六文錢の部屋へようこそ!

心に映りゆくよしなしごと書きとめどころ

小澤さん、待っていますよ! イヤ、あんたの方ではなくて・・・。

2012-03-08 02:17:31 | 音楽を聴く
 小澤征爾氏が体調不良のため一年間音楽活動を停止するというニュースが伝えられました。寂しいし、少し心配でもあります。
 
 油の乗り切った氏の指揮を目の当たりにしたのは1991年、モーツアルトイアーのザルツブルグでのことです。まだ、56歳で髪も黒々としていた氏は、その折、当時の本拠であったボストン交響楽団を引き連れて、アメリカの現代音楽家の小品、『セントラルパーク・イン・ザ・ダーク』とベートーヴェンの『八番』、それにバルトークの『管弦楽のための協奏曲』を演奏したのでした。

                   
                  若き日の小澤征爾氏

 上に「目の当たりにした」と書きましたが、ほんとうに目の当たりだったのです。それは、私の席が最前列のしかも端から三番目ぐらいのところだったからです。音楽を聴くにはけっしていい場所ではなかったのですが、良い点は小澤氏が演奏を終えて袖に引っ込む際、私のホントに目と鼻の先2~3メートルのところを通るのです。

 このボストン交響楽団のコンサートは、オケ三つ、オペラ二つのザルツブルグでの音楽三昧のうち最後のものでした。それで多少の慣れと、これで最後だという勇気が湧いたせいか、何度目にかブラボーという拍手のなかを引き上げてくる小澤氏に、日本語で声を懸けたのでした。
 不思議なことに、そのときなんと叫んだのかはまったく覚えていません。しかし、しかしです、それに小澤氏が反応してくれたのでした。

          
                  ウィーン国立歌劇場

 いわゆるパーティ効果でしょうか、盛大な拍手と歓声のなか、私の日本語の叫びが氏の耳に達したのです。そして明らかに私の方をみて軽く会釈をしてくれたのです。思わず胸が高鳴るのを覚えました。
 20年前の私はけっこうミーハーだったのですね。え?今ですか?今はその上のソーラー・システムです。

 先日の日記で、カセットデッキ内蔵のテレビを処分するにあたって、カセットに記録したオペラなどを徹夜で聴いたと書きました。
 
 http://pub.ne.jp/rokumon/?daily_id=20120303
 
 三本のオペラをたてつづけに観たのですが、その内の一本が、ザルツブルグでライブを見た一年後(1992年)のウィーンで、ウィーン国立歌劇場管弦楽団・同合唱団を率いた小澤氏が振る『スペードの女王』(プーシキン原作・チャイコフスキー作曲)でした。

            
          私がヴィデオで観たのと同じ舞台の映像(『スペードの女王』)

 それを観てから一週間もしないうちに今回の活動休止宣言に接したわけです。
 今年のサイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)ではオネゲルの劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」を振ることが予定されていたようですが、これは指揮者を変更して上演されるようです。

 考えてみたら私より3歳年上なだけなのです。もっとも私のようにノンベンダラリンと生活しているのに比べると、何倍もハードな生き様だろうとは思うのですが…。
 いずれにしても、ザルツブルグで見せてくれたあの笑顔を思い出しながら、氏の完全復帰をつよく願わずにはいられないのです。
 

 

 



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ビヴァ!かき!カキ!牡蠣! そしてビヴァ、川柳!

2012-03-04 16:42:27 | ラブレター
 以下は私が書いたあるお礼状の実際の書き出しです。
 川柳などを通じ、ネットで知り合った瀬戸内近くの女性の方から素敵な贈り物を頂いたのです。

        

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 やっと春めいた陽射しも見られるようになりました。
 昨三月三日は言わずと知れたひいなの日、女性のお祭りでした。
 しかし、男の子の私にも素敵なプレゼントが…。
 
