http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120924/k10015236931000.html
復元された東京駅 内部を公開
およそ100年前の姿に復元され、来月リニューアルオープンする、JR東京駅の丸の内駅舎の内部が、24日、報道陣に公開されました。
国の重要文化財に指定されている東京駅の丸の内駅舎は、太平洋戦争末期の空襲で焼け落ちたドーム型の屋根が、5年をかけた復元工事で復活するなど、大正3年の建築された当時の姿によみがえりました。
24日は、工事がほぼ完了した駅舎内部の様子が報道陣に公開されました。
このうち、僅かな写真を手がかりに復元された直径20メートルのドームの内部は、えとの動物やかぶとのレリーフなど、壮麗な装飾が細かいところまで再現されています。
また、創建当時の壁がそのまま残るギャラリーは、鉄骨がむき出しになり、空襲で木片が焼けて炭化した様子が見えます。一方、内装を一新したのは、駅舎の2階と3階の大半を占めるステーションホテルです。
かつて、川端康成や松本清張など多くの作家が愛用したこのホテルは、客室の数が150室と、工事前のおよそ3倍に増えました。
このうち、1泊80万円の「ロイヤルスイートルーム」は、窓から皇居を正面に見ることができます。
丸の内のビジネスマンに人気だったバーも生まれ変わり、50年以上前から働くバーテンダーがカウンターに立ちます。
このほか駅舎には、外貨の両替ができる場所や、海外からの利用客向けの観光案内所が新たに設けられます。
23代目となる梅原康義東京駅駅長は、「復元された姿を見ると、改めて100年前の人たちの偉業を感じる。駅が出来たころと同じように、これを機に、希望にあふれる日本になってほしい」と話していました。
東京駅丸の内駅舎のリニューアルオープンは来月1日で、ホテルは来月3日に営業を再開します。
.復元工事はこう行われた
東京駅の復元工事は平成19年5月から行われ、工事には全国から集まった左官や板金の職人など、延べ78万人が関わりました。
98年前の大正3年に建てられた東京駅は、明治建築界の重鎮、辰野金吾が設計しました。
残された図面が少なかったため、復元は、当時の文献や、辰野金吾が設計したほかの建物などを参考に行われました。
特に時間をかけたのが、シンボルのドーム内部の装飾です。
空襲で焼け残ったのは一部分で、創建当時の白黒の写真6枚だけが手がかりでした。
動物のレリーフは、残された写真を基に一つ一つ粘土で試作品を作り、専門家と検討を重ねたほか、ドームの壁の色は白黒写真の濃淡を分析しながら決めていったということです。
また、復元工事は職人の技術の伝承のうえで大きな意味がありました。
例えば、今回新たに40万枚のレンガが使われた外壁は、全体に厚みがあるように見せるため、レンガとレンガの間の目地の部分が丸みを帯びています。
現在、このような施工は行われていないため、経験のある職人はおらず、作業は建築当時に使われていた道具を作るところから始められました。
さらに東京駅は大量の銅が使われていたことも特徴で、こちらも伝統の技法で忠実に再現しました。
釘を使わず銅板を折り曲げて組み合わせていく「はぜ掛け」は、ベテランの職人が若手の職人を指導しながら進めたということです。
復元工事を担当したJR東日本東京工事事務所の大内田史郎助役は、「工事のやり方を含め、当時のことを分かっていないと、復元はできないので、昔のことを学びながら進めることを心がけた。技術の伝承も、今後駅舎を長く残していくために必要なことだった」と話しています。
一方で、駅舎は首都直下地震にも耐えられるよう、最新の技術が使われています。
これまで駅舎を支えていたのは松のくいでしたが、今回、鉄筋コンクリートのくいを深さ20メートルまで打ち込んで土台を強化し、さらに1階の床と地下1階の天井の間に特殊なゴムを使った免震装置を352台取り付けました。
丸の内駅舎は最新の技術も活用し、強く生まれ変わりました。
津波に襲われた石も使われる
復元された東京駅丸の内駅舎の屋根には、黒い色の天然石、スレートが、およそ45万枚敷き詰められています。
このうち中央の屋根には、建築された当時の大正時代と同じ、宮城県石巻市の雄勝地区で採れたスレートが使われています。
雄勝産のスレートは、工場に保管されていましたが、出荷前の去年3月、東日本大震災の津波に襲われ、その後、泥とがれきの中から奇跡的に見つかりました。
当初の予定より数は減りましたが、津波に耐えた雄勝産のスレート1万5000枚が、復元した東京駅の屋根に使われました。
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