つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

津幡町・北中条の秋祭り。

2011年10月09日 12時31分41秒 | 日記
きのう8日と今日9日、
津幡町の北中条地区は「三輪神社」の「秋季大祭」に中る。

「三輪神社」の場所は、JR津幡駅の裏手の山の中。
創立は「承和三年」…西暦なら835年。
かなり長い歴史を誇る式内社である。
去年・9月9日の投稿にも記載したとおり、語り継がれる伝説を持つ。

「冒頭の一枚」は、そんな神殿の秋祭りで街に繰り出した獅子。
疫病退治・悪魔払い、祝いの縁起ものである獅子舞は各地で行われているが、
僕にとって中条地区の獅子は初対面。
津幡地区と比べると、蚊帳のスケールはやや小ぶりだろうか?
演奏されるお囃子も、津幡地区とはメロディが違い、
笛太鼓の数、プレイヤーの人数も少なく大人しい印象を受けた。
しかし、津幡町HPの解説によると、
北中条の獅子頭は通称「雄獅子」と呼ばれ、弘化4年(1847)の作。 
町内に現存する獅子頭の中でも最も古いものだそうだ。
社同様、由緒がある。
家々からの花(御祝儀)を得て、勇ましい棒ふりが披露されていた。
 

…さて、僕が住む辺りと中条の秋祭りの一番の相違点は「神輿」が出る事。
「三輪神社」の鳥居前に、それはあった。

 

辺りに人気はなく、神輿はノーセキュリティ。
不用心だとも思うかもしれないが、コレを盗む者などいないだろう。
運ぶのは大変だし、何より畏れ多い。
堂々と、ただ置かれていた。

子供たちが担ぐらしく、サイズはコンパクトながらなかなか立派。
紅白の綱と飾りを施した漆塗りの屋形の頂には「鳳凰」。
典型的な「鳳輦」である。
 

社殿を象った本体の様子も、朱塗り黒塗りで細かいところまで細工され、
いい仕事ぶりが窺える。
 

予定があり、担ぐシーンまでは見届けられなかったのが残念。
それは、来年のお楽しみとしよう。
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2 コメント

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中条地区も祭りだったのですね (メアリのパパでした)
2011-10-09 18:27:12
連投失礼します。今日、自転車で金沢方面へ行っていて利屋、二日市、森本地区まで連続して獅子舞が出ていたことに気づきましたが、中条地区もそうだったのですね。森本も以前は河北でしたから当然かもしれません。
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メアリのパパ様へ。 (りくすけ)
2011-10-09 20:58:00
連投、ありがとうございます(笑)。

僕も今日、利屋の知人と会い、彼の地が祭りだと知りました。更に向こう側・二日市、森本の金沢北方面も祝祭だったのですね。

津幡町・中条と連なる一帯が同日開催の理由は「メアリのパパ様」のご推察通り、現在は袂を分けたとはいえ、同じ「河北エリア」としての過去が関係しているのかもしれません。
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