 大ぶりで新鮮な牡蠣をどっさり、ありがとうございました。
 発送元の漁協の指示では「加熱用」とありましたが、まだカラを閉じたままで生きていましたので、レモンやタバスコを添え、生牡蠣でもいただきました。
 実は私、三〇年ほど居酒屋を営んでいて調理もしていましたので牡蠣の処理も心得ているのです。まだまだありますので、焼き牡蠣あるいはカキフライなどにさせていただく所存です。
 ご承知のように、岐阜は海なし県ですから、こうした新鮮な海産物はとても貴重なのです。心して頂きます。(以下略)

    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いただいたのは素敵な生牡蠣です。しかもトロ箱いっぱい、数十個です。
 とても私のうちだけでは消化しきれないので、近くに住む妹のともろへもおすそ分けです。
 やがて、牡蠣のシーズンも終わりです。
 その時期にこんなに立派で新鮮なものがいただけるなんて・・・。

    

 ご承知のように兼好法師はその著『徒然草』第117段で、「よき友、三つあり。一つには、物くるる友。二つには医師(くすし)。三つには、知恵ある友。」といっていますが、彼女は医師(くすし)ではないものの、ほかの二つは完全に満たしている良き友です。
 まだお目にかかったことはありませんが、『山陽新聞』の「山陽柳壇」で第一席をとられた折に新聞紙上に載ったお写真は拝謁しています。
 私よりほんのちょっとお姉さんですが、100歳を越えたお母様をご介護の傍らの句作とか、ほんとうに尊敬に値します。

        

 上に述べた第一席の句は以下のようです。

      昭和史を律儀に守る太い指

 受賞後のコメントのなかで彼女は「本やペンをもつより鍬を持てと言われた戦中世代ですから」と語り「弟妹の面倒を見ながら田畑を手伝い、夜中に家族に隠れて新聞を読むのが楽しみで」とも語っています。そしてその結びは、「自由に作句を楽しめる平和な時代に感謝しています」という言葉です。
 私が彼女を尊敬する理由をお分かりいただけると思います。
 そんな方から頂いた牡蠣ですから。いっそう味わい深いものであることはいうまでもありません。
 



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テレビ・徹夜のオペラ・シベリア流刑

2012-03-03 16:36:25 | 音楽を聴く
 テレビが来ました。
 昨秋、「地デジ、地デジ」とうるさかったので、へそ曲がりの私は自分の部屋のTVを従来ののままにしていました。ようするになにも映らないままだったのです。
 ところが居間にあった別のものが壊れたのをきっかけに私の部屋にもついに地デジ対応のものを入れることにしました。
 それにしてもこの時期、TVは安いですね。32インチと22インチ各一台、それに加えて録画用のハードディスク、配達設置料など、すべてを含めて71,000円でした。
 画質も液晶の105万画素と従来よりはるかに鮮明です。

        
         新しく来たTV 画面は朝ドラ最後の尾野真千子さんの熱演

 しかし、このTVが来るというので、昨夜は徹夜を強いられました。
 というのは私の部屋にあったTVはカセットデッキの録画方式のもので、録画しっぱなしでまだ再生して観ていないもの、一度前に観たけれどもう一度観たいものがかなりあったからです。
 そのうち、映画関係のものは今後も観ることができると思い、オペラに絞って、3本を観ました。

 最初はヤナーチェクの『死者の家から』でクラウディオ・アッバードがウィーン・フィルとウィーン国立歌劇場合唱団を率いて1992年にザルツブルグの祝祭大劇場で公演したものの収録です。1992年といえば、私が行った91年のモーツアルト・イアーの翌年ですが、前年、同じ祝祭劇場で、『フィガロ』と『ティト』を観てきました。

         <photo src="v2:1549734797:l">
          私が観たテープのものです しかし私の撮影ではありません

 ヤナーチェクのオペラは、ドストエフスキーの『死の家の記録』をオペラ化したものですが、ドストエフスキー自身が4年間のシベリア流刑に処せられていますから、そこでの見聞の小説化であり、またオペラ化ともいえます。
 しかし、私にとってはシベリア流刑は帝政ロシアのそれではなく、スターリン時代の恐怖政治、さらには私の養父が経験したシベリア抑留を想起させるものなのです。
 したがって、この公演が1992年に行われた背景も見えてくるようです。つまり、89年にベルリンの壁が崩壊し、91年にはソ連そのものが瓦解したまさにその時期の公演なのです。

