日本教職員組合(日教組)という団体をご存じでしょうか?(ホームページは●こちら)
日の丸・君が代を拒絶し、偏向した教育を子供に押しつけ、教科書の「検閲」(下注)までしてしまう・・・本当に売国奴のような団体です。これでしっかり働いてくれていればいいのですが、残業や休日出勤ははことごとく拒否、少しでも文句を言うと、組合ごとねじ込んでくる・・・労働組合の悪いイメージを日本各地で見事に「宣伝」してくれています。
(注:日教組は各自治体の教育委員会が教科書を採択する上でのチェック項目なるものを設けており、その内容は明らかに特定のイデオロギーに染まっています。詳しくは●こちらをご覧ください)
日教組がいかにひどい団体かは、●「日教組を観察する」というサイトをご覧頂ければよくわかるかと思います。そこで、私ならではのユニークな視点(笑)で、この団体のおかしなところを紹介してみたいと思います。
日教組ホームページの「休憩室」というディレクトリに、「点鐘」というコラムがあります。
そこに、こんな「興味深い」内容の文章が載っていました。
「裁かれる教員と生徒の恋愛」
宮 淑子
ジャーナリスト
「N子が失踪して、もう6日になります。手を尽くして捜していますが、行方が掴めません」とAさんから携帯にメールが入った。それは大変、と私は現地に向かった。
Aさんは中学校教員だった1999年、教え子のN子さん(当時15歳)との恋愛・妊娠が発覚。「生徒を妊娠させた淫行教員」として懲戒免職になった。
教員と生徒の恋愛は学校では御法度なのか。「淫行教員」扱いで懲戒免職となる行為なのか。N子さんの性的自己決定権はどうなるのか。私は数々の疑念を抱いて2002年、取材に赴いた。教員資格を剥奪された後、小さな民間企業で働くAさん。パート勤めをするN子さん。二人の間には二児ができ、生活は楽ではなかったが、固い絆で結ばれていることがうかがわれた。「私は、Aに性暴力を受けた被害者ではありません。私が彼を選んだのです。彼の身の潔白が証明されるなら、協力は惜しみません」と気持ちを話してくれたN子さん。(以上、拙著『黙りこくる少女たち』《講談社》に詳しい)。
N子さんに一体、どういう心の変化があったのだろう。
「僕に対する不満でしょうか?僕が教職を捨ててまでN子と守ろうとしたことの意味が一挙に崩壊した感じで、いまはただ虚ろな気分です」と肩を落とすAさん。ふたりの生活が危機にあることだけは確かだ。
「教員は商品である子どもに手を出すな、ストイックであれ」「教員と生徒は上下関係があり、対等な恋愛はありえない」と教員と生徒との恋愛には否定論者が多い。スクールセクハラなど性暴力の訴えが盛んになった今日、文科省は恋愛すら「わいせつ行為」として教員を懲戒免職の対象にする。
最近M県で、男生徒と交際の女性高校教員が懲戒免職となった(読売新聞 2005.3.9)。この事件の真相を詳しく知りたい。知っているひとは教えてほしい。「教員と生徒の恋愛(の自由)」は、一律な処分、制裁で済む問題ではないと私は思っており、これからも追い求めていきたい問題だからだ。
N子さんの失踪に関する部分を除き、筆者の主張をを要約すると、こういうことになります。
どうして、先生と生徒が恋愛してはいけないのか。生徒にも性に関する自己決定権がある以上、恋愛は尊重すべきではないか。世の中では「教師はストイックでなければダメ」だとか「教師が優位に立っている以上、どうしても教師が支配するような関係になってしまいがちだ」だとか言っている者がいるが、そんなのは当事者の問題であり、懲戒免職の事由にはすべきでない。教師と生徒の恋愛は、その内情まできちんと調べた上で処分すべきか否か検討すべきだ。
私はもう、苦笑するしかありません。このコラムの筆者は、先生と生徒の恋愛を正当化しようと、本当に必死ですね。
先生と生徒の恋愛というのは、ないことではないでしょう。私の元同僚(愛媛の高校で教員経験あり)も、机を並べていた先生の結婚式に呼ばれたら、相手が教え子の女の子だったという経験をしています。
しかし、それは少なくとも、町中でカップルが手をつなぐみたいな、おおっぴらにするものではありません。
このコラムの筆者には、特定の生徒と教師が関係を持ったら、周囲はそれをどう思うかという視点が欠けています。これはかなり重大なことです。恋人づきあいなどというのは、究極の「えこひいき」でしょう。成績評価や進路指導に手心を加えているという目で見られるのが当たり前です。
