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◆大島満吉・興安街命日会代表 著者と語る『葛根廟事件の証言 草原の惨劇・平和への祈り』 2014.7.17

2014年07月18日 16時56分56秒 | ●YAMACHANの雑記帳
大島満吉・興安街命日会代表 著者と語る『葛根廟事件の証言 草原の惨劇・平和への祈り』 2014.7.17

2014/07/18 に公開
1945年8月14日、満州の興安街(現中国内モンゴル自治区)在住の日本人避難者約­1300人が、葛根廟(かっこんびょう)というラマ寺院の麓でソ連軍の攻撃を受け10­00人以上が亡くなった。葛根廟事件と呼ばれる終戦時の殺戮事件について、犠牲者の7­0回忌にあわせて、『葛根廟事件の証言 草原の惨劇・平和への祈り』(新風書房)がことし7月に発行された。この本の製作に携­わった、事件の生還者の大島満吉・興安街命日会代表、元興安街在住の藤原作弥氏(日本­記者クラブ会員)や岡部滋氏が会見し、当時の悲惨な状況などについて語った。
司会 藤原作弥 日本記者クラブ会員
日本記者クラブのページ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news...

葛根廟事件Wikipedia
葛根廟事件(かっこんびょうじけん)は、1945年8月14日、満州国興安総省の葛根廟(現在の中華人民共和国内モンゴル自治区ヒンガン(興安)盟ホルチン右翼前旗葛根廟鎮)において日本人避難民約千数百人(9割以上が婦女子)がソ連軍および中国人によって攻撃され、1,000名以上が虐殺された事件。
当時の葛根廟+++
8月15日の終戦後も、避難民に対する襲撃は続いた。事件後に10人余りの婦女子の一団に加わった12才の少女の証言によると、少女が加わった女性たちの一団は、暴民に襲われて衣服を奪い取られ暴行を受けるなどしながら、一週間余りをかけて葛根廟駅から10キロのところにある鎮西駅にたどりついた。女性たちは駅から少し離れたところにある畑の空き家に身を寄せることにしたが、夜になるとソビエト兵に発見され、深夜まで暴行が行われた。暴行が終わるとソ連軍兵士たちは屋外に積まれてあった枯れ草を家の中に投げ入れては火を付け、女性たちを焼き殺そうとした。少女と妹は窓のそばにいたために難を逃れることができたが、他の女性たちは火の回りが早く脱出できなかったようであると証言している。助かった少女はその後、残留孤児として生きることを余儀なくされた。一方、中国人、モンゴル人、朝鮮人のなかには生存者に食事を提供する者もおり、中国人のなかには子供を手厚く育てる者もいた。行動隊の生き残った子供は、さまざまな経緯から中国残留孤児となっていた。また、多くの女性が中国残留婦人となることを余儀なくされた。この事件は戦後、第二次世界大戦におけるソ連の戦争犯罪として取り上げられており、暴民ではなく一国の軍隊の攻撃によって無差別的に大量虐殺されたジェノサイドであり、その点では終戦時に満洲の日本人難民が遭遇した悲劇のなかでも最大のものである。

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