 物語そのものは最後にドストエフスキーと目される政治犯の釈放で終わるのですが、実際の中身はそこに収容された囚人たちの身の上話が主体です。
 彼らが犯罪者に至る過程が宿命的なものとして粛々として語られ、展開されます。
 それらにヤナーチェクの音楽はよく唱和しています。その前奏曲の色合いからしてもうヤナーチェクの世界です。

     
                  同じテープの舞台からです
 
 オペラそのものはほとんどレチタティーヴォに似た形で進み、これはというアリアにはお目にかかれません。これはおそらく、モンテベルディなどの初期のオペラの様式をあえて採用したせいではないかとも思われるのです。そして、それがこのオペラが描く情況とあいまってヤナーチェクの音楽を際立たせているとも思われます。
 そういえばこのオペラの台本は、音楽と台詞の不可分性をモットーとするヤナーチェク自身が細部にわたるまで自ら手がけたのだそうです。

 ヤナーチェクの音楽はけっこう好きな方で、ちなみに私のiTunesには彼の弦楽四重奏を入れていて、時折これを聴きながらパソのキーボ―ドを叩いています。

 せっかく徹夜までしたのでほかのオペラについても書くつもりでしたが、もう既に十分長くなしました。また機会を改めます。


ほかに観たのは、オッフェンバック『ホフマン物語』とチャイコフスキー『スペードの女王』です。後者はやはり1992年、小澤征爾がウィーンで指揮をしたものです。髪黒々の小澤氏です。また、改めて書きます。
 

 
 

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渓流解禁・ひいなの日・お花をどうぞ!

2012-03-02 03:58:02 | インポート
 いよいよ3月、月初めから渓流釣りが解禁になったところもあります。
 昔なら寒かろうが何だろうが、このイベントに参加せずにおくものかといそいそとでかけたものですが、もう渓へゆかなくなって何年経つでしょうか。
 そのおかげで命拾いをしたアマゴやイワナは何匹いることでしょう。彼や彼女たちは私の老化と怠慢に感謝すべきなのです。
 しかし今も、何かの拍子に渓流の近くを通りかかると心踊るものがあります。でももう、車から降りて簡単に竿を出せるようなところではほとんど釣れないのです。

         

 渓の話はともかく、明日はひな祭りですね。百歳の老女がひな祭りに華やぐという話を聞きましたがとても感動しました。何歳になろうが「ひいなの祭り」は女の祭り、おおいに華やいでほしいものです。

         

 このお雛様の写真はノリタケ・カンパニーのウインドウで撮したものです。高さはわずか10センチほどですが、陶磁器製とは思われないほど精妙にできています。
 お値段もセットで17万円とお値打ちなのでこのブログをご覧の女性全員にプレゼントしようと思ったのですが、それだけのセット数が揃わないとのことでした。残念です。
 その代わりに、すべての女性がひいなの日を幸せに迎えられますよう、私が手塩にかけた(という程でもないのですが)水仙をお届けします。
 ひな祭りといえば桃の花でしょうが、今年は桃の開花が遅いのです。

         

 「ひなまつり」という歌がありますね(サトウハチロー作詞・河村光陽作曲)。子供の頃、あの歌の歌詞でいつも頭の中を巡るのは「お嫁にいらした 姉様に よく似た官女の 白い顔」というくだりでした。
 実の両親に死に別れた私に、二つ歳上の姉がいて、別々のところへ貰われて行ってずっと逢うことがなかったからだと思います。
 40歳過ぎに再会し、今では消息もはっきりして交流もあるのですが、子供のころに刷り込まれたものが残ってのでしょうか、スーパーなどでこの時期かかるこの歌のうち、その箇所だけが鮮明に耳に聞こえます。

 古希をとっくに過ぎた男の変な感傷なのは自分でもわかっているのですが、なぜかほんとうにその箇所だけはっきり聞こえるのです。
 

コメント (2)
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