岐阜は知る人ぞ知る枝豆の産地である。
実際にこの辺りの枝豆はうまい。それを食べ慣れているせいで、居酒屋あたりが突き出しで出す冷凍の(外国産が多いのだが)それは全く味も素っ気もない代物だと思う。
緑色が鮮やかすぎて青に近いような枝豆、それが冷凍物のサインで、既に湯がかれていて、水に晒して解凍する仕組みになっている。
豆の味、コクが「全くない」のが特徴である。
あ、そうそう、枝豆談義ではなく、今日の主役はうどんであった。
このうどんだが、名称は「緑滴る枝豆うどん」という。
原材料は小麦粉と岐阜産の枝豆、それに色を補足するためにクチナシの色素からなっている。
実はこのうどん、地元の商業高校の学生が考案したものである。
説明に曰く、「地商・地産・地消」(造語)=「地域の商業高校が考案した商品を地域で生産し、その地域で消費する」とある。
いささか長ったらしくて回りくどい向きもあるが、その心意気や諒とすべきであろう。
ところで、なぜ「緑滴る」のであろうか。むろん、枝豆だからということであろうが、それにしてもいささかオーバーな表現ではなかろうか。
しかし、この「緑滴る」は外せないのだ。
というのは、この言葉の中に、これを開発考案した学校名が示唆されているからである。
「緑滴る金華山
水清冽の長良川
・・・・・・」
これは、その学校の校歌の出だしである。
学校名は県立岐阜商業高等学校。
(今話題になっている市立岐阜商業とは異なる)
この学校の生徒たちが考案したのである。
この校歌、既に100年近く前、当時の在校生が作詞したものだというから昔のガキ(あ、失礼、大先輩!)は言葉を、しかも漢語混じりのそれをよく知っていたといえる(「どこかの総理大臣とは違って」と敢えて入れるべきだろうか)。
何を隠そう、私自身がこの高校の卒業生で、この校歌も入学早々実に丹念に教えられた。何か軍歌の教練のようで今ひとつのれなかったのだが、在校中に何度も聴いたり歌ったりしたため、卒業以来半世紀以上経過した今でも、3番まできっちり歌える。
「商海の浪 荒くとも
百折不撓(ふとう)のわが健児
・・・・・・・・・」
上が3番の出だしである。商業高校らしい文言である。
「健児」とあるのは発足時は男子校だったからだが、今では女子の方が多いくらいである。
五年制だった頃の名残「五星霜」は「三星霜」に改められたが、この「健児」の部分は適当な語句がなかったのと、「児」は男女を問わないということで、今では女の子が堂々と「わ~が~健児」と歌っている。
黄昏ゆく晩秋の金華山と長良川 先月撮影
ということで「緑滴る枝豆うどん」の由来を述べた次第である。
お前食べたか? その味は? という質問がおそらくあろう。
もちろん食した。「可愛い後輩たちが作ったものだから美味いに決まっている」では多分、評価や返事にはならないだろう。
具体的にいうと、適当にこしがあって、枝豆の風味もあり、それに見た目が薄いグリーンで美しかった。かけうどんにする場合には、この色合いを生かすために薄口醤油か白醤油など色のあまり濃くないつゆがふさわしいだろう。
感傷下手なのだが、話の行きがかり上やはり、幼くも健気に顔を上げて前を見つめていた紅顔の美少年時代(え?「厚顔の愚少年」? うるさいっ!)が今さらのごとく甦ってきたようだ。
「緑滴る・・」か。
実際にこの辺りの枝豆はうまい。それを食べ慣れているせいで、居酒屋あたりが突き出しで出す冷凍の(外国産が多いのだが)それは全く味も素っ気もない代物だと思う。
緑色が鮮やかすぎて青に近いような枝豆、それが冷凍物のサインで、既に湯がかれていて、水に晒して解凍する仕組みになっている。
豆の味、コクが「全くない」のが特徴である。
あ、そうそう、枝豆談義ではなく、今日の主役はうどんであった。
このうどんだが、名称は「緑滴る枝豆うどん」という。
原材料は小麦粉と岐阜産の枝豆、それに色を補足するためにクチナシの色素からなっている。
実はこのうどん、地元の商業高校の学生が考案したものである。
説明に曰く、「地商・地産・地消」(造語)=「地域の商業高校が考案した商品を地域で生産し、その地域で消費する」とある。
いささか長ったらしくて回りくどい向きもあるが、その心意気や諒とすべきであろう。
ところで、なぜ「緑滴る」のであろうか。むろん、枝豆だからということであろうが、それにしてもいささかオーバーな表現ではなかろうか。
しかし、この「緑滴る」は外せないのだ。
というのは、この言葉の中に、これを開発考案した学校名が示唆されているからである。
「緑滴る金華山
水清冽の長良川
・・・・・・」
これは、その学校の校歌の出だしである。
学校名は県立岐阜商業高等学校。
(今話題になっている市立岐阜商業とは異なる)
この学校の生徒たちが考案したのである。
この校歌、既に100年近く前、当時の在校生が作詞したものだというから昔のガキ(あ、失礼、大先輩!)は言葉を、しかも漢語混じりのそれをよく知っていたといえる(「どこかの総理大臣とは違って」と敢えて入れるべきだろうか)。
何を隠そう、私自身がこの高校の卒業生で、この校歌も入学早々実に丹念に教えられた。何か軍歌の教練のようで今ひとつのれなかったのだが、在校中に何度も聴いたり歌ったりしたため、卒業以来半世紀以上経過した今でも、3番まできっちり歌える。
「商海の浪 荒くとも
百折不撓(ふとう)のわが健児
・・・・・・・・・」
上が3番の出だしである。商業高校らしい文言である。
「健児」とあるのは発足時は男子校だったからだが、今では女子の方が多いくらいである。
五年制だった頃の名残「五星霜」は「三星霜」に改められたが、この「健児」の部分は適当な語句がなかったのと、「児」は男女を問わないということで、今では女の子が堂々と「わ~が~健児」と歌っている。
黄昏ゆく晩秋の金華山と長良川 先月撮影
ということで「緑滴る枝豆うどん」の由来を述べた次第である。
お前食べたか? その味は? という質問がおそらくあろう。
もちろん食した。「可愛い後輩たちが作ったものだから美味いに決まっている」では多分、評価や返事にはならないだろう。
具体的にいうと、適当にこしがあって、枝豆の風味もあり、それに見た目が薄いグリーンで美しかった。かけうどんにする場合には、この色合いを生かすために薄口醤油か白醤油など色のあまり濃くないつゆがふさわしいだろう。
感傷下手なのだが、話の行きがかり上やはり、幼くも健気に顔を上げて前を見つめていた紅顔の美少年時代(え?「厚顔の愚少年」? うるさいっ!)が今さらのごとく甦ってきたようだ。
「緑滴る・・」か。