こういうことを言うと、「本人同士が好きと言っているのに、それの何が悪いんだ」という反論があるでしょう。
みなさんもよく知っておいてほしいのは、こういう「自分がどう思うかが重要で、他人に干渉される謂われはない」という姿勢こそ、今の日本の子供たちがおかしくなり始めている発端だということです。
つまり、こういう考えの持ち主は、恋愛(というか、色欲)に没頭している本人たち以外の人間が、どんな思いを持つかという点についての想像力が、決定的に欠けているのです。自分の娘が教師の性愛の対象になることを受け容れられない保護者の立場など、全く考慮していない。教職にいる以上、そういう社会的制約があるのは当然の宿命だとも思えず、それを非合理だと攻撃し、自分の振る舞いたいように振る舞うことを至上命題にする。
なんだかまるで、「キレる子供」みたいですね。
こういう論理で自分のやることを正当化している大人は、援助交際をしている女子生徒が「やりたくてやってるからいいじゃん、誰にも迷惑かけてないし」などと反論したら、きっと何も言い返せないでしょう。情けない限りです。
「N子さんの性的自己決定権」というのも、意味不明な言葉ですね。
日教組、というか、売国左翼的な文脈で言えば、「女は男のなぐさみものではない、セックスや恋愛に関することは、女である私が自分で決める」という感じでしょうか。まあ、やりたければ勝手にやればいいでしょう。それだけが正しい生き方だと吹聴するような暴挙に出ない限りは。
しかし、そんな自己決定権は、海千山千のバーのママ(笑)ならいざしらず、15才の女子生徒にそもそも認められるものなのでしょうか。
これも、いかにも日教組的な考え方ですね。要するに、「子供も大人と対等な人格である」というやつです。
私もそういう風に考えたことがあったからわかるのですが、「子供と大人は対等」というのはあり得ない妄想です。
大人の側に、社会に出たときこういう風に行動してほしい、こんなことはしてほしくないという価値観があれば、子供の足りない面がむしろ目に付くはずなのです。それを、うまく躾けながら人格を育てていくというのが、教育というものなのではありませんか。
こういうことを言うと、日教組の先生は「思想の押しつけ」だとか、「自由や権利を奪うのはよくない」などと言い返してくるのでしょうね。
私には、「自分は人間としての自信に欠けているから、何もしませんよ。それの何が悪いんですか」と、半べそをかいているようにしか見えませんが(笑)。
普通に考えればわかるのですが、法律上結婚を許される年齢でもない女子生徒を妊娠させることが、その子の人生にとってプラスにはならないことはすぐにわかることです。それを、性的自己決定権などというわけの分からない言葉で「人権問題」にしてしまう。常識だとか、社会通念だとか、周囲の目はお構いなしです。
教師が軽はずみな真似をしたのを、無理矢理弁護しているように思えてしかたがありません。
まさか、「俺(わたし)たちも、生徒と恋したい!男女の関係になりたい」という声を民主的に吸い上げていて、春闘の交渉材料にでもするつもりなのでしょうかね?そうだったら、笑い事ではありませんよね・・・。
このようなどうしようもなく低劣な文章をホームページに載せて平気でいる団体が、「教え子を再び戦場に送るな」などというメッセージを掲載していたりするわけです。
お前に教え子と呼べるような子供がいるのか・・・?という疑問はさてき、ここまで来ると、もうブラックユーモアとしか言いようがありません。こういう思考回路を持った先生に教わるより戦場に行く方がまだましかもしれません。
このコラムだけでも、日教組がいかに教育の本質を見失い、下らないことに時間と税金を費やしている(組合活動を勤務時間中にやっているセンセー方も多いらしい)のか、本当によくわかりますね。
私も受験できちんと結果を残しながら教育の末端を担っていくつもりです。ここを見られた親御さんは、ぜひ日教組でない、まともな先生を応援してあげてくださいね。
日の丸・君が代を拒絶し、偏向した教育を子供に押しつけ、教科書の「検閲」(下注)までしてしまう・・・本当に売国奴のような団体です。これでしっかり働いてくれていればいいのですが、残業や休日出勤ははことごとく拒否、少しでも文句を言うと、組合ごとねじ込んでくる・・・労働組合の悪いイメージを日本各地で見事に「宣伝」してくれています。
