つばた徒然@つれづれ津幡

いつか、失われた風景の標となれば本望。
私的津幡町見聞録と旅の記録。
時々イラスト、度々ボート。

音の風景。

2015年09月13日 06時00分50秒 | これは昭和と言えるだろう。
きのう、朝の散歩に出かけようとした午前7時…
バン!バババン!っと、空に大きな音が鳴り響いた。
津幡小学校の「運動会決行」の合図である。

花火を用いたセレモニーは、日本各地(主に地方で)行われている。
だた、昨今は、その是非について物議を醸しているらしい。
曰く、生活サイクルが多様化した現実にそぐわない。
 ⇒つまり、五月蝿くて迷惑。
曰く、通信手段が発達した現代は他の選択肢がある。
ネットワークさえつながっていればタダで一斉伝達が可能。 
 ⇒つまり、時代錯誤。…云々。

個人的には「いいではないか」と思う。
確かに、非効率で、前時代的で、遠慮ない「音の信号」だが、
細やかな「滅私奉公」の訓練と考えれば、それでいいではないか。
何かにつけ殊更に「私(わたくし)」をひけらかす傾向が強い風潮も考え物だ。
時には、私を押し殺し「公(おおやけ)」に順ずる必要もあるだろう。

そして、報せを耳にすれば、色々と思い起こすところもある。
 
 
 

自分がグラウンドを駆ける当事者だった頃の記憶。
グラウンドを駆ける、自分ではない誰かの応援に出かけた時の記憶。
つぶさにメニューを覚えてなどいないが、遮二無二頬張った弁当。
高く晴れ渡った秋空。
群れ飛ぶ赤蜻蛉。…云々。
そんなアレコレの起点になるのが、あの炸裂音なのである。

…さて、先日、こうした「音から想起」する話とは逆に、
街角のポスターによって、鮮烈な「音を想起」した。
     
      

「N先生」のタクトから生まれた鮮烈な音の記憶。
詳細については、拙ブログ2012年3月13日の投稿に譲る。
コメント (2)
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