つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

私が私として生きることを、許して欲しい。~アンネ・フランク。

2018年09月24日 19時16分14秒 | 手すさびにて候。
金融界の大物「ロスチャイルド」。
ダイヤモンド王「アーネスト・オッペンハイマー」。
ジーンズの代名詞「リーバイ・ストラウス」。
天才「アルバート・アインシュタイン」。
映画監督「Sスピルバーグ」。
シンガーソングライター「ボブ・ディラン」。

ユダヤの血を引く著名人は数多いるが、
日本人とってその出自と名前が一致するのは、今拙作のモチーフかもしれない。
ほんの手すさび、手慰み。
不定期イラスト連載・第九十四弾は「アンネ・フランク」。

「アンネ・フランク」は、ユダヤ系ドイツ人。
フランクフルトに生まれ暮らしていたが、ナチスが政権を掌握すると、
迫害から逃れるため故国を離れ、オランダへ亡命。
戦争が始まり、彼の国がドイツの支配下に入って以降は、隠れ家に籠もる。
人目を避け、息を潜め、不安を抱えた隠遁生活。
2年間に及ぶ日々の様子と、思春期の少女の思いを綴ったのが
いわゆる『アンネの日記』だ。

伝え聞くヨーロッパ戦線の動向。
ナチスへの激しい憤り。
恋愛や性への興味。
母親への反発と、同居人に対する不平。
将来の夢について。
戦争と人間の本質について。

ジャーナリスト志望だけあって、
語彙豊かに、簡潔で軽妙な文章で書かれた日記は、1944年8月1日で中断。
同年8月4日午前、「フランク一家」ら8人のユダヤ人は、
何者かの密告で保安警察に逮捕された。
彼女が、移送先の強制収容所で非業の死を遂げたのは、
ドイツ降伏の2ヶ月前の事だった。

さて、僕はかつて「アンネの家」を訪れている。

水運が発達した“北のベネチア”。
オランダの首都・アムステルダムの運河の畔、
レンガ造りで細長く高層化した家並みが連なる一角にそれはあった。
窓口で見学料を払い、小さな玄関口を潜る。
薄暗い、狭く急な階段を登ると、彼女が寝起きした屋根裏部屋に到着。

「・・・ここで、この机に向かい、ペンを握ったのか。」

中学時代に読んだベストセラー創作の現場に足を踏み入れ、感慨一入。
若い身空で命を散らしたユダヤの少女について思いを巡らせた。

あれから、30年余りの時が流れている。

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