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【ズンドコ節考・7】いやじゃありませんか

2008-02-04 04:03:11 | よしなしごと
 さて、「海軍小唄」、「陸軍小唄」と見てきましたが、それでは空軍は?というと、残念ながら戦前の日本軍には空軍はなく、陸軍航空隊、海軍航空隊という組織編成でした。
 従って、陸軍と海軍を総称して軍隊だったのですが、その軍隊全体を唱った「軍隊小唄」はちゃんとありました。

 戦争末期に唱われたというのですが、それを調べると、「作詞者:不詳
とあるのですが、作曲者は倉若晴生という人になっています。
 それは以下のようなものです。

軍隊小唄」  

いやじゃありませんか軍隊は カネのおわんに 竹のはし
仏さまでも あるまいに 一ぜん飯とは情なや

腰の軍刀に すがりつき つれて行きゃんせどこまでも
つれて行くのはやすけれど 女は乗せない戦闘機

女乗せない戦闘機 みどりの黒髪裁ち切って
男姿に身をやつし ついて行きますどこまでも

七つのボタンをぬぎすてて いきなマフラーの特攻服
飛行機まくらに見る夢は 可愛いスーチャンの泣きぼくろ

大佐中佐小佐は老いぼれで といって大尉にゃ妻がある
若い小尉さんにゃ金がない 女泣かせの中尉どの

この箇所はそれぞれの所属に従い、「戦車隊」とか「潜水艦」とかに変えて唱われた。

 冒頭の「いやじゃありませんか」という文句を除いては、はっきり厭戦とは唱われていないものの、軍隊そのものを斜に見て茶化したものであることは間違いありません。前回見た「可愛いスーちゃん」がここにも登場することは、厭戦歌の系列に属していると見て良いでしょう。
 しかし、今まで見てきたものと違って、作曲者が明らかだということは、これ自身が何らかの歌の替え歌であることを示しています。
 そしてその元歌はちゃんとあったのです。

 

 それは以下のように作曲者、作詞者、歌手も明確なレコードとして、1939(昭・14)年にリリースされているのです。

ほんとにほんとに御苦労ね
   作詞:野村 俊夫  作曲:倉若 晴生
   唄:山中みゆき(ポリドール) 

楊柳(やなぎ)芽をふくクリークで 泥にまみれた軍服を
洗う姿の夢を見た お国の為とは言いながら
ほんとにほんとに御苦労ね

来る日来る日を乾パンで 守る前線弾丸(たま)の中
ニュース映画を見るにつけ 熱い涙が先に立つ
ほんとにほんとに御苦労ね

今日もまた降る雨の中 どこが道やら畑やら
見分けもつかぬ泥濘(ぬかるみ)で 愛馬いたわるあの姿
ほんとにほんとに御苦労ね

妻よ戦地の事などは なにも心配するじゃない
老いたるふたおや頼むぞと 書いた勇士のあのたより
ほんとにほんとに御苦労ね

 ここには軍隊を斜に見てとか、厭戦といったものはありません。ひたすら戦地の兵士を思う気持ちがナイーヴに唱われているのです。「父よあなたは強かった」に通じる激励の歌なのです。
 にもかかわらず、レコードにもなったこの元歌よりも、その替え歌としての「軍隊小唄」の方が広く人口に膾炙されたことの中に、当時の兵士や民衆の本音があったといっていいかも知れません。

 

 ところで、この元歌のタイトル「ほんとうにほんとうにご苦労ね」には皆さん聞き覚えがあるはず。そうです、あの「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」はこの歌のタイトルをとりながら、歌詞としては「いやじゃありませんか~」と「軍隊小唄」の出だしを採用した替え歌なのです。

 その歌詞は以下のようです。

「ドリフのほんとにほんとにご苦労さん」
 作詩:野村俊夫・なかにし礼 作曲:倉若晴生

ほんとにほんとにほんとにほんとにご苦労さん ソレ
               (これが囃子言葉)
いやじゃありませんか花子さん オナラばっかりしていては
花嫁修業をしていても どこへ行こうと鼻つまみ
                (同上の囃子言葉)
いやじゃありませんか学生さん 試験試験とせめられて
恋をしている暇もない せめて知りたやキスの味
                   (囃子言葉)
いやじゃありませんかチョンガーは 靴下三日は我慢して
お尻の破れを手でかくし 銭湯でついでにパンツ洗う
          [文句あるか]   (囃子言葉)
[元気を出して]
いやじゃありませんか新婚さん 家を出る時ねえあなた
お昼休みにねえあなた 家へ帰ればねえあなた
                   (囃子言葉)
いやじゃありませんか家の山の神 スタミナドリンク
ホルモン注射に こりゃまたまむし酒
俺のからだをこきつかう これじゃふとれるはずがない
                   (囃子言葉)
[突っこめ!]
いいじゃありませんか男なら なにをくよくよするものか
真赤なフンドシ引きしめて 行くぞこの道どこまでも
                   (囃子言葉)
ご苦労さんご苦労さんご苦労さん

 
 
 「ドリフのズンドコ節」同様、この作詞にも なかにし礼 が関わっています。しかし、「ズンドコ節」の場合と違って戦前の元歌との関わりはほとんどないように見えます。ところがです、意外なところにその接点はあるのです。
 この歌の作詞者をもう一度見てください。なかにし礼の他に、野村俊夫という人が併記されていますね。この人誰だか分かりますか。
 私はちゃんとフェアーに記しておきました。
 上の、「軍隊小唄」の更に元歌として掲げた「ほんとにほんとに御苦労ね」の作詞者こそ、この野村俊夫なのです。

 では、本当になかにし礼と野村俊夫とが共同でこの詩を作ったのでしょうか。それはあり得ないのです。なぜなら、このドリフの歌が出来た頃には、野村俊夫は既に亡くなっていたからです。
 ですから、なかにし礼は、元歌の作詞者に敬意を表して共同の作詞者に掲げたのですが、ご覧いただくように、野村俊夫の最初の詩とは全く違うものに仕上がっています。
 要するに、なかにし礼は、野村俊夫との共作を明示することで、このドリフの歌が、「軍隊小唄」やその元歌との連続性を持っていることを表示したのだろうと思われます。

 この三つの歌を比べると、その詩に込められた含意などがそれぞれ違い、それがまた時代を間違いなく現しているように思います。

<余談>富士サファリパークのコマーシャルソング、「ほんとにほんとにほんとにライオンだ!」は、上記の歌からさらに派生したものと思われます。


おまけのトリビア

 野村俊夫(1904~66)という作詞家について調べてみました。
 古関祐二と同郷の福島県の出身で、生涯にわたって500に近い作詞をしています。
 戦前は数々の軍歌や戦争歌謡を作詞していますが、その代表作は「暁に祈る」、「ああ、紅の血は燃ゆる」などです。
 そして戦後の代表作は、「湯の町エレジー」「東京だョおっ母さん」などです。
 なお、「東京だョおっ母さん」の詩の一部に、戦前派の名残が幾分残っているともいえます。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (ねたろう)
2016-03-23 02:51:38
 『ドリフのほんとにほんとにご苦労さん』のルーツがよくわかりました。
 『軍隊小唄』以前に、もう一つのルーツがあるとは驚きでした。

 私のブログの記事を書くとき、参考にさせてもらいました。すいません。

返信する
ようこそ (六文銭)
2016-03-23 14:42:56
>ねたろうさん
 ずい分前に書いたものを探し当てていただきありがとうございます。当時いろいろ調べて書いたものですが、何らかの参考にしていただければ幸甚です。
 今後とも宜しく。
返信する

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