(注:日教組は各自治体の教育委員会が教科書を採択する上でのチェック項目なるものを設けており、その内容は明らかに特定のイデオロギーに染まっています。詳しくは●こちらをご覧ください)
日教組がいかにひどい団体かは、●「日教組を観察する」というサイトをご覧頂ければよくわかるかと思います。そこで、私ならではのユニークな視点(笑)で、この団体のおかしなところを紹介してみたいと思います。
日教組ホームページの「休憩室」というディレクトリに、「点鐘」というコラムがあります。
そこに、こんな「興味深い」内容の文章が載っていました。
「裁かれる教員と生徒の恋愛」
宮 淑子
ジャーナリスト
「N子が失踪して、もう6日になります。手を尽くして捜していますが、行方が掴めません」とAさんから携帯にメールが入った。それは大変、と私は現地に向かった。
Aさんは中学校教員だった1999年、教え子のN子さん(当時15歳)との恋愛・妊娠が発覚。「生徒を妊娠させた淫行教員」として懲戒免職になった。
教員と生徒の恋愛は学校では御法度なのか。「淫行教員」扱いで懲戒免職となる行為なのか。N子さんの性的自己決定権はどうなるのか。私は数々の疑念を抱いて2002年、取材に赴いた。教員資格を剥奪された後、小さな民間企業で働くAさん。パート勤めをするN子さん。二人の間には二児ができ、生活は楽ではなかったが、固い絆で結ばれていることがうかがわれた。「私は、Aに性暴力を受けた被害者ではありません。私が彼を選んだのです。彼の身の潔白が証明されるなら、協力は惜しみません」と気持ちを話してくれたN子さん。(以上、拙著『黙りこくる少女たち』《講談社》に詳しい)。
N子さんに一体、どういう心の変化があったのだろう。
「僕に対する不満でしょうか?僕が教職を捨ててまでN子と守ろうとしたことの意味が一挙に崩壊した感じで、いまはただ虚ろな気分です」と肩を落とすAさん。ふたりの生活が危機にあることだけは確かだ。
「教員は商品である子どもに手を出すな、ストイックであれ」「教員と生徒は上下関係があり、対等な恋愛はありえない」と教員と生徒との恋愛には否定論者が多い。スクールセクハラなど性暴力の訴えが盛んになった今日、文科省は恋愛すら「わいせつ行為」として教員を懲戒免職の対象にする。
最近M県で、男生徒と交際の女性高校教員が懲戒免職となった(読売新聞 2005.3.9)。この事件の真相を詳しく知りたい。知っているひとは教えてほしい。「教員と生徒の恋愛(の自由)」は、一律な処分、制裁で済む問題ではないと私は思っており、これからも追い求めていきたい問題だからだ。
N子さんの失踪に関する部分を除き、筆者の主張をを要約すると、こういうことになります。
どうして、先生と生徒が恋愛してはいけないのか。生徒にも性に関する自己決定権がある以上、恋愛は尊重すべきではないか。世の中では「教師はストイックでなければダメ」だとか「教師が優位に立っている以上、どうしても教師が支配するような関係になってしまいがちだ」だとか言っている者がいるが、そんなのは当事者の問題であり、懲戒免職の事由にはすべきでない。教師と生徒の恋愛は、その内情まできちんと調べた上で処分すべきか否か検討すべきだ。
私はもう、苦笑するしかありません。このコラムの筆者は、先生と生徒の恋愛を正当化しようと、本当に必死ですね。
先生と生徒の恋愛というのは、ないことではないでしょう。私の元同僚(愛媛の高校で教員経験あり)も、机を並べていた先生の結婚式に呼ばれたら、相手が教え子の女の子だったという経験をしています。
しかし、それは少なくとも、町中でカップルが手をつなぐみたいな、おおっぴらにするものではありません。
このコラムの筆者には、特定の生徒と教師が関係を持ったら、周囲はそれをどう思うかという視点が欠けています。これはかなり重大なことです。恋人づきあいなどというのは、究極の「えこひいき」でしょう。成績評価や進路指導に手心を加えているという目で見られるのが当たり前です。
こういうことを言うと、「本人同士が好きと言っているのに、それの何が悪いんだ」という反論があるでしょう。
みなさんもよく知っておいてほしいのは、こういう「自分がどう思うかが重要で、他人に干渉される謂われはない」という姿勢こそ、今の日本の子供たちがおかしくなり始めている発端だということです。
