例年書いていますが、わが家から徒歩数分の「マイ・お花見ロード」が今年も満開を迎えました。
川を挟んだ桜並木がかなりの距離続くのですが、今日の例では、それを愛でているのは私の他には対岸を並行して歩いている同年配の女性の二人連れのみ。「マイ・お花見ロード」と称する所以です。
桜のいいところはその絢爛豪華さとパッと咲いてパッと散るところにあるといわれています。
そしてそれは、ある種のポピュラーな無常感と結びついて一般化しているようです。
しかし、私のような年代になると、その散り際の良さというものを手放しに称賛できない思いもあるのです。なぜなら、その「潔く散る」というコンセプトを強要されて、無為に死に追いやられた若者たちの歴史をリアルタイムで知っているからです。
たとえば、「同期の桜」という軍歌の一番はこうです。
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため
こうした「散る美学」のなかでいわゆる特攻攻撃(特攻隊)に駆り出された若者の死者は4,000人を超えます。
この、片道の燃料しか与えられず、あえて死にに行くという行為は、いくら戦時とはいえ、通常の戦略戦術を越えた、まさに生身の人間を銃弾同様の消耗品とみなす非人間的な方針によるもので、「生きて虜囚の辱を受けず」(捕虜となるくらいなら死ぬべきだ)という戦陣訓第八と並んで、多くの無駄な死者を生み出したものです。
私が関与しているミニコミ誌には、この「散る」という話題に関し、以下のようなコメントが寄せられています。
そのひとつは、往時の海軍の老兵であった人で、自分の朋輩が虚しく散っていったのを知っているだけに花の散るのを素直に愛でるわけにはゆかないというものでした。
そして今一つは、自分の兄が予科練で特攻機に乗ることになっていたが、敗戦によって出撃せずに済んだため、今も元気で暮らしているというものでした。
さらには、バンザイ、バンザイと送り出した同年輩の若者たちが還らぬまま散ってしまったことを悔悟をこめて語る女性の言葉もありました。
いずれの人たちも、花が散る風情を無邪気には楽しめないのです。
花が散るという自然現象が、人間の命を無為に奪い去るという比喩にもはや使われなくなるとき、またそんな状況が再びこないと確信できるとき、はじめてそこに素直な美しさを見てとることができるのでしょう。
最後に亡き母の好きだった歌を。
ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
紀友則(百人一首33番) 『古今集』春下・84
川を挟んだ桜並木がかなりの距離続くのですが、今日の例では、それを愛でているのは私の他には対岸を並行して歩いている同年配の女性の二人連れのみ。「マイ・お花見ロード」と称する所以です。
桜のいいところはその絢爛豪華さとパッと咲いてパッと散るところにあるといわれています。
そしてそれは、ある種のポピュラーな無常感と結びついて一般化しているようです。
しかし、私のような年代になると、その散り際の良さというものを手放しに称賛できない思いもあるのです。なぜなら、その「潔く散る」というコンセプトを強要されて、無為に死に追いやられた若者たちの歴史をリアルタイムで知っているからです。
たとえば、「同期の桜」という軍歌の一番はこうです。
貴様と俺とは同期の桜
同じ兵学校の庭に咲く
咲いた花なら散るのは覚悟
見事散りましょ国のため
こうした「散る美学」のなかでいわゆる特攻攻撃(特攻隊)に駆り出された若者の死者は4,000人を超えます。
この、片道の燃料しか与えられず、あえて死にに行くという行為は、いくら戦時とはいえ、通常の戦略戦術を越えた、まさに生身の人間を銃弾同様の消耗品とみなす非人間的な方針によるもので、「生きて虜囚の辱を受けず」(捕虜となるくらいなら死ぬべきだ)という戦陣訓第八と並んで、多くの無駄な死者を生み出したものです。
私が関与しているミニコミ誌には、この「散る」という話題に関し、以下のようなコメントが寄せられています。
そのひとつは、往時の海軍の老兵であった人で、自分の朋輩が虚しく散っていったのを知っているだけに花の散るのを素直に愛でるわけにはゆかないというものでした。
そして今一つは、自分の兄が予科練で特攻機に乗ることになっていたが、敗戦によって出撃せずに済んだため、今も元気で暮らしているというものでした。
さらには、バンザイ、バンザイと送り出した同年輩の若者たちが還らぬまま散ってしまったことを悔悟をこめて語る女性の言葉もありました。
いずれの人たちも、花が散る風情を無邪気には楽しめないのです。
花が散るという自然現象が、人間の命を無為に奪い去るという比喩にもはや使われなくなるとき、またそんな状況が再びこないと確信できるとき、はじめてそこに素直な美しさを見てとることができるのでしょう。
最後に亡き母の好きだった歌を。
ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ
紀友則(百人一首33番) 『古今集』春下・84