりとお顔が見えないわ。朝までいてよ。あなたの顔が見たいわ。」

かわいいことをいうものです。
大物主神もそれもそのとおりと思って、

「そうか、じゃあ明日はお前の櫛を入れる箱の中にいるから。」

といいます。普通にいればいいもんだけど、さすがに神様ですからひとひねりくわえてくるわけです。
そしてこう約束します。

「でも私の姿を見てもびっくりするんじゃないよ。」

もうオチが見えてきました。
姫は「なんじゃそれ」と思いながらも翌朝櫛の箱をひらきました。
そしたら綺麗な小さい蛇がにょろりとあらわれたのです。
女の子ですからそりゃびびります。
蛇なら蛇と言っておいてくれたら心の準備もするのに。
そしておもわず

「きゃっ」

とかなんとか叫びました。
とたんに大物主神は人間の姿に戻って

「ひどい!私に恥をかかせた!!ばかばかばか!!!」

てな勢いで空を飛んで山に帰ってゆきました。
ひどいのはむしろ大物主神です。
ほんとはもうすでに愛情が冷めていて、別れるタイミングをはかっていたんじゃないかとすら思います。
かわいそうなヤマトトトビモモソヒメは飛んで帰ってゆく夫を仰ぎ見て、後悔のあまりその場にしりもちをつき、
お箸で大事なところを突かれて死んでしまいました。





・・・・・・は?




りぴーと。





お箸で大事なところを突かれて死んでしまいました。




イメージ





お箸で
大事なところを
突かれて
死んでしまいました。












・・・・・・なんでそんなドンピシャなところにお箸が?
仮にあったとしても刺さる?
そして死ぬ?


あ、あんまりやん。



そんなツッコミをよそに日本書紀は「この姫を葬った墓を箸墓(はしのみはか)という」とかなんとかお墓の解説にうつります。



もしかして大物主神はそこまで仕組んでいたのかもしれません。
それにしてもあんまりなオチです。
怒って帰っちゃうところまでは予測がついたけれど、まさか死ぬとは思わなかったよ。
不用意にしりもちをつくと命をおとしてしまうなんて、女性も大変です。

どっちがつらい?

2005年07月20日 | たのしい古典
播磨国風土記(はりまのくにふどき)についてお話します。
風土記っていうのは、その地に伝わる伝説や地名の由来を書いた奈良時代の書です。
播磨国は今のだいたい兵庫県のあたりです。
今日はその中の「ハニ岡の里」という地名についてのお話を、ろらんが丁寧に
現代語訳をしてご紹介するのであります。
ではどうぞ。

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ハニ岡の里(ハニオカのサト)
この地を、ハニオカ(粘土の岡)となづけたのは、その昔、オオナムチとスクナヒコネという二人の
神様が、言い争って
「ハニ(粘土の土)を背負って遠くまで行くのと、うんこを我慢して遠くまで行くのと、どっちが
イケルとおもう?」
と話していました。オオナムチが
「じゃあ俺はうんこをがまんしていってみるよ」
といいました。スクナヒコネは
「だったら自分はハニ土をもってゆくよ」
といいました。

そうして二人、競って行きました。
何日かして、オオナムチが
もうだめ!
といって、その場に座り、うんこしました。
スクナヒコネも笑いながら
「だよね。つらいよね。」
といって、そのハニ土をこの岡に投げ下ろしました。

だからこの地をハニオカというのです。

また、オオナムチがうんこした時に、小さな竹が、そのうんこをはじきかえして、着ている服につきました。
だからこの村を、はじき返した→ハジキカ→波自加の村(ハジカのムラ)といいます。

そのハニ土とうんこは、今も石になって、なくならず残っています。

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とってもおおらかな素敵なお話です。
ちなみにこの二人の神様は、いろんな書物にも名前が出てくるし、神社とかいっても
ヒットする確立が高いわりと有名どころの神様です。
神社めぐりして、二人を探してみるのもまた一興かと。

イメージしやすいように、がんばってマウス画をつけてみました。
むずかしかったです。