つまり、こういう考えの持ち主は、恋愛(というか、色欲)に没頭している本人たち以外の人間が、どんな思いを持つかという点についての想像力が、決定的に欠けているのです。自分の娘が教師の性愛の対象になることを受け容れられない保護者の立場など、全く考慮していない。教職にいる以上、そういう社会的制約があるのは当然の宿命だとも思えず、それを非合理だと攻撃し、自分の振る舞いたいように振る舞うことを至上命題にする。
なんだかまるで、「キレる子供」みたいですね。
こういう論理で自分のやることを正当化している大人は、援助交際をしている女子生徒が「やりたくてやってるからいいじゃん、誰にも迷惑かけてないし」などと反論したら、きっと何も言い返せないでしょう。情けない限りです。
「N子さんの性的自己決定権」というのも、意味不明な言葉ですね。
日教組、というか、売国左翼的な文脈で言えば、「女は男のなぐさみものではない、セックスや恋愛に関することは、女である私が自分で決める」という感じでしょうか。まあ、やりたければ勝手にやればいいでしょう。それだけが正しい生き方だと吹聴するような暴挙に出ない限りは。
しかし、そんな自己決定権は、海千山千のバーのママ(笑)ならいざしらず、15才の女子生徒にそもそも認められるものなのでしょうか。
これも、いかにも日教組的な考え方ですね。要するに、「子供も大人と対等な人格である」というやつです。
私もそういう風に考えたことがあったからわかるのですが、「子供と大人は対等」というのはあり得ない妄想です。
大人の側に、社会に出たときこういう風に行動してほしい、こんなことはしてほしくないという価値観があれば、子供の足りない面がむしろ目に付くはずなのです。それを、うまく躾けながら人格を育てていくというのが、教育というものなのではありませんか。
こういうことを言うと、日教組の先生は「思想の押しつけ」だとか、「自由や権利を奪うのはよくない」などと言い返してくるのでしょうね。
私には、「自分は人間としての自信に欠けているから、何もしませんよ。それの何が悪いんですか」と、半べそをかいているようにしか見えませんが(笑)。
普通に考えればわかるのですが、法律上結婚を許される年齢でもない女子生徒を妊娠させることが、その子の人生にとってプラスにはならないことはすぐにわかることです。それを、性的自己決定権などというわけの分からない言葉で「人権問題」にしてしまう。常識だとか、社会通念だとか、周囲の目はお構いなしです。
教師が軽はずみな真似をしたのを、無理矢理弁護しているように思えてしかたがありません。
まさか、「俺(わたし)たちも、生徒と恋したい!男女の関係になりたい」という声を民主的に吸い上げていて、春闘の交渉材料にでもするつもりなのでしょうかね?そうだったら、笑い事ではありませんよね・・・。
このようなどうしようもなく低劣な文章をホームページに載せて平気でいる団体が、「教え子を再び戦場に送るな」などというメッセージを掲載していたりするわけです。
お前に教え子と呼べるような子供がいるのか・・・?という疑問はさてき、ここまで来ると、もうブラックユーモアとしか言いようがありません。こういう思考回路を持った先生に教わるより戦場に行く方がまだましかもしれません。
このコラムだけでも、日教組がいかに教育の本質を見失い、下らないことに時間と税金を費やしている(組合活動を勤務時間中にやっているセンセー方も多いらしい)のか、本当によくわかりますね。
私も受験できちんと結果を残しながら教育の末端を担っていくつもりです。ここを見られた親御さんは、ぜひ日教組でない、まともな先生を応援してあげてくださいね。
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それから、社会的タブーを踏み越えてまで愛すべき相手だというなら、その情熱をこのようなショボい文言で正当化して欲しくない。それには破滅のリスクを一身に負い、全身全霊全人生を以てして欲しい。
>以てして欲しい。
高校教師というドラマが放映されたら、急に
女子校の先生の志願者が増えた、ということが
あったらしいですね。
全身全霊ではなく、下半身だけで人生を決めている
ようで、嘆かわしいことです。
初めて聞いた覚えがあります。
やはりジェン○ーフ○ーの方々が「捏造」されたの
でしょうか。
日教組もこれを使うことから見ると、やっぱり
左翼は根っこで一本につながっているんですねね。
時々記事になるインサイダー取引も同じこと。
この教師の行為もこれと同次元の問題で、めぼしい生徒の青田刈りであり許される行為ではない。