つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

まだ、過去ではない。

2017年03月11日 11時06分41秒 | 日記
東日本大震災、11日で6年=避難なお12万人―残る原発事故の影響

僕の体には、東北の血が流れている。
亡き祖父が、福島出身なのだ。
人は、誰しも先達からのバトンを受け継いで生まれる定め。
その意味で、6年前、大震災に見舞われた彼の地は、僕のルーツと言えるだろう。
所詮、人生は一代限り。
自ら望んで選ぶ事のできない血脈に縛られる必然性はないが、
縁ある福島に対して、少なからず愛着を抱いているのは確かだ。

復興は道半ば。
東北で、あるいは、あの日を機に東北を離れ、喜怒哀楽の日常を生きる人達が、
「復興は成った」と踏ん切りを付けられるのはいつになるのか。
きっと、その基準とタイミングは置かれた立場によって様々だろう。
いずれにしても「3・11」は、まだ「過去」ではない。

さて、近年、度重なる災害を経験した日本では「防災」への意識が高まった。
防災とは、災害を未然に防ぐために行われる取り組み。
被害の拡大を防ぐ努力や、被災からの復旧も含んでいるだろう。
具体的には、緊急地震速報や津波予測、異常気象の注意喚起基準の見直し。
ハザードマップ整備、避難訓練、食料備蓄など多岐に亘る。
先日の散歩中、そんな一端が目に留まった。

近所の「住吉公園」沿いに設置された消火ホース格納庫。
生け垣よりも高く突き出た、塩ビパイプが分かるだろうか。
小さなパウチがぶら下がっていた。

水源までの距離と位置を記した案内プレートである。
いざ必要になった時の現場は、おそらく混乱しているだろう。
速やかに手当てをするための配慮である。
些細だが、大切な拵えだと感じた。

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