つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

さらば母校よ。~旧・津幡小学校校舎その21~

2012年04月11日 23時54分20秒 | さらば、母校よ。
“シリーズ母校への惜別”。
「今日の一枚」は、側道から見上げた大西山。
中央奥、木造家屋と木々の間に旧校舎の一部が写っている。
写真の手前から延びる細い道は、
正面に回らずに本道の勾配へ合流できるルート。
些細な距離を縮める近道だった。
毎朝、僕は何だか“ちょっと得した気分”になって歩いたものである。
そして、この行為を秘かに“ワープ(Warp)”と名付けていた。

Warp…辞書を引くと、
『ひずみ。ゆがみ。ねじれ。』
『SFで、宇宙空間のひずみを利用して瞬時に目的地に達すること。』とある。
個人的なネーミングが意味するのは後者の方。
その由来となったのは「宇宙戦艦ヤマト」。
これまで度々ブログでも触れてきたが、僕はヤマトファンだったのである。

西暦2199年、人類は絶滅の危機に瀕していた。
侵略を企てる「ガミラス」の遊星爆弾攻撃によって、
地上の水は干上がり、緑も消え、放射能に覆われた赤い星になった地球。
地下深くに隠れて生き延びていた人々の町にも、汚染が忍び寄ってくる。
残された時間はあと1年。
そんな時、遥か14万8千光年の彼方に位置する星「イスカンダル」から、
救いの手が差し伸べられた。
放射能除去装置「コスモクリーナーD」を渡す用意がある。
しかし、吉報の送り主にそれを届ける力はなく、
自ら受け取りに来て欲しいというのだ。
一年以内に29万6千光年を往復するためには、
音も光も超えるスピードが必要。
不可能を可能にしたのは、メッセージと一緒に送られて来た
「波動エンジン」の設計図。
その英知を活かし、生き残りを賭けた“ノアの箱舟”こそ
「宇宙戦艦ヤマト」である。
太平洋戦争で九州・坊ノ岬沖に沈んだ戦艦大和の残骸を隠れ蓑にし、
完成まで漕ぎ着けたヤマトは、未知の宇宙へと旅立ってゆく…。

少々長くなったが、以上が「宇宙戦艦ヤマト」出航までのあらまし。
さて、ようやく本題の「ワープ」である(笑)。
ヤマトの艦内で、ワープの概念を説明するシーンがあった。

時間の流れをリング状にして示すなら、
直径の左端から右端へ一気に移動すれば、半円分が短縮できる。
または時間の流れを連続した波状と仮定するなら、
波の頂点から頂点へ一気に移動すれば、谷間の分が短縮できる。
次元を通り抜けて出発点から目標とする終着点へ一気に飛び越えれば、
時間の概念はなくなる…。

なるほど!
技術的な仕組みはともかく、考え方は分かる!…気がした。
だが、説明を担当した人物は、こう締めくくったのである。
『もし、この(ワープに入る)タイミングが少しでもずれたら、
 おそらく三次元と四次元の間に挟まって
 ヤマトだけでなくこの宇宙全体が吹っ飛ぶかもしれません。』
…あな恐ろしき台詞を口にしたのは「真田志郎」。
宇宙戦艦ヤマトの工場長兼技師長だ。

そして、先日・4月9日、
「真田」を演じた声優「青野 武」さんが鬼籍に入られた。
近年では「ちびまる子ちゃん」で「まる子」の祖父「友蔵」役で知られる。
映画「タクシードライバー」で「ロバート・デニーロ」の吹き替えも忘れ難い。
また一つ、昭和の灯が消えた。
平成に入って消えた母校を見つめた時と同じ、
哀しみで胸がいっぱいである。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 津幡町の昭和鳥哀歌(Bird El... | トップ | 劇的な津幡町